ランボルギーニは9月3日、名車『カウンタック』の生産開始から50周年を迎えた、と発表した。1974年3月、ランボルギーニのサンタアガタ・ボロニェーゼ工場でカウンタックの量産が始まった。このモデルは16年間市場に残り、伝説となった。
カウンタックは、ランボルギーニが初めて自社でボディワークを手作業で行い、内装も自社のアップホルスタリーデパートメントで生産した最初の車。この取り組みは50年後の現在でもサンタアガタ・ボロニェーゼでの伝統となっている。この記念すべき年に、ランボルギーニは最初の『カウンタック LP400』を生産ラインに戻し、最新の『レヴエルト』と共に写真撮影を行った。
1971年ランボルギーニ・カウンタックLP500プロトタイプカウンタックは「LP500」として1971年3月11日のジュネーブモーターショーでアイデアカーとして発表され、その成功により量産が決定した。量産モデルであるカウンタック LP400が完成するまでには、いくつかのプロトタイプカーと3年間の技術開発、そして集中的なロードテストが必要だった。開発中、サンタアガタ・ボロニェーゼではカウンタックの生産ラインが整備され、ランボルギーニの歴史で初めてボディワークが自社で行われることとなった。この決定は会社の成長に大きな影響を与えた。
カウンタックの全モデルを振り返ると、LP400(1974-1978年)は152台生産され、「ペリスコピオ」と呼ばれる中央のくぼみが特徴だった。LP400S(1978-1982年)は235台生産され、ピレリの低プロファイルタイヤやホイールアーチの拡張などが特徴だった。5000S(1982-1984年)は323台生産され、排気量が4.8リットルに増加した。クアトロバルボーレ(1985-1988年)は631台生産され、5.2リットルエンジンを搭載していた。25周年記念モデル(1988-1990年)は658台生産され、カーボンファイバーが初めて使用された。
カウンタックは、1970年代半ばから1990年までランボルギーニを競争力のある存在にし、最終的に伝説となった。
ランボルギーニ・カウンタックとレヴエルトカウンタックとレヴエルトの間には半世紀の時間があるが、その間にランボルギーニの生産量も大きく変化した。カウンタックは16年間の生産で1999台、『ディアブロ』が11年間で2903台、『ムルシエラゴ』は9年間で4000台、『アヴェンタドール』は11年間で1万1000台以上が生産されている。
これらの違いにもかかわらず、カウンタックとレヴエルトには多くの共通点がある。まず、12気筒エンジンを縦置きに配置する技術的なセットアップが同じだ。しかし、レヴエルトにはバッテリーパックが追加され、ギアボックスがV12エンジンの後ろに移動した。ドライビングセットアップも同じで、シザードアもカウンタックから始まり、ランボルギーニのV12車の特徴として今も受け継がれている。
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