県内で500人以上の死者・行方不明者を出した1953年、昭和28年の『6・26白川大水害』から71年です。

熊本市中央区の子飼橋際では26日、大水害を経験した人も参列し、慰霊祭が営まれました。

熊本市中央区の子飼橋から撮影した26日の白川です。

水は濁っていますが、流れはさほど速くありません。

しかし、71年前のきょう…。(1953年6月26日)

活発化した梅雨前線により未曾有の大雨に。あふれた川の水が、家や人々を飲み込み、死者・行方不明者は563人に上りました。

当時、川が氾濫し甚大な被害を受けた熊本市中央区大江では慰霊祭が営まれ、地域住民など約40人が参列しました。

当時8歳で、今もこの地域に住み続ける女性は当時の恐ろしい記憶が頭から離れないといいます。

【被災当時8歳の住民】
「大きい木があって、そこに何人か登って『助けてくれ』と言っていたが、その木も倒れて流されて、亡くなっていくのも見ていたから怖かった」

当時を知る人が少なくなる中、地域の自主防災クラブでは教訓を次の世代に伝えようと近くの大江小学校で防災授業を開くなど、後世に残す取り組みにも力を入れています。

【大江校区第3町内自治会 松村 誠一 会長】
「(水害を)経験された方がお話しに行かれたりとか語り部のようなことはしているので、(当事者が)亡くなられてもその話は残っていく。子供たちも理解してつないでいってくれると思う」

また、阿蘇立野ダムの運用が始まり初めて迎える梅雨については。

【大江校区第3町内自治会 松村 誠一 会長】
「立野ダムが上流にできたが、それで100パーセント大丈夫ということはあり得ない。ただ、逃げる時間が稼げる。そういうふうに、我々は立野ダムの在り方を捉えている。あれに全て頼るということではない」

同じような水害を繰り返さないために、今後も一人一人が防災への意識を持って生活することが重要です。

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