濱口竜介監督(写真:本人提供)

『ドライブ・マイ・カー』(2021年)で「第74回カンヌ国際映画祭」の脚本賞を含む4冠を獲得。「第94回アカデミー賞」の国際長編映画賞も受賞し、その名を映画界以外にも広く知らしめた濱口竜介監督。

昨年は最新作『悪は存在しない』(4月26日公開)が「第80回ヴェネチア国際映画祭」銀獅子賞(審査員大賞)を受賞し、『偶然と想像』(2021年)の「第71回ベルリン国際映画祭」銀熊賞(審査員グランプリ)受賞とあわせて、世界3大映画祭の主要賞を制覇した。

黒澤明監督以来の日本人映画監督としての快挙が国内で脚光を浴びる中で、世界からは日本を代表する映画監督として注目を集めるとともに、日本映画界の近年の充実ぶりも世界に示した。

そんな“時の人”に、『ドライブ・マイ・カー』(興収13.7億円)でも大ヒットにはならない日本映画界での商業的な成功に対する意識と、独立系映画の苦境、日本映画界の課題について聞いた。

ヴェネチア国際映画祭での受賞

――世界3大映画祭のうちの2つ、カンヌとベルリンで主要賞を受賞されたあとは、3つ目となるヴェネチアも狙っていたのでしょうか。

いえ、そんなことはないです。本作(『悪は存在しない』)がヴェネチアの(金獅子賞を争う)コンペ部門に出品が決まったときは驚きましたし、コンペティションに出すからには受賞の可能性はゼロではないのはもちろんですが、正直なところ、まさか受賞するとは思っていませんでしたね。

――映像作家として作品を作るうえで、世界3大映画祭での栄誉は目指すべきところなのでしょうか。

一概にそうは言えません。ただ、自分が作っているような独立系の映画は、日本の興行のメインストリームであるエンターテインメント大作とは異なります。

そういう小規模な予算の映画が観客の認知や関心を得ることは難しい現状があります。だから、映画祭で評価を受けることは確実にその一助になるとは思います。国際映画祭で話題にならないと職業としてやってはいけないだろうなと、30代前半くらいまでは漠然と思っていました。

世界の映画祭で受賞するためのテクニック

――世界の映画祭で受賞するためのテクニックや、作品の調整などはあるのでしょうか。

30代後半、実際に映画祭に選ばれるようになって、映画祭のプログラマーなどと話す機会を得ると、必ずしも映画祭への「選ばれやすさ」を想定して作品を調整するようなことがなくても、自分自身の価値基準や価値判断をそのまま先鋭化させて作っていけば、国際映画祭の基準にもかなう、ということがわかってきました。要は映画として磨いていくということに尽きます。

『悪は存在しない』(C)2023 NEOPA / Fictive

――“国際映画祭の基準”にかなうためには、何をやるべきなのでしょうか。

いろいろな映画が選ばれているので、これも一概には言えません。ただ自分のことで言えば、ある程度の数の映画を見て、映画史を学んだ、ということ以外には何もないような気がします。

古典的な映画をできるだけ見て、その美学を身につける。現代は制作条件が古典期とまったく違うわけなので、自分が学んだ映画というものの魅力をどうやったら発揮できるか。そういうことを考えたうえで、具体的な制作へと落とし込んでいく、ということが自分のやってきたことです。

国際映画祭のプログラマーたちと話してわかったことは、彼らは世界中の映画や歴史上の有名な古典は当然見ている、ということです。もちろん彼らはそこから外れたような新しいものも求めていますが、ある程度これまでの映画史を踏まえたものが出てきてほしい、という思いは共通して持っているように思いました。

なので、もし「どうやったら世界の映画祭に選ばれるのか」と問われたら、私個人の体験からは「まず古典映画をできるだけ見る。それで考える」という答えになります。

――世界3大映画祭などで評価される映画が、人気ドラマやアニメの実写化ばかりがヒットする日本の映画興行で、興収50億〜100億円ほどの商業的な大成功を収めることはほとんどありません。これを両立させるのは難しいのでしょうか。

難しいと思います。そもそも自分の場合は、日本で大きくヒットして商業的に成功することを期待して作っているわけではありません。そんなこと言っちゃいけないかもしれませんが(笑)。

ただ、「小規模な映画作り」と言っても、映画を作り続けるためには、ある程度の観客に認知されて、興行を成立させないといけないというプレッシャーはあります。

『悪は存在しない』(C)2023 NEOPA / Fictive

そういうなかで、国際映画祭に出すことになるわけですが、自分がいいと思う映画を作って日本で大ヒットさせるのは、かなりの離れ技になる気はしています。

日本映画界の長年の課題への思い

――それが両立しない、日本映画界の現状の課題をどう見ていますか?

