増田ユリヤさん
イスラエルとハマスの大規模な衝突が始まってから8カ月余り。終結への道のりは、まだ見えてこない。この1月に『チョコレートで読み解く世界史』を執筆したジャーナリストの増田ユリヤさんは、チョコレートが世界中に広まっていった要因として、カトリックに弾圧されたユダヤ人との関係があるという。「ヨーロッパとキリスト教の歴史から今の世界情勢が見えてくる」と語る増田さんに、世界情勢を読み解くための視点を聞いた。

パレスチナの人たちはこれだけ殺されなければいけないのか

イスラエルのネタニヤフ首相は、ハマスを殲滅(せんめつ)させるまで戦うと言っています。また、アメリカは、パレスチナに対する人道支援を行っているのに、国連の安全保障理事会では拒否権を使って停戦の実現を妨げています。

どちらの国も何を基準にこういう判断をするのか、非常に分かりにくいですよね。

私自身、これまで何度かイスラエルを訪問し、イスラエルの人たちの話を聞く一方で、パレスチナの人たちの声にも耳を傾けてきました。

イスラエルの人たちとしては、ほんの少しでも危険だと感じることは排除しておきたい。そこで、パレスチナ自治区、つまりガザ地区やヨルダン川西岸地区を壁で囲い、その中にパレスチナの人たちを閉じ込めるような形をとったんです。

昨年は、イスラエルとパレスチナの二国家共存を目指したオスロ合意から30年という節目の年でしたが、和平交渉は進まず、アメリカのトランプ政権時代には、ヨルダン川西岸地区にユダヤ人入植地を造ることが加速しました。軍事力では圧倒的に優位な立場にあるイスラエル。それでも、こうしたイスラエルの行動に対抗する形で、ハマスによるイスラエルへの砲撃などが散発的に行われてきました。しかし今回ほど、お互いが非常に大きな犠牲を出すようなことはなかったのです。

ハマスによるイスラエルへの攻撃は、明らかにテロ行為です。しかし、だからといって、3万人を超えるパレスチナの人たちが、無差別に殺されていいはずはありません。イスラエルのやっていることはジェノサイド(大量虐殺)だと批判する声も出ています。

言うまでもなく、ユダヤ人には長きにわたって迫害されてきた歴史がある。だから、ユダヤ人の国をつくることは、大事なことだったと思います。

でも、イギリスをはじめヨーロッパの国々が、そこにすでに住んでいたパレスチナの人たちの存在があるにもかかわらず、ユダヤ人国家を建国する約束をしてしまったわけですよね。

中東戦争まではキリスト教の人もイスラム教の人も住んでいた

第2次世界大戦が終わった時、現在のイスラエルがあるパレスチナ地方はどういう状況だったのか。もちろん、壁などありませんし、キリスト教徒も、イスラム教徒も、ユダヤ教徒もこの地に住んでいたのです。しかし、いざ、イスラエルが建国されることとなり、その直後に中東戦争が起こると、ユダヤ人以外の住民の多くは、難民として近隣の国に逃げなければならなくなった。

先日、ニューヨークでパレスチナ難民の両親を持つ男性に話を聞いたとき、てっきりイスラム教徒かと思い込んでいたら、彼の家族はみな、東方正教会(キリスト教の宗派)の信徒だと聞き、驚いたことがありました。彼の両親は、「壁がなくても平穏に暮らしていた時代を自分たちは知っている。なぜ、その時代のように一緒に暮らせないのか」と現在の状況を嘆いているといいます。

しかし、私たちが日本でニュースを見ている限りでは、イスラエルはこうだ、パレスチナはこうだ、ハマスはこうだといった、はっきりした分かりやすいものしか見えてこないんですよね。

じゃあそこに至るまでの過程でどういうことがあったのかということにも思いをはせる必要があるのではないかと思うんです。

ホロコーストは、前代未聞の大虐殺だったわけで、ユダヤ人がそれを許せないと思う気持ちは、当然のこととして理解できます。だからといって、イスラエル建国によって住む場所を失い、現在のような状況に追い込まれている人々を、ハマスの殲滅(せんめつ)のためには殺していいといえるのでしょうか。

複数の国で、指導的立場にあるユダヤ人の方々に話を聞いてきましたが、みな「イスラエルは平和を望んでいる。しかし、ハマスは平和など望んでいない。われわれは、人質を解放してほしいだけなのだ」と言います。

しかし中には「殺されたガザ地区の人々がハマスでないと、何をもって判断するのか。ハマスは軍隊組織ではないから制服もないし、あらゆる場所で武器や地下トンネルの入り口が見つかっているではないか」と声を荒らげて、自分たちの行為は正当なんだと主張する人もいました。これでは、オスロ合意はおろか、二国家共存など夢のまた夢だと思わざるを得ません。

