電線などの工事でみかける「高所作業車」は、身近な特装車の一つです。日本で普及が始まったのは50年ほど前からですが、いったい誰が考案したのか、どのように発展していったのかなど、実は高所作業車には謎が多いのです。その歴史を探ってみました。

文/トラックマガジン「フルロード」編集部
写真/アイチコーポレーション、新明和工業、カヤバ、フルロード編集部
※本記事は「フルロード」2024年春号収録記事を再編集・加筆の上、書き下ろしたものです

高所作業車のルーツは一つではない

犬塚製作所が1934年(昭和9年)に開発した「架線修理車」。東京市電が運行していた路面電車の架線保守作業用で、油圧昇降式の作業台を架装していた

 世界史上初の高所作業車は残念ながら不明ですが、直接的な始祖としては、街灯や電気鉄道の架線などの保守作業のため、馬車に梯子や作業台を固定したものだと思われます。これらは、街灯や電気鉄道が実用化された約140年前から存在していたかもしれませんが、やはり確証はありません。

 自動車に高所作業台を架装した高所作業車は、すでに約100年前(1920~30年代)には存在していました。用途は前述の『高所作業馬車』と重なっていたようです。上モノ(架装物)は、単純な梯子型(いわゆる純粋階段的なもの)や櫓式作業台型から、やがて作業台の高さを変えられる昇降タワー型などもつくられるようになりました。

 日本でも、1934年(昭和9年)に犬塚製作所が「架線修理車」を開発し、路面電車の架線作業用として納入した記録があります。これも昇降タワー型の高所作業車で、作業台を油圧モーターと滑車で昇降させるメカニズムをもっていました。なお、同様の高所作業車は、戦前の大手特装車メーカーである東邦自動車工業などでも製作されたようです。

 と、ここまで書いておきながら……ですが、私たちが日ごろ見かける高所作業車は、伸び縮みと旋回が可能なブームの先端にバケットがあって(便宜的にバケット付ブーム型と呼びます)、昇降タワー型とはまったく形が違っています。実は、昇降タワー型とバケット付ブーム型は、同じ「高所作業車」といっても進化の系統が異なるのです。つまり高所作業車のルーツは一つではないのです。

サクランボが生みの親!?

ジェイ・アイテル氏が開発した「チェリーピッカー」の特許資料に添付された図。テレスコ伸縮構造を持ったトラスブーム、人が乗る作業台のバケットに明示された操作用レバーがわかる

 いま我々が、電気工事や通信工事でよく見かけるほうのバケット付ブーム型高所作業車のルーツは、米・カリフォルニア州の電子技術者ジェイ・M・アイテル氏が1944年に発明した、「チェリーピッカー」だと考えられます。

 この「チェリーピッカー」には、テレスコピック式伸縮機構と旋回機構を備えた直伸式ブームの先端に、作業台となるバケットを取り付け、そのバケットに備えつけられた電気式レバー1本からブームの操作ができる……というメカニズムが備わっていました。これこそまさしく、いまの高所作業車に通じる仕組みです。

 その名が示すように、もともとはサクランボの収穫作業を効率化するために考案されたのですが、チェリーピッカーをトラックに架装した高所作業車は、米国の電力業界や電信業界から大いに注目を集めました。特許を取得したアイテル氏は、高所作業車メーカー・テルスタ社を起業し、チェリーピッカーの製品化と供給を始めました。

 アイテル氏は、チェリーピッカーの特許のうち電気式レバー操作システムについて保持しましたが、ブーム装置については早々と放棄しました。そのため1950年代の米国では、電工系/通工系の高所作業車として、バケット付ブーム型が急速に普及することができたとみられます。この動きは欧州へも波及し、1950~60年代にかけて、今日へと続く高所作業車メーカーが誕生していきました。

日本のバケット付ブーム型高所作業車

新明和工業が1958年に開発した「油圧式大型高層作業車」。屈折式ブーム型だが詳細は不明。ベースシャシーは日産のボンネット型5t積トラック・ニッサン580型のようだ。同社は、昇降タワー型、垂直リフト型、起立タワー型、ラダー型、シザース型など各種を開発、後年には直伸式ブーム型も製品化し、ユニークな移動式アウトリガもリリースした

 我が国では昭和30年代(1955年以降)から、電力需要の拡大ならびに固定電話の加入が増えたことで、電気工事および通信工事の需要が増大しました。これらの工事は、作業者が直接電柱に登る、あるいは木で足場を組んで登る、というスタイルで、作業労力が大きい上に、感電・転落などの危険性が伴い、しかも工事に時間が掛かりました。