たとえばフランスだと、アート系の映画でもかなりの観客が入るので、とてもうらやましい状況です。フランスでは小中高校と、映画が教育プログラムの中に組み込まれていることも大きいでしょう。日本では幅広い世代において、映画館に行くという習慣がどんどん薄れています。

是枝裕和監督の『怪物』は興収が20億円を超えたそうです。映画祭での受賞だけが要因ではないでしょうが、是枝さんのように着実にキャリアを重ねれば、国内でも毎作話題になり、関心が集まるということだとは思います。これは希望ですし、若い人が目指すところでもあるでしょう。

ただ一方、映画好きなコアファンの裾野はまったく広がっていない。そのことはミニシアターの窮状を伝え聞くとわかります。これをどう変えられるかと問われれば、基本的には変えられないと思います。

自分にできるのは映画制作を続けていくことぐらいです。あまり期待しすぎずに、続けられる範囲で作り続けていく、ということに尽きます。

――業界としてやるべきことについては、どうお考えですか。

わかりません。ただ、興収だけではない基準を持つのが大事だということは言いたいです。クリエイティブの分野では、それまで価値がないと思われていたものが、潮目が変わって突然大きな経済的価値を生み出すこともあります。

そういう変わり目に対応するためには、つまり産業が持続するには多様な才能が育っていないといけないわけです。いま売れているだけではない基準や価値観を持っておくこと、人が育っていく環境をできるだけ整備することが大切です。

濱口竜介監督(写真:本人提供)

――近年の日本映画は、是枝監督や濱口監督らが世界中で高く評価されていることで、日本でも関心を寄せる人が増えていると思います。それは国内の映画ファンの裾野を広げることにつながり、日本映画界の未来への大きな役割を担っているのではないでしょうか。

そうであったら嬉しいですが、それは結果論でもあります。それぞれのクリエイターがその人にしか作れないものをいかに作っていくか、自分自身をどう磨いていくか。それが未来のためにいちばん大事なことだと思います。

大規模予算のエンタメ大作のオファーは来ていない

――黒澤明監督以来となる、世界3大映画祭の主要賞を受賞した日本人映画監督になりました。周囲の環境は変わりましたか?

一緒に仕事をする人たちは同じですし、自分で変わらないようにしているところもあります。制作面での資金集めや企画の通りやすさなどは、これまでの枠組みとは異なる大きい作品を手がけることがあれば、違いを実感するのかもしれないですね。

――大規模予算のエンターテインメント大作のオファーが舞い込むことはないのでしょうか。

ないです(笑)。もはや、というか。『ドライブ・マイ・カー』で「第94回アカデミー賞」国際長編映画賞を受賞した直後は、一気にいろいろなお話をいただいたのですが、自分がやるべきか判断がつかなくてまごまごしているうちにずいぶん落ち着きました。

――やるべきか判断がつかない、とは具体的には?

自分自身の映画作りの基準を保ってきているから、これまで映画を作ってくることができたと思っています。そういう基準を変えずに映画作りができるパートナーかどうか、ということの判断は、短期間ではつけることができません。

あとは、その企画や映画自体がおもしろくなりそうだという確信が得られなければやらないとも思います。「アカデミー賞受賞監督」としての自分に持ちかけられるような話は、その翌年には別の人でいいわけです。自分とマッチしていない、自分の能力ではおもしろくすることが難しい、と思うものも多いです。その作品をおもしろくできなければ、自分にとっても、作品にとっても不幸なことです。

グローバルプラットフォームに感じる魅力

――『ドライブ・マイ・カー』の最終興収は13.7億円でした。この結果をどう見ていますか?

カンヌ受賞後の公開時は、最終興収の3割くらいの入りでした。そこから、アカデミー賞のノミネート、受賞があって、興収が大きく積み上がっていきました。ヨーロッパの映画祭と比べて、日本の観客に対するアカデミー賞の影響力の大きさを痛感しました。

――独立系映画は、世界の評価がないと、作り続けるのが難しい環境にあるとも言えるのでしょうか。

作り方も多様化してきているので、それだけが出口ではないとは思います。ただ、いまだ独立系の映画にとっては国際映画祭での評価がひとつの大きなステップになる状況ではあります。

――グローバルプラットフォームによる配信流通や制作参加も多様化の1つですね。

そういうところと実際に仕事をしている同年代や若い世代のクリエイターの話をよく聞きます。すでに選択肢の1つになっていると思います。余裕のある会社が多様な作品を作るという流れがいつの時代にもあるので、配信系からいろいろな作品が出てきてくれるといいなと思っています。

――濱口監督は、グローバルプラットフォームとの仕事に興味はありますか?

従来の日本の映画やドラマとはまったく異なる予算やクオリティの基準で制作できるのは大きな魅力ですし、世界に向けた可能性がある仕組みだと思います。自分がそこでやるか否かは、おもしろくなりそうな企画ができるかどうかに尽きます。おもしろくなりそうな企画を自分で思いついたら持ち込むこともあるかもしれません(笑)。

『悪は存在しない』
長野県の自然豊かな高原に、グランピング場を作る計画が持ち上がる。コロナ禍のあおりを受けた東京の芸能事務所が、政府からの補助金を得て計画したものだったが、森の環境や町の水源を汚しかねないずさんな計画に町内は動揺し、その余波は地元の人々の生活にも及んでいく。監督・脚本:濱口竜介
音楽:石橋英子
出演:大美賀均、西川玲ほか
4月26日全国公開
(C)2023 NEOPA / Fictive

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