注文を受けた魚だけ取る「完全受注漁」に取り組む富永邦彦さん

 注文を受けた分だけ魚を取り、消費者に直送する「完全受注漁」が注目されている。長時間労働が当たり前の漁業を変えようと、岡山県の30代の夫婦が2年前に始めた。労働時間と漁獲量は減ったが、仲卸を通さないため売り上げは増加。取りすぎた魚は海に返すため、適正な海洋資源の活用にもつながると期待される。(河野紀子)  瀬戸内海に面する岡山県玉野市の漁港。従来の常識を覆す漁業に取り組むのが、大阪府出身の富永邦彦さん(37)と、地元で漁師の娘として生まれ育った美保さん(37)だ。  邦彦さんは午前6時ごろ出港し、早いと昼過ぎには戻ってくる。鮮度を保つため、魚は1匹ずつ神経締めなどの処置をし、美保さんが梱包(こんぽう)してその日のうちに発送。午後3時ごろには帰宅し、3人の子どもたちとゆっくり過ごす。邦彦さんは「家族で一緒にご飯を食べて、お風呂に入って寝る。当たり前の幸せがうれしい」と語る。

邦彦さんが取った魚。処置した上でその日のうちに発送する=いずれも邦美丸提供

 ただ、以前は全く違う生活だった。会社員だった邦彦さんは、2008年の結婚を機に岡山に移り住み、義父に弟子入り。漁師の世界は想像以上に厳しく、早朝に漁に出て、市場に出荷して帰宅するのは夕方だ。売り上げは天候や漁獲量に左右され、収入面への不安から漁では取れるだけ魚を取った。  漁具の手入れも欠かせず、24時間不眠不休で働き続けたことも。子どもと過ごす時間はほとんどなく、疲労で家でも険しい表情でいることが多かったという。限界を感じて一度は海を離れた。だが、「何のために岡山に来たのか」と再挑戦。漁師として新しい働き方ができないか、夫婦で模索してきた。  朝取った魚を顧客に直送する試みをニュースで知り、16年からインターネットでの販売を開始。飲食店からの注文が中心だったが、コロナ禍が転機となり、個人からの注文が急増した。  「私たちは安定した価格で提供でき、お客さんはスーパーと同じくらいの値段で新鮮な魚を食べられる。双方にメリットが大きい」と美保さん。「あなたの専属漁師」をうたい文句に、22年に受注漁を試行すると、市場への出荷が主だった17年と比べて売り上げが倍に。一方、働く時間は1日15時間から半分になった。さらに、燃料費などのコストは3割減。手応えを感じ、翌年に受注漁を本格化させた。  2人の名前から取った「邦美(くにみ)丸」が屋号だ。ネットや交流サイト(SNS)などから注文を受け、漁に出る。取り扱うのは、2~4キロ入りの鮮魚ボックス(5680円、送料込み)など。大型連休などの繁忙期は、月400件の注文が入る。リピーターが多く、毎月届く定期便も始めた。  人気ユーチューバーが次世代の漁業モデルとして紹介した動画は再生回数が500万回を超えた。邦彦さんに弟子入りして、完全受注漁を始めたいという若者からの相談も相次いだ。先月、株式会社となり、近く30代の男性が見習いで働き始める予定という。  「昔ながらの働き方では漁師は減る。持続可能な漁業を追究していく必要がある」と邦彦さん。漁協や観光協会と協力し、地元で多く取れるクロダイを特産品化する計画もある。「将来的には漁協単位などで受注漁を広げていきたい」と思いを語る。

<漁業の担い手不足> 農林水産省によると、漁業就業者(15歳以上で年間に漁業の海上作業に30日以上従事した人)は減り続けており、2022年は約12万3千人。高齢化も課題で、65歳以上が4割近くを占める。また、気候変動による影響や乱獲によって資源不足も指摘される。同省によると、22年の漁業と養殖業の合計生産量は約391万7千トンと、30年前の半分以下に落ち込んでいる。




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