長崎市は原爆資料館の展示更新に向けたワークショップを始めました。
小学生、留学生を含む学生、一般の3回に分けて実施予定で、初回は城山小学校の子供たちが意見を出し合いました。
長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)中村桂子准教授
「資料館に来た人たちが原爆のことも、これが大変だということも分かった。だけど自分たちで(核兵器を)なくすことができるんだ。よし、何かやってみようかな。みたいに思うようになるにはどうしたらいいかな」
ワークショップは、原爆資料館の展示更新に向けて利用者の視点を広く取り入れようと
長崎市が開きました。
初回は長崎市の城山小学校5年生およそ80人が参加しました。
子供ならではの目線で展示を考えます。
児童
「回せるようにしたらいいと思う地球の裏側も核兵器を持っている国があると思うのね。だから回して分かるように地球儀方式にしたい」
市が見直しを検討しているのは、主に核兵器をめぐる国際情勢などを解説したり、原爆に関する映像などを上映するエリアです。
展示更新に向けて、市が来館者にとったアンケートで小学生からの回答は1人で十分に声を拾えなかったことが課題でした。
子供たちは18日の資料館の見学で感じたことや気付いたことを共有しました。
児童
「身長が足りなくて見えなくなったりしたので、画面の(位置を)もっと下にしてもらった方が分かりやすいと思う」
児童
「最後の文章に「あなたはどういうことだと思う?」など、問いかけをした方が考えやすい」
より幼い子供や障害のある人など資料館を訪れる様々な人の視点に立って新たな展示の方法を考えました。
「見学者」としてだけでなく、「伝え手」としての視点は、市が城山小の児童をワークショップの対象に選んだ理由で6年間の平和教育で培われています。
城山小学校 松尾直樹教頭
「874回平和祈念式を開式します」
城山小では毎月9日に「平和祈念式」が開かれ、全校児童が出席します。
(※休みの場合は9日の前後に開催)
城山小 井上美由紀先生
「「子らのみ魂よ」の歌詞の意味についてお話します」
6月は、原爆の犠牲になった子供たちを偲び歌い継がれてきた曲について学びました。
平和祈念式は1951年(昭和26年)から続く伝統です。
学び舎のすぐそばには旧城山国民学校校舎があります。
79年前の惨状を今に伝える国の指定史跡のひとつです。
学校は爆心地から500メートルの距離にあり、原爆で児童や教職員、それに学徒動員の女学生など1400人以上が亡くなりました。
校舎の大部分は取り壊されましたが、一部残った階段棟は1999年に平和祈念館として生まれ変わりました。
城山小被爆校舎平和発信協議会 山口政則会長
「中に入ってもらって当時の惨状を皆さんに訴える一番大切な遺構として残されている建物がこれ」
修学旅行生や観光客など年間およそ3万人が訪れています。
市は現在、立ち入り禁止となっている3階部分を公開したいと考え準備を進めています。
城山小学校の6年生は、この被爆校舎を県外の修学旅行生などに案内します。
城山小被爆校舎平和発信協議会 山口政則会長
「延々と「平和は城山から」この活動が今後も続いていていってくれると思う」
19日のワークショップでも新たな技術を使って被爆の実相を伝えたり、来館者が平和への思いを書き込んだり、共有できる場がほしいといった「伝え手」としての意見が出ていました。
児童の発表
「(原爆がさく裂したときの)風の強さや温度が分かるもの、と言ったが、プラネタリウムみたいに360度映像があるようなものがあったらいいと思う」
長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)中村桂子准教授
「受け身だけではない、自分たちが感じる。さらにそれを伝える側になる。主体者になるというところは実は今までの資料館の大きく欠けていた部分であることは間違いない。被爆者なき時代の境目に立っている過渡期の人間として、今、真剣に何が変わるべきか、何を変えてはいけないかを見極めて、見定めていかないといけない」
ワークショップはあと2回開かれる予定です。
7月は留学生を含む長崎大学の学生、8月は 公募で選ばれた市民などが対象です。
市は、これらの意見を踏まえて2024年度中に基本設計をまとめたいとしています。
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