1960年代後半、世界は様々な変革を迎えていた。自動車業界でも新たな動きが見られた。フォルクスワーゲン(VW)においては、『ビートル』の後継車が模索されていた。のちの『ゴルフ』だ。エンジニアやデザイナーたちは、大小さまざまな新型車のアイデアを練っていた。

実はビートル後継車には、VWにとって新型車1車種以上の使命が課せられていた。ビートルのアメリカへの輸出に収益を依存している状況はリスクをはらんでおり、1964年にアメリカから帰国し取締役に就任したカール・H. ハーン(後に会長)は「ビートルが心臓発作を起こせば、私たちの終わりを意味する」と当時述べている。ビートルの空冷エンジンや、リアエンジンで後輪を駆動するレイアウトも旧態化していた。

ビートル後継車の開発作業は、この後、1960年代後半にウォルフスブルクで始まった。例えば、試作車の一つ「EA 266」は、車体中央床下にエンジンを搭載するユニークなフォーマットだった。1970年代初頭までは、実験や開発、そして選択肢の排除の連続だった。当時デザイン開発の先駆者だったイタリアのスタジオ、ベルトーネ、ギア、イタルデザイン、ピニンファリーナも関与していたという。

1970/71年ごろには、ビートル後継車の基本要件が確立していた。それは、フロントに4気筒直列エンジンを搭載し、トランスミッションもフロントに配置し、時代で古びないボディデザインを組み合わせる、というものだった。

いくつかの試作車の中で、1969年の「EA 276」は、後のゴルフの多くの特徴を備えていた。フロントエンジン、大きなトランクリッド付きのハッチバック、トーションビームアクスルなどである。ただボンネットの下には、ビートルと同じ空冷ボクサーエンジンが搭載されており、信頼性と低コストが重視されていた。

しかし空冷の時代は終わりを告げつつあった。EA 276のデザインは先駆的だったが、量産に向けて別のコンセプト車両がさらに開発され、新型車のデザインはジョルジェット・ジウジアーロ(イタルデザイン)が手がけることになった。

ついに新たな時代がゴルフで始まった。フロントエンジンと前輪駆動の時代だ。なお、この動きは、VWでは1973年に発表された『シロッコ』と『パサート』によって始動していた。またVWで最初のフロントエンジン・前輪駆動車は、1970年に発表された『K70』だ。NSUが開発していたミドルクラスのセダンで、NSUがVWグループになったことから、ラインナップの刷新を準備していたVWブランドで発売されたのだった。ビートルを置き換えた事実、そしてその後の成功の大きさから“革新的”という文脈で語られがちなゴルフだが、“満を持して”の登場でもあったわけだ。

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