広島県内屈指の景勝地「鞆の浦」がある福山市鞆町で、渋滞の緩和を目的に県が工事を進めてきたトンネルが6月28日、貫通した。住民訴訟にもなった架橋計画の撤回から12年。町を二分した41年の歴史を追った。
紆余曲折あり、観光地にトンネル貫通
万葉の時代から「汐待ちの港」として栄えた福山市鞆町。
この記事の画像(17枚)灯台の役割を果たす常夜灯や船着場の雁木(がんぎ)など江戸時代の面影を残すその姿から、県内外から多くの人が訪れる人気の観光地である。
一方、町が長年抱えていた問題がメインストリートである県道47号の混雑だ。
この県道は道幅が狭く、車の離合もままならないため、混雑することが多く住民は不便な生活を強いられている。
そんな鞆町の町づくりの要となる「トンネル建設」が大きな節目を迎えた。
紅白の横断幕が飾られたトンネル内の先端に丸い穴が見える。ついに“貫通”したのだ。
広島県が進めるこの工事は、町の渋滞緩和につなげようと、2021年からトンネルに接続する道路の工事が始まり、翌年、トンネル内の掘削工事に取りかかった。
トンネルは全長2,114メートル。1日最大12メートルずつ堀り進めながら、約1年半かけて6月28日に貫通。今後は内部の舗装や照明・排水設備などを設置する工事を進め、全線開通は2025年3月末ごろを予定しているという。
この渋滞緩和対策事業、実は41年前に計画が持ち上がり、トンネル貫通に至るまでさまざまな紆余曲折があった。
架橋問題は“景観の価値”問う裁判に
1983年、県と福山市は海の一部を埋め立て鞆港の沖合に、バイパス道として約180メートルの橋をかける計画を立案。
渋滞の解消に加えて下水道の整備や高潮対策にもつながると賛成派の住民から期待され、県は事業に必要な埋め立て免許を国に申請した。しかし反対派の住民がそれを許さなかった。
反対派の住民・松居秀子さんは2009年の取材当時、「架橋はコンクリートの壁ですよ。景観を失うということは鞆をなくすこと、故郷をなくすという思いです」と激しく抗議。貴重な鞆の景観を損なうと一部の住民が計画に強く反対し、県を相手取り裁判を起こしたのだ。
利便性をとるか景観を守るのか、地元住民を二分させた架橋問題は“景観の価値”を正面から問う全国的にも注目された裁判になった。
そして2009年10月、広島地裁は「鞆の景観は文化的・歴史的価値を有するもので架橋事業が景観に及ぼす影響は重大だ」として、県に埋め立ての差し止めを命ずる判決を下した。「私たちの主張が認めていただけてこんなにうれしいことはない」と喜ぶ原告団。
鞆に長期滞在して、映画『崖の上のポニョ』の構想を練ったとされる宮崎駿監督も東京のアトリエで報道陣の質問に応じ、「とてもいい判決が出て、これは鞆の浦の問題だけじゃなく今後の日本をどうしていくかというときに非常に大きないい一歩を踏み出したんじゃないかな」と広島地裁の判決を評価した。
ところが架橋推進派の要望などもあって県は控訴。同年11月、時を待たずに就任した広島県の湯崎英彦知事は、推進派と反対派の住民が架橋の是非を話し合う協議会を設置した。
県は架橋案に加え、港と景観に配慮し山側にトンネルを通す案など5つの案を提示。2012年、湯崎知事は当時の羽田皓福山市長に架橋計画の撤回を伝えた。そこへ架橋推進派の住民が猛反発。県はその後も免許申請の取り下げは行わず、議論は平行線をたどった。
代替案のトンネル工事がスタート
県は打開策を探ろうと2015年、朝のラッシュ時間帯に一方通行にする実証実験に加え、住民との対話を続けてきた。そして2016年、県は埋め立て免許申請を取り下げ、長きに渡る架橋問題に終止符が打たれる。一方で、代替案である山側トンネル案をめぐり、住民説明会を開くなどして理解を求め続けた。
大きな一歩となったのは2021年。地元住民を二分した論争を経て、ついにトンネル工事がスタートした。
トンネル工事の安全祈願祭で湯崎知事は「鞆の将来にわたって大きな効果が出ると考えています」とあいさつ。
新しいトンネルには地元の子どもたちが夢いっぱいの未来につながってほしいと願いを込めた「鞆未来トンネル」という名称がつけられた。当初、県は2023年度末の完成を目指していたが、周辺道路の整備が難航するなどして工期の遅れもあり2024年6月28日、ついにトンネル部分が貫通した。
住民を二分した論争を経て…
1983年の架橋計画から41年が過ぎた。長年の問題にようやく終わりが見えてきた今、住民たちは何を思うのか。
地元住民は「埋め立て架橋したら観光地ではなくなるから、最初からトンネルを希望していました。車が減るなら安全面も増すじゃろう」「トンネルができたら鞆の町を通らなくなるから町が寂れる。昔は鉄工所の車も毎日通っていた。その頃にあったら便利だったろうな。架橋ができていたら一番良かったと思う」など意見はさまざま。
住民訴訟の原告団の1人だった松居秀子さんは「早く開通して、町中の交通渋滞が緩和されることを期待しています」と話す。ただ、トンネル工事によって自然環境が変化したことを指摘し「工事開始からしばらくすると『井戸が枯れだした』という話が出てきました。トンネルを作って終わりではないと思います」と懸念もある。
当時、架橋推進派で鞆町内会連絡協議会の岡本浩男会長は「貫通という節目を迎え、今後の鞆の町づくりが進んでいけると思っています。トンネルが整備された後の活用は住民同士でよく考えながらやっていきたい」とコメント。撤回された架橋計画は渋滞緩和だけでなく、下水道の整備や高潮対策といった安心安全な住民生活の基盤作りという目的もあった。トンネル建設に計画が移ってからも、工事で出た残土を高潮対策に使うなど当初の目的を遂行しようとしているため、住民たちは架橋推進派も含めてトンネル建設に理解を示している。
紆余曲折を経てようやく形になった「鞆未来トンネル」。周遊性が増すことで、これまで乗り入れることができなかった観光バスなども通れる可能性が出てきた。インバウンドで需要が高まる観光に好循環が生まれそうだ。41年もの長いトンネルの先に