ステレオタイプの理解だけではなく、実態から理解する

拙著『チョコレートで読み解く世界史』(ポプラ新書)でも書きましたが、チョコレートがヨーロッパの一般の人たちに伝わったのは、皮肉な話ですが、キリスト教の人たちによるユダヤ人の迫害があったからこそなんですよね。ヨーロッパの歴史はキリスト教の歴史だとよく言われますが、私たちが学校で習った歴史上の出来事の中で、別の角度から、ユダヤ人がどんな経験をし、どんな環境の中で今日まで生きてきたかということを知ることで、現在起きていることの根本にある問題を少しは理解できると思うんです。

今は、ハマスというイスラム組織との対立になっていますけれども、歴史を知った上で、「なぜ今はこのような状況になっているのだろうか」ということを考えてみてはいかがでしょうか。

さまざまな当事者の声を大切にする

「公式 池上彰と増田ユリヤのYouTube学園」の取材で、ハンガリーのブダペストで、ホロコーストを経験した女優エーヴァさんにお話を聞いたことがあります。

ホロコーストを経験した女優のエーヴァさん。悲惨な経験をしたのに、それでも「憎しみの連鎖は断ち切らなければならない」「人の命を奪うようなことは絶対にしてはならない」と語る(写真提供:増田ユリヤ氏)

取材したのは2022年の夏。当時彼女は95歳でした。高校生の時にホロコーストに遭って、同級生の女の子2人と一緒に、ハンガリーからポーランドにあるアウシュビッツ強制収容所に連れて行かれたんですね。アウシュビッツは多くのユダヤ人が虐殺されたことで知られています。しかしエーヴァさんたち3人は、「絶対に生き残るんだ」「そのためには役に立つ人間になろう、私たちはこんなに働けるという姿を見せよう」と死に物狂いで頑張って、強制労働を目的とした別の収容所に移されて、3人とも生き延びるんです。

でも戦争が終わってハンガリーに帰国すると、家族は全員亡くなっていました。たった1人、医師のおじが隣国スロバキアに生き残っていて、そこに身を寄せたそうです。その後も必死に生きてきましたが、70歳を過ぎるまで、苦しかったホロコーストの経験を口にすることは一切ありませんでした。

エーヴァさんの気持ちを変えたのは、ある日、アウシュビッツ収容所跡を訪ねた時のことです。現在は博物館として整備されていますが、「こんなんじゃなかった。こんなにきれいじゃなかった。あの場所は草一本生えないほど荒涼として殺伐とした所だった」と当時のことが強く思い出されたのです。

真実を知っている私が、ホロコーストを語らなければいけない。そんな強い思いから、ご自身の経験を語り始めたのです。

インタビューをしたのは、ハンガリーの隣国ウクライナとロシアの戦争が起きた時で、まだイスラエルとハマスの衝突は始まっていませんでした。

ホロコーストという悲惨な経験をしたエーヴァさんなのに、それでも「憎しみの連鎖は断ち切らなければならない」「人を人為的に、銃などの武器を使って殺してはならない。人の死、それ自体は自然なことだけれど、人の命を奪うようなことは絶対にしてはならない」と言うのです。

エーヴァさんの思いを、大事にしていかなければいけないと強く思いました。

同じユダヤ人でも、イスラエルに住む人たちの中からは、こんな声も聞こえてきました。

「パレスチナの人たちに対するイスラエルの行為は良くないことだと分かっている。でもパレスチナの人たちの生き方はどうなのか。政府だって汚職がまん延して機能不全の状態だし、そもそもちゃんと働こうとしないし、経済的に自立しようとしてこなかったじゃないか」と。

つまり、「パレスチナの人たちが安心して生活できないのは、彼ら自身の問題でもある。機能不全の政権に対して、なぜ抗議活動をして変えようとしてこなかったのか。自業自得だ」と言うイスラエル人がいるわけです。

ハマスが今回攻撃に踏み切った一因は、2023年夏、ガザ地区でハマスに対する抗議デモが行われたことだともいわれています。これまで強権的にガザ地区を支配してきたハマスに対して、住民たちが反発することなどはなかったからです。

チョコレートで読み解く世界史 (ポプラ新書 253)
  • 著者 : 増田 ユリヤ
  • 出版 : ポプラ社
  • 価格 : 1,078円(税込み)

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増田ユリヤ
ジャーナリスト 神奈川県出身。国学院大学文学部卒業。私立高校の社会科講師のほか、NHKでリポーターなどを務めた。国内外の政治・教育問題を中心に取材している。著書に、『チョコレートで読み解く世界史』(ポプラ新書)や、池上彰氏との共著に『歴史と宗教がわかる! 世界の歩き方』(ポプラ新書)などがある。

(取材・文:笠原仁子、写真:鈴木愛子)

[日経BOOKプラス2024年3月26日付記事を再構成]

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