AIの恩恵を最も受けるのはスキルの低い労働者、と新説を唱えるデビッド・オーター教授(写真:Christopher Jones/The New York Times)

デビッド・オーターがAI楽観主義者というのは意外に思える。マサチューセッツ工科大学(MIT)の労働経済学者であるオーターは、テクノロジーと貿易が長年にわたってアメリカの労働者の所得をどれだけむしばんできたかを示す綿密な研究でよく知られる。

ところが、そのオーターが今、テクノロジーの新たな波、つまり極めてリアルな画像や動画を生成し人間の声や文章を違和感なく模倣することができる生成人工知能(AI)は、そのような傾向を逆転させる可能性があると主張しているのだ。

「AIはうまく使えば、オートメーションとグローバリゼーションによって空洞化したミドルスキル労働者、すなわちアメリカの労働市場の中心にある中産階級を修復する助けとなる」。オーターは2月に『ノエマ・マガジン』で発表した論文にそう書いた。

高所得エリートの仕事をAIが「一般開放」

AIに対するオーターのこうした見解は、テクノロジーが労働力にもたらす犠牲に関する長年の専門家のものとしては驚くべき転向と映る。これに対しオーターは、事実が変わったため、自身の考えも変わったと述べた。

オーターによると、現代のAIは根本的にこれまでのものとは異なるテクノロジーであり、新たな可能性への扉を開くものだという。AIは、重要な意思決定の経済条件を変えうるもので、現在は医師、弁護士、ソフトウェアエンジニア、大学教授といった高所得エリートの専門家が担っている仕事の一部をより多くの人々が引き受けられるようになる、とオーターは続けた。

大卒でない人を含む、より多くの人々が一段と付加価値の高い仕事をこなせるようになれば、彼らの所得は上がり、より多くの労働者が中産階級に引き上げられるというロジックだ。

「アメリカ労働者のアカデミックな代弁者」とかつて『エコノミスト』誌が評したオーターは、ソフトウェア開発者としてキャリアをスタート。コンピューター教育の非営利団体のリーダーを経て経済学者となり、テクノロジーとグローバリゼーションが労働者と賃金に与える影響を数十年にわたって研究してきた。

現在59歳のオーターは、2003年に過去30年間で大卒労働者に生じた需要シフトの60%はコンピューター化に起因すると結論づけた影響力ある研究の著者だ。その後の研究では、賃金を二極化させたり雇用の伸びを低賃金サービス業に偏らせたりする動きに対し、テクノロジーが果たしている役割を検証した。

経済学者の間では雇用破壊の悲観論が主流

ほかの経済学者たちはオーターの最新の論文を、推測の域を出るものではないが刺激的な思考実験だと受け止めている。

「私はデビッド・オーターの研究に大いに感服している者だが、彼が今回掲げた仮説は可能性のあるシナリオの1つにすぎない」。カリフォルニア大学バークレー校ハース・ビジネススクールの教授で、クリントン政権時代に大統領経済諮問委員会(CEA)の委員長を務めたこともあるローラ・タイソンは、「AIが生産性を向上させるという点については広く合意が得られているが、それが賃金や雇用にどう反映されるかは非常に不透明だ」と語った。

そうした不透明感は通常、悲観論に向かう。シリコンバレーの破滅論者だけでなく、主流の経済学者たちも、コールセンターの従業員からソフトウェア開発者に至るまで、多くの雇用がリスクにさらされると予測している。

ゴールドマン・サックスは昨年のリポートで、生成AIは世界全体で3億人分のフルタイム雇用に相当する活動を自動化する可能性があると結論づけた。

全米経済研究所(NBER)でも刊行された最新リポートでオーターは、AIが人間の判断力を完全に代替できる可能性は高くないとしている。そして、医療、ソフトウェア、教育、法律相談などの需要はほぼ無限にあり、コストが下がれば製品やサービスを利用できる人がさらに広がり、こうした分野が拡大するはずだとみている。

これは、イーロン・マスクらが予見した雇用の終末とはまったく異なる、別の道を歩むための「予測ではなく、主張だ」とオーターは言う。

これまで、コンピューターはルールに従うようにプログラムされていた。コンピューターは絶え間なく改良され、より速く、より安くなった。そしてオフィスや工場での定型作業は、ステップ・バイ・ステップのルールに落とし込まれ、一段と自動化が進んできている。このような仕事は通常、4年制大学の学位を持たないミドルスキル労働者によって行われていた。

AIヘルパーという「労働者補完テクノロジー」

これとは対照的にAIは膨大なデータ、つまりインターネット上の事実上すべてのテキスト、画像、ソフトウェアコードを基に訓練される。オープンAIの「ChatGPT(チャットGPT)」やグーグルの「Gemini(ジェミニ)」のような強力なAIチャットボットは、指示されれば、報告書やコンピュータープログラムを生成したり、質問に答えたりすることができる。

オーターによれば、「AIはルールを知らない。AIは大量の事例を吸収して学習する。これまでのコンピューティングとはまったく異なるものだ」。

学習事例を蓄積したAIはヘルパー(助手)として、「ガイダンス」(医療では、これを診断と見なしているのでは?)や(この2つの薬を一緒に処方しないように、といった)「ガードレール」を提供することができる、とオーターは語った。

その意味でAIは雇用に死をもたらすものではなく、スキルがあまりない人にもより付加価値の高い仕事を可能にする「労働者補完テクノロジー」になると言う。

職場における生成AIについての初期の研究は、そうした可能性を示唆するものだ。オーターが指導したMITの大学院生2人によるある研究プロジェクトでは、短いリポートやニュースリリースの執筆などの仕事をオフィスの専門職に割り当てた。

AIは全員の生産性を向上させたが、最大の恩恵を受けたのはスキルが低く経験の浅い人たちだった。コールセンター従業員やコンピュータープログラマーを対象にした後の研究でも、同様のパターンが見られた。

「上げ潮」をつぶす暗黒のフォース

しかし、たとえAIが経験の浅い労働者の生産性を最大に向上させるものだったとしても、彼らがより高い所得やより良いキャリアパスといった恩恵を得られるとは限らない。そうしたものは、企業の行動、労働者の交渉力、政策にも左右されるからだ。

MITの経済学者で時折オーターと共同研究を行っているダロン・アセモグルは、オーターのビジョンは可能性のある道筋の1つではあるが、必ずしも最も可能性の高いものではないと述べた。アセモグルによれば、歴史は「上げ潮がすべての船を持ち上げる」という楽観主義者たちの側にあったわけではないと指摘する。

「ほかのデジタル技術でも同じような主張があったが、そうはならなかった」とアセモグル。

オーターは課題があることを認めている。「とはいえ、前向きな結果を想像し、議論を促し、より良い未来に備えることには価値があると思う」とオーターは言う。「このテクノロジーはツールであり、それをどう使うかは私たち次第だ」。

(執筆:Steve Lohr記者)
(C)2024 The New York Times

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