いまや軽自動車だって60や55といった低偏平タイヤを履いている。スーパーカーは35とか30とかが当たり前だ。ところがこうした偏平タイヤ、ひと昔前までは車検に通らなかった。昭和のクルマは偏平率82%から始まり、先人たちの努力で薄っぺらいタイヤになったのよ!
文/ベストカーWeb編集部、写真/日産、ポルシェ、Adobestock
■偏平率82%って自転車じゃないんだよ!
最初に「タイヤの偏平率ってなによ」って解説をすると、タイヤの地面に接する部分(トレッド面)の幅と、側面(サイドウォール)の厚みの比率のことだ。たとえばタイヤの厚みが110mm、接地面の幅が225mmならば110÷225≒0.49で偏平率は50%ということになる。
この偏平率だが、昭和まで遡ると82%が標準だった。接地面100に対して厚さが82あるわけだから、見た目が「厚ぼったく」なるのは想像がつくはず。しかしKPGC10スカイラインGT-R(いわゆるハコスカ)だろうとクラウンだろうと、この厚ぼったいタイヤを履いていたのだ。
当時はタイヤの構造自体が、「バイアス」といって旧式のものだった。これに対してラジアルという構造が生まれ、日本では1967年にヨコハマタイヤが初のラジアルタイヤ「GTスペシャル」を発売するのだが、これと歩調を合わせるように、乗用車の高性能化が始まる。
これによってタイヤに求められる要件もどんどん高まっていくのだが、高性能車の本場でもあるヨーロッパでは、タイヤを低偏平にすることで応えていった。
タイヤを低偏平化(=薄く)することで剛性が高まり、遠心力がかかってもタイヤが変形(横に潰れる)しにくくなる。同時にタイヤの幅を広くすれば接地面積も拡大し、これまたコーナーでの踏ん張り力アップに貢献するというわけだ。
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■黒船はポルシェ930ターボの履くピレリP7だった!
そんな現実を我々日本人がまざまざと見せつけられたのが、スーパーカーブームだった。
当時のフェラーリ512BBやカウンタックLP400は偏平率70とはいえぶっといタイヤを装着、ポルシェ930ターボに至っては、ピレリという聞いたこともない会社(笑)の「P7」というド迫力のタイヤを履いていた。
そのサイズはフロント205/55R16、リアが225/50R16! 当時の感覚からしたら「ホイールがそのまま走ってる!」ってくらいペッタンコ。こいつに当時のクルマ好きはしびれまくった。クルマの絵を描くときは、必ずタイヤをP7の綾織りのトレッドパターンまで真似したものだ。
いっぽう日本車はどうだったかというと、1972年にカローラが始めて70タイヤを装着して以降、ビタ一文も偏平率の緩和は許されなかった。当時は暴走族の全盛時代で、「高性能タイヤなんか認めたらまたあいつらが調子付く」と思われたのかもしれない。
結局このお国のルールを破ったのは、「低偏平タイヤ(=輸入タイヤ)を認めないのは非関税障壁だ」という海外からの圧力だった。日本にありがちな展開である(泣)。
70よりも薄い偏平タイヤが認められたのは1984年のこと。さらに88年に50タイヤが認められ、日本にもようやく低偏平タイヤの時代が訪れた。ちなみに日本で初めて50タイヤを装着したのは、三菱スタリオンのGSR-VRだった。
いまやドレスアップの常とう手段であるインチアップだが、これも低偏平タイヤがあってことできること。35とか30とかいう低偏平タイヤを見たら、82や70で悪戦苦闘してきた昭和のオッサンたちを思い出してほしい!
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