 その課題に対して、電力会社や通信会社では、絶縁素材でできたバケットを昇降することで、安全かつ迅速に作業が行なえる高所作業車の導入を進めることになります。

 チェリーピッカータイプのバケット付ブーム型は、1950年代後半に中部電力(直伸式ブーム)や新明和工業(屈折式ブーム)などで開発されたものが、どうやら始祖もしくはそれに近いと考えられます。これらの外見には米国車の影響も感じられるのですが、実際のところは不明。1961年にバケット付ブーム型を製品化したカヤバ(当時は萱場工業)は、米国の特装車メーカーと提携して、その技術を導入していました。

 現在のトップメーカーであるアイチコーポレーション(当時は愛知車輛)は、これらより遅れて1965年にバケット付ブーム型の高所作業車を試作、翌年に製品化しています。この当時の同社では、バケット付直伸式ブーム型および屈折式ブーム型に限らず、垂直リフト型、直進式ラダー型など様々な昇降メカニズムの高所作業車を製品化していました。

 1950年代から1970年代前半あたりまで、高所作業車というのはニッチでマイナーな特装車であり、保有台数も限られていました。しかし、アイチは高所作業車に注力することで、1970年代に圧倒的な業界シェアを得ていました。また、この頃になると、用途によって使いやすい昇降メカニズムが徐々に見出されるようになり、電工系/通工系ではバケット付かつ直伸式ブームへと収斂してゆきます。

 特筆すべきは、1975年に製品化したバケット揚程高13.5m級の直伸式ブーム機「スカイマスターSH135型」で、バケットの首振り機構とミニクレーン(ウインチ)装置を開発するとともに、それらを活用した新しい作業手順(工法)まで考案していました。これは、いまに続く日本の電工系高所作業車と工法のスタンダードを築くという、非常に画期的なものになったのです。

愛知車輛が1975年に投入した13.5m級の直伸式ブーム型高所作業車「スカイマスターSH135」。開発にはベテラン現場作業者も参加し、バケットに新機能として首振り機構、変圧器や絶縁油バケツといった重量物を扱えるミニクレーンを搭載、それを用いた新しい作業工法も併せて提示するなど、日本の高所作業車の歴史を変えた1台といえる

バケットだけではなくデッキタイプも登場

タダノが1994年に開発した11.5m級の高所作業車「スーパーデッキAT-115S」(製品カタログより)。積載荷重1tかつ広い作業スペースを備えるデッキは全周旋回が可能で、ブームの伸縮・旋回機能と組み合わせると、望みの位置へセットできた。道路インフラ整備などで好評を博し、新ジャンルを切り拓いたモデルである

 高所作業車には、電気工事/通信工事向け以外にも建設工事向け、信号機や標識などのインフラ保守用など様々な用途がありますが、日本では概ねバケット付直伸式ブーム型が主流となっています。理由はバケット上からの操作が容易であることが挙げられます。

 現在、国内高所作業車シェア2位のタダノは、40年前の1983年にこの市場に参入した最後発のメーカーですが、得意のクレーンブーム技術とその生産設備を活かした製品開発で、急速に存在感を高めていきました。

 中でも1994年に開発した「スーパーデッキAT-115S」は、ブーム先端にバケットではなく、大面積・高耐荷重の作業床(デッキ)を備えたもので、かつブームとデッキがそれぞれ全周旋回可能という、従来にない高所作業車でした。様々な用途を想定して開発されたモデルですが、その発売から間もなく発災した阪神大震災の復旧作業に貢献したことで、この種の高所作業車も、道路や電力などのインフラ保守で普及していきました。

 なお、1950~60年代に話を戻すと、高所作業車を開発した特装車メーカーには、東急車輛(現・東邦車輛)、森田ポンプ(現・モリタ)といった大手に加えて、地場のメーカーも存在していました。1980年代になると、さらに神戸製鋼や富士重工(現・スバル)も新規参入しました。しかし、1990年代までにほとんどが撤退し、さらに新明和、極東開発、カヤバも2000~2010年にかけて、高所作業車分野からあいついで撤退しました。

 ちなみにバケット付ブーム型ではない高所作業車もすたれたわけではなく、鉄道保線車両や航空機地上支援装備(GSE)の分野で発展を遂げており、前述の犬塚製作所や矢野特殊自動車では、用途に最適化されたシザース型などの高所作業車が生産されています。

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