特集は創業から半世紀を迎えたラーメン店です。長野県諏訪市に本店を置く「ハルピンラーメン」。熟成させた「寝かせダレ」が味の決め手です。ファンに愛され「ご当地ラーメン」と呼ばれるまでになった理由と歴史を取材しました。


■甘くて辛い 唯一無二

特製のタレを器に入れ、豚骨や鶏ガラなどのスープと合わせたらちぢれ麺を投入。チャーシューやもやしを盛り付けたらー。

3代目(ハルピンフーズ社長)・山崎仁雷さん:
「はい、お待たせしました」

「ハルピンラーメン」の完成です。

タレが沈んでいるので麺を返しながら食べるのがコツ。

岡谷市から:
「おいしいです。甘くて辛いという寝かせダレの味、唯一無二かなと」


■味の決め手は秘伝の「寝かせダレ」

諏訪市のハルピンラーメン本店。

今年で創業50年を迎えました。


店主は3代目の山崎仁雷さん(47)。本店を含め県内で8店舗を展開しています。

3代目(ハルピンフーズ社長)・山崎仁雷さん:
「この味を作ってくれた父や母、50年間その時々で働いてくれた従業員とか、何よりもこの味を愛してくれているお客さまのおおかげで成り立っていることなので感謝しかない」


味の決め手は熟成させた秘伝の「寝かせダレ」。

これを入れた独特の甘みと辛さのあるスープが、長く支持されてきました。


■中国東北部の村で出会った「タレ」の味を再現

創業者は山崎さんの父・篤さん。1974年・昭和49年、上諏訪駅近くに最初の店を開きました。店の名を中国東北部の街から取ったのは篤さんの師匠とも呼べる人物に関係しています。

その人物は中国から帰還した元兵士の男性。中国東北部の村で出会った「寝かせダレ」の味を再現し、それを使ったラーメンの屋台を営んでいました。

その味にほれ込んだのが常連客だった篤さんで、タレの作り方を教えてもらい改良を加えて「ハルピンラーメン」を開発したと言います。

病気で篤さんが39歳の若さで亡くなってからは母・とし子さんが味を守り、20年ほど前、都内でラーメン店を営んでいた山崎さんが受け継ぎました。

3代目・山崎仁雷さん:
「母がしっかりやってくれていたハルピンラーメンが周りでもソウルフードと言っていただいて、ハルピンラーメンの息子にたまたま生まれてきたわけではないと自分は思っているので、俺は『これを世に広めていく』と『人生これでいこう』と決めたところから始まった」

■最低でも4年かかる

特別に「寝かせダレ」の仕込みの様子を見せてもらいました。

材料はニンニク、タマネギ、昆布、調味料など。ニンニクはしょうゆダレで漬け込んであります。熟成期間は「3年以上」。両親がたどり着いた「答え」だそうです。

3代目・山崎仁雷さん:
「(ニンニクは)最低でも3年、熟成・発酵させないと同じ味にならなかったので、そこはどうしても時間をかけてやらざる得ないという」


材料を専用の機械で混ぜ合わせます。

レシピは門外不出。山崎さんと限られたスタッフしか知りません。


混ぜ合わせたら1年寝かせます。

倉庫には熟成用の樽が幾つも並んでいました。

3代目・山崎仁雷さん:
「(ニンニクを)3年以上寝かせて、その寝かせたニンニクとタマネギだとか、いろいろな食材を混ぜ合わせて、さらに、1年寝かせてタレが完成する。最低でも4年かかるという、面倒臭いラーメンです」


麺も自社製。季節などに応じて小麦粉の量を調節しながらスープに絡むちぢれ麺を作っています。

ハルピンフーズ・矢崎一俊 取締役工場長:
「季節により、麺が全く同じものを作るのは難しく、天気によってもそうですし、お客さまにおいしいと言っていただけるために、日々調整しながらやっていってます」


■どこにもない、くせになる味

こだわりはオープン前にも。毎日、営業前にハルピンラーメンとタレを増量したもう一つの人気メニュー「ニンニクラーメン」を従業員たちが試食します。

従業員:
「おいしいと思います」

味に変化を感じたら、麺のゆで具合やスープの濃さを調整。山崎さんに報告して仕込みを見直すこともあるそうです。

3代目・山崎仁雷さん:
「(寝かせダレの)樽により、同じように作っているがワインみたいなもので、多少出来、不出来がある。お客さまのストライクゾーンにはまるように毎日調整している」


こうして提供されるラーメンはー。

市内(ニンニクラーメン注文):
「どこにもない味、クセになっちゃって、どうしても月に何回か来たくなっちゃう」

松本市から(ニンニクラーメン注文):
「諏訪に来たら、ハルピンのニンニクラーメン食べたいなと思って。ニンニク臭くもなくて、ちょっとピリ辛のところがあって、大好きな味ですね」


こちらはタレをハルピンラーメンの3倍入れて作る「並木ラーメン」。

常連客に人気です。


常連客:
「辛いですね、汗とかかきますね。一番最初はハルピンラーメンで、一回並木ラーメン食べてから、並木しか食べられないみたいな」


■親子で守ってきた唯一無二の味

親子で守ってきた唯一無二の味。それをいつ来ても同じように食べられるように企業努力も続けてきました。それが半世紀経った今、ご当地ラーメンと呼ばれるようになった理由のようです。

3代目(ハルピンフーズ社長)・山崎仁雷さん:
「父母から受け継いだバトンを持っている状態だと思うので、もし100年続くのであればちょうど折り返し地点。自分のタレを使って、お客さまがワクワクしたりだとか、本当においしいという時は幸せで、そういう場面を多くつくれたらなというのは考えて、日々やっています」

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