高い業績をあげた人物の考えには勉強させられることも多い。そこで今回は、古今東西の自動車メーカー創業者や経営者など、著名人の名言を紹介しながら、その真意や背景にあるものを考えていきたい。
文/長谷川 敦、写真/トヨタ、フォード、フォルクスワーゲン、ポルシェ、ホンダ、マツダ、Newspress UK、FavCars.com、写真AC
■経営者の名言・日本国内メーカー編
●「失敗をすることを恐れるより、何もしないことを恐れろ」―本田宗一郎
現在では世界的な自動車&バイクメーカーに成長したホンダは、1946年に本田技術研究所として本田宗一郎氏によって創立された。
後にホンダを大メーカーへと育てあげる本田宗一郎氏には名言も多く、そのすべてを紹介することはできない。
そのなかでも「失敗をすることを恐れるより、何もしないことを恐れろ」はホンダというメーカーのチャレンジングスピリットを表す言葉として知られている。
本田宗一郎氏は1991年に84歳で逝去しているが、後を継ぐ者たちに「私は交通業者だ。死んだからといって大勢集めて人様の交通の邪魔をするな」との遺言も残している。
こうした経緯もあって、ホンダでは宗一郎氏逝去の際に社葬を行っていない。
●「世界一よりも町一番を目指す」―豊田章男
現トヨタ代表取締役会長・豊田章男氏が2021年に行われた株主総会でのスピーチで語った言葉。
世界有数の規模を誇るトヨタだが、この発言があった時期はコロナ禍の真っ最中でもあり、もう一度自分たちの足元を見直すことが大切だという意味で「町一番を目指す」と語った。
普段お世話になっている町の人々の笑顔を目指し、町で一番愛されて信頼される会社にしたいとの意味が込められている。
●「部下がついてくるかどうかは、リーダーが苦しんだ量に比例する」―山本健一
1984~1987年にマツダの代表取締役社長を務めた山本健一氏は、ロータリーエンジンを実用化させた技術者でもあった。
1961年にドイツのヴァンケル社からロータリーエンジンのライセンスを取得したマツダ(当時は東洋工業)は、山本健一氏を同エンジン開発の責任者に任命。
山本氏を中心とする47名のスタッフは、苦労に苦労を重ねてついにロータリーエンジンの実用化に成功する。
その功績により、山本氏は「ロータリーエンジンの父」、開発スタッフは「ロータリー四十七士」と呼ばれるようになる。
実際に山本氏はロータリーエンジン開発に苦しみ、その姿を見たスタッフも山本氏の下一丸となって開発に邁進したという。
■経営者の名言・海外メーカー編
●「たいていの成功者は他人が時間を浪費している間に先へ進む」―ヘンリー・フォード
大量生産に適したライン生産方式を積極的に導入し、やがて「自動車王」とまで呼ばれる存在になったのがアメリカ・フォード創業者のヘンリー・フォード氏(1世)。
ヘンリー氏が開発したフォードT型(1908年)は、大量生産の強みを生かした低価格を実現して順調に売り上げを伸ばし、1923年には年間生産台数が200万台を超える空前の大ヒットモデルになった。
ヘンリー氏自身は努力家で勤勉な人物としても知られ、先の名言は彼の人柄を端的に示している。
「努力が効果をあらわすまでには時間がかかる。多くの人はそれまでに飽き、迷い、挫折する」もまたヘンリー氏の残した名言であり、不屈の精神の持ち主でもあった。
●「私の夢を実現してくれるクルマはどこを探しても見つからなかった。だから自分で作ることにした」―フェルディナント・ポルシェ
スポーツカーメーカー・ポルシェの創業者にして、世界屈指の大衆車となったフォルクスワーゲン タイプ1(ビートル)の生みの親でもあるのがフェルディナント・ポルシェ氏。
オーストリアの優秀な技術者だったフェルディナント氏が数多くの名車を世に送り出した理由には、上記の思想が強く影響しているのがわかる。
「欲しいモノがこの世にないなら作ってしまえばいい」と考えるのは簡単だが、それを実現してしまうのがやはり傑物だといえる。
フェルディナント氏はまた「技術的問題を解決するためには美的観点からも納得のいくものでなければならない」という、エンジニアらしい名言も残している。
●「経営とは、人々をやる気にさせること以外の何ものでもない」―リー・アイアコッカ
見習い技術者として1946年にフォードに入社したリー・アイアコッカ氏は、やがてセールス部門に転身すると、フォード社内でメキメキと頭角を現していった。
そして1970年にはフォードの社長に就任して業績も残すが、創業者の血を引くヘンリー・フォード2世氏との確執でフォードを離れ、1979年にはライバルメーカー・クライスラーのCEOに就任する。
経営に苦しんでいたクライスラーの立て直しにも成功したアイアコッカ氏が残した名言から、従業員のやる気を引き出せることが優秀な経営者の資質であると考えられる。
アイアコッカ氏は「利益しか生まないビジネスはむなしいビジネスである」とも言っていて、自身の仕事に情熱を持って臨んでいた。
■これは名言か? でも印象には残る!
●「私は母親を殺してしまった」―エンツォ・フェラーリ
いわずと知れたスポーツカーメーカーのフェラーリは、1920年にアルファロメオのテストドライバーとしてキャリアをスタートさせたエンツォ・フェラーリ氏によって創業された。
テストドライバーからレースドライバーに昇格したエンツォ氏は好成績を残し、レーサーからチーム運営に転身した後もアルファロメオとの関係は続き、自らのチームでアルファロメオ製マシンを使用していた。
やがてその関係も終幕を迎え、エンツォ氏は1947年に自身の名を冠するレース&ストリートカーメーカーを創立する。
自社のマシンでのレース活動も開始し、1951年のF1イギリスGPで宿敵となったアルファロメオを下して念願の初優勝を飾った。
この時にエンツォ氏が残したのが冒頭の「母親を殺してしまった」だ。
エンツォ氏にとってアルファロメオが、そこまで大きな存在であったことがわかる。
今回は古今東西の自動車メーカー経営者の名言を振り返ってみたが、いずれの言葉にも含蓄があり、我々が範とすべき点も多い。
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