いつの日かGⅠレースを駆ける馬を生産したい――。薩摩半島南部の鹿児島県南九州市でサラブレッドを育てる22歳の女性牧場主が今月、手塩にかけた1歳の牡馬を初めて競りに送り出した。育成の本場・北海道から遠く離れた地での奮闘を支えるのは、子どもの頃から親しんできた馬への情熱と、周囲の協力だった。
元々は畑だったという約100平方メートルの放牧場。ここで馬の顔や背をなでて面倒をみていた吉永彩乃さん(22)は「私が怒ったら馬も怒るし、世話をしたら、した分だけ返してくれる」とほほえんだ。
馬との出会いは小学生の時だった。同市の自宅近くで肉牛牧場を営んでいた祖父母がポニーを飼い始め、吉永さんはその背に乗って遊ぶようになった。
乗馬は次第に上達し、日本中央競馬会(JRA)主催で小学4年~中学1年生が対象の全国ポニー競馬選手権「ジョッキーベイビーズ」に挑戦。九州地区予選を勝ち抜き、全国大会には小学4年生だった2011年から計3回出場した。
全国大会の舞台は日本ダービー(東京優駿(ゆうしゅん))などのGⅠレースがある東京競馬場。競馬史に残るドラマを生んできた長い直線で風を切ると、スタンドから歓声が響き、レースの間、高揚感を抑えられなかった。「将来は絶対に馬に関わる仕事をするんだ」。一時はジョッキーを目指したが「日ごろから馬に接する仕事の方が、自分の性格に向いているのではないか」と考え、生産者を志した。
県内の普通科高校を卒業すると、単身で競走馬生産が盛んな北海道浦河町へ。育成牧場で1年間働き、レースにデビューする馬の送り出しに関わった。
その後、帰郷。祖父母が残した肉牛牧場を馬の飼育場所と見定め、22年、つてを頼って競走馬上がりの繁殖牝馬3頭を手に入れた。並行して牧場で肉牛の生産を始めることで、若手の新規就農者を支援する国の経営開始資金(年150万円で最長3年間)が活用でき、当面の生計のめどもついた。20歳の春のことだった。
牧場運営は自分一人。餌やりや爪とぎ、ふんの掃除などの世話に朝から晩まで追われた。それでも、自分の育てた馬がレースで疾走する姿を思い浮かべると自然と力がわいてきた。23年4月には初めて子馬が誕生し、命のつながりに手応えを感じた。
手がけた子馬のうち1歳の牡馬が6月18日に競りにかけられ、熊本県の馬主が150万円で購入した。父は米GⅠで勝った経験があるスクワートルスクワート、母は地方競馬を駆けたレモンソーダ。生産による初めての収入を得た吉永さんは「買い手が付いてホッとした。大切に、長くレースで活躍させてもらえるとうれしい」と願う。
九州の生産者でつくる九州軽種馬協会(鹿児島県大崎町)の担当者は「吉永さんほど若い女性が一人で馬を生産する例は、全国でも珍しいのではないか」という。まだ競走馬の生産一本では生活できず、経営開始資金も今年度いっぱいでなくなるため、運営は綱渡りだが、県内の牧場で働く先輩たちは「一生懸命だからつい応援したくなる」と吉永さんに惜しみなく技術を伝えている。地域の支えも受け、「天職」を続ける覚悟だ。
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身のこなしが軽く、レースに適した馬は「軽種馬」と呼ばれる。農林水産省の資料によると、年間8000頭近くが生産されている。ほとんどはサラブレッドで、生産牧場や育成牧場で調教を受けながら、競りなどを通し馬主に渡る日を待つ。
2歳になると厩舎(きゅうしゃ)に預けられ、調教師がレースに強い馬に仕上げてデビューの日を迎える。中央競馬には2023年末現在で9185頭の競走馬が登録されている。
軽種馬は広大な土地を生かせる北海道が生産頭数の98%を占め、九州は熊本、宮崎、鹿児島の3県合わせても1%ほど。それでも気候が温暖で、青草が一年中生えるという北海道にはないメリットがある。
近年は九州産の馬も活躍し、24年4月にあった中央競馬の障害GⅠレース・中山グランドジャンプでは、熊本産の競走馬イロゴトシが23年に続く連覇を果たした。中央競馬や佐賀競馬では九州産馬限定レースも開催されるなど、存在感を発揮している。【梅山崇】
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