小説を上梓したばかりの、ふかわりょうさんにお話を聞きました(撮影:梅谷 秀司)40歳の独身男性が、結婚をするために、いいひとを辞めて、サイテー男を目指すーー。お笑い芸人、番組MC、DJ、エッセイスト……さまざまな顔を持つふかわりょうさんが初の書き下ろし小説『いいひと、辞めました』を上梓した。コンプライアンス全盛の今、ふかわさんが描き出したかったものとは。今の時代だからこそ生まれた作品の背景と思いを聞いた。

10年前には書けなかった物語

世の中のモテている男は、なぜかサイテー男ばかり。

誰からも「いいひと」と言われる四十路の主人公・平田が、結婚をするために「いいひと」を辞め、サイテー男になることを目指して、「サイテー男養成所(通称、クズ専)」に通うーー。

そんなふかわりょうさんの書き下ろし小説『いいひと、辞めました』では、ひとクセもふたクセもある人たちが、この令和の時代にちょっと人前で口にするのは憚(はばか)られるようなセリフを吐き、行動をする。

しかし、不思議と、そこに嫌悪感はあまりない。

それは登場人物たちの憎めないキャラクターによるところもあるが、ふかわさんが描き出した世界観が、“今の時代に読むべきもの”として目の前に広がっているからだろう。

「無自覚に、時代の風って浴びていると思うんです。それに自分の思想や価値観、おもしろがっていることって、時代との交差点のような場所にあると思うんですよね。

自分の頭の中に散らばっているものや言葉が、時代の風向き、時代の風によって作られた渦に乗って集まり、その交差点でできたのが今回の作品。そういう意味では、10年前にはこういう作品は作らなかったと思う」

小説として着手したのは1年以上前のこと。

それなりの時間や工程を経ているが、書き出した頃より「その渦が、より強くうねり出した実感はある」という。

あえてコンプラ無視の内容に

ふかわさんといえば、お笑い芸人として「小心者克服講座」でブレイクし、現在は番組MC、DJ、エッセイストなど、独自の視点と感性を武器に幅広いジャンルで活躍している。

「普段、仕事をするうえでコンプライアンスは無視できませんが、今回の作品では特に意識していません。むしろ、人々がそういうものに直面したときに、どう受け止めるか。(そこを描きたくて)ルールはそんなに重視していない」そうだ。

もともと、「いいひと」という言葉に興味があったというふかわさん。

しかし、「10年前には時代の渦ができていなかったので、仮に『いいひと、辞めました』という同じタイトルで小説を書いたとしても、中身は違うものになっていた」という。

(撮影:梅谷 秀司)

同じ『いいひと、辞めました』という題材で、10年前のふかわさんと、今のふかわさんではどのように描き方が変わっていたのだろうか?

「教科書に載るような偉人たちが功績を残している一方で、プライベートは破綻していたりする。

現在、そういう事象を、たびたび耳にします。今、そういった現象に直面したとき、社会はどのように判断するかという局面に来ている。そういうところは10年前だったら、多分織り込んでいなかったと思う」

たとえば、作品の中では、ドストエフスキーやベートーベン、石川啄木など、誰もが知る世界の文豪や作曲家、画家たちのサイテーな私生活のエビソードがずらりと並ぶ。

「過去の偉人たちは、ファンタジーになっちゃってるわけじゃないですか。

天才だったら何をしてもいいとは思っていないですが、A面を享受している私たちが、ひとたび、B面が気に入らなくなった時に、そのレコード自体を破棄してしまうのですか?と。今、そこを問われている気がするんです。

B面があるからこそ、A面がある。そのことに、もう少し冷静に向き合いたいなと思っている」

小説だからできた表現

近年は、エッセイを立て続けに発表していたふかわさんだが、今回は小説。

そのため、自分のことを書くわけではないという前提がありつつも、「小説だからこそ、エッセイでは書けないこと、つづれない本音の部分もある。

それはあくまでも僕側のモチーフであって、読者にはあくまでエンタメ作品として楽しんで欲しいです。

ただ、そういうモチーフがあることが、自分の中で執筆のモチベーションになる」

とはいえ、登場人物たちに具体的なモデルはいない。

「曲づくりと一緒で、自分の中に完全オリジナルがあったとしても、これまで無意識に吸収してきたものが、何らかの形で投影されていると思うので、小説もそれと同じだと思う」

(撮影:梅谷 秀司)

前述の通り、ふかわさんのアウトプットする領域は、テレビ、ラジオ、音楽、エッセイなど幅広い。

ふかわさん自身が経験したこと、感じたことをどのように出し分け、使い分けているのだろうか?

「僕自身、“原液”は1つしかない。テレビではこれくらい薄めて、ラジオではこれくらいの濃度で……と、あるのは濃度やフィルターの違い。

僕の奥底には、幼少期の頃から原液のようなドロドロッとしたものがあって、それの希釈の違いだけなんです。

たとえば、テレビだったら、自分がMCで出るときとゲストとして出るとき、自分の話をするときと人の話を聞くときなど、その濃淡はその瞬間瞬間で変わるものかもしれないけれど、その都度判断している。

ラジオ番組にゲストで出るといっても、その場にいる人が誰なのかによってどう振る舞うかが変わってくる。

どちらかというと音楽セッションに近い。こういう楽器が並んでいるんだったら、こういう音色で行こうと。

どこに行っても一緒のキャラクターで通せる人っているじゃないですか。僕は逆で、割と自動で周囲に合わせて変化するタイプ」と自身を分析する。

時代とともに変わるもの

「かつて『芸人は不幸であれ』とテレビプロデューサーが言っていた。それが1つの尺度だとしたら、30年前の不幸と、今の不幸は違うんですよ。もしくは、おもしろい不幸とおもしろくない不幸がある。

昔笑えていたものが、今は笑えなくなる。

何がおもしろいかは時代とともに変わる。

僕は、服装こそいつも同じものばかり着ていますが、流行に敏感な女の子と同じように、そういうものに敏感になりがち。ある種、職業病に近いですね」

(撮影:梅谷 秀司)

そんなふかわさんも、今年でテレビの世界に入って30年という節目の年を迎える。

「テレビの役割も30年前とは変わってきたし、僕自身も歳を重ねて、今後は文章表現のウエイトが高まっていく予感があります。

アウトプットの場所によって、濃淡、希釈の割合は変わってくるんですけど、今後は、文章表現や書籍という舞台で表現する熱量や思い、機会は増えていく気がしている。割と重心が移動してきている」

ギリギリの縁を歩くのが楽しい

最後に表現者としてのふかわさん自身が、今の世の中に息苦しさを感じていないのか聞いてみた。

『いいひと、辞めました』(新潮社)。書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします。

「ざっくりいうと、楽しんでいますね。そのギリギリの縁を歩くのが楽しいというか、無法地帯が一番楽しくないと思っているので。

(俳句や短歌の)五七五とか、五七五七七とか、それなりの枠組みの中で自由を享受する。それを窮屈と捉えるか、広がりと捉えるかは人それぞれ。

今後はむしろ、新たな価値観が生まれるのではという期待のほうが大きいですね。

ただ、世の中には、コンプライアンスを盾にしておかしくなっていたり、全然それとは違う考えを振りかざしている人がいるので、それは邪魔だと思います」

新しい価値観が生まれる瞬間に、ふかわさんが何をみて、何を発信しているのか。まさに、その第一歩が今なのかもしれない。

ふかわりょう
1974(昭和49)年、神奈川県生まれ。
慶應義塾大学在学中の20歳でお笑い芸人としてデビュー。長髪に白いへア・ターバンを装着し、「小心者克服講座」でブレイク。後の「あるあるネタ」の礎となる。
以降、テレビ・ラジオほか、DJや執筆など、その活動は多岐にわたる。
2024年3月19日、初の書き下ろし小説『いいひと、辞めました』を発売。近著に『ひとりで生きると決めたんだ』『世の中と足並みがそろわない』(新潮社)、アイスランド旅行記『風とマシュマロの国』(幻戯書房)など。

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