昨今のバスの話題といえば、運転士不足による減便や路線廃止ばかりで、生活に影響が出るのでうんざりとは言いながらも無視できない話題でもある。このようなニュースが流れると一刻も早く自動運転バスの導入をという声が挙がるのだが、そう簡単な話ではない。

文/写真:古川智規(バスマガジン編集部)
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■自動運転を早く!

通常のバスと同様に自動運転でも運転士は必要

 運転士がいないのであれば、運転士が要らないようにすればよい。と考えるのは人情だ。実際にそのような声も多い。しかし実用上の実現には程遠いのが現状だ。

 鉄道では技術的にも実用的にも自動運転は実現している。一般的にはATOと呼ばれる技術があるが、自動運転が広く行われている。一例として東京では都営大江戸線、三田線、東京メトロ南北線あたりがワンマン運転で、車掌は乗務していない。

 必要であれば運転士が運転席のマイクで放送案内をする。車上モニターでホーム等の安全を確認して、ドア扱いをする。あとは運転士が発車ボタンを押せば、あらかじめ設定されたプログラムで電車は走り出し、所定の自動運転を行った後に次駅で自動停止する。これがいわゆる自動運転だ。

■根本的な勘違い

 ここまでお読みいただければ気が付いただろうが、自動運転でも運転士は乗務しているのだ。運転操作を手動でするのではなく、コンピューターに任せているだけで、運転士は1列車に1名ちゃんと乗務している。腕が鈍ってはならないので定期的にあえて手動運転を行っているが、一般的に自動運転とはこれのことを指し、バスであっても自動運転では運転士は必要なのだ。

 多くの方が考えている運転士が要らないのは「無人運転」のことを言う。これも鉄道では実用化されており、一例として東京では、ゆりかもめや日暮里舎人ライナーが採用しており乗務員は乗っていない。

 遠隔操作も含めての話だが、完全に無人化されている。これには全線が専用軌道で容易に人が立ち入れない構造で、駅が軌道と完全に分離されている(要はシェルター型の完全ホームドアで転落も立ち入りもできない構造)ことが求められる。

■バスで実用化されているのは?

自動運転と無人運転とは根本的に異なる

 さて、バスでの自動運転は実証実験を重ねており実用は難しくない。ただし緊急時のために運転士は必要だ。それでも大型バスでの自動運転はかなりの低速で、運転士が運転する路線バスにはまだ遠い。

 一方で無人運転も実証実験を遠隔監視の下で各地で行っている。しかし使用車両が大型のゴルフカート程度で、地方の巡回バス程度ならば今からでも営業可能だろうが、大型バスで一般の交通の中を現在の路線バスと同様に走るのは無理がある。

 またバスには駅やホームや改札がないので、無人で運賃を収受するにはあらかじめ電子決済を済ませてデジタル乗車券を発行するなどの新しい乗り方を採用しなければならない。これは二次元バーコードの発行やクレジットカードによるタッチ決済ですぐにでも実用化できそうだ。

 ただし、高齢者がこの方法で無理なく乗車できるかどうかは別の問題である。また安全のために立席を認めるのかどうかも問題だ。もし認めないのであれば、定員を超えた場合に無人でどのようにして「乗車拒否」を行うのかも課題だろう。

■専用道路なら可能?

 無理無理と言い続けても仕方がないが、全線にわたりバス専用道路なら無人運転も実用化できよう。なぜならば、そこには無人運転バスしか走っておらず、歩行者を含めて他の交通がないからである。無人運転バス同士が位置情報を交換しながら走れば、他の交通は「ない」のだから事故の危険はずいぶんと減る。

 しかしこれをやろうとした場合、バスのメリットがなくなってしまう。すなわち、道路さえあればどこでも路線を引けて走れるという、バスだけの特権的な手軽さが失われてしまうからだ。どうせ専用道路を作るのであれば、もっと乗客を乗せることができる路面電車やLRTを走らせた方が大量輸送に向いているのである。もっとも連節車の無人運転が実用化できればこの限りではない。

■当面は運転士不足の解決にはならない?

ダブルデッカーやハイデッカーが無人運転できる日はやってくるのか?

 以上の理由で、当面は自動運転は運転士不足解決にはならない。無人運転まで技術が進めば解決にはなるのかもしれないが、実用までに相当の時間が必要だ。現状ではその時間稼ぎをするだけの体力がバス業界にはない。

 無人運転の実用化を待つ間に生活路線がなくなり、バス事業そのものが成り立たなくなる恐れすらあるので、そんな時間的な余裕なないのだ。外国人運転士を採用するという話は二種免許学科試験の多言語化で制度的には可能だが、その議論は別稿に譲る。

 ただ、今のように円の価値が外貨と比較して安い現状では、母国で働いた方が割がいいと考えるだろうし、そもそも日本人の成り手は永遠に現れないことを考慮すべきだ。

 いつ何時、革新的な技術が確立するかわからない現代社会では、このように論じているうちに、ものすごいことが起こるかもしれない。いつのことのなるのかわからない、その技術を待ち願うのか、現実を見て事業の継続と生活の足を守る努力をみんなでするのか。我々が選択しなければならない時が迫っているのかもしれない。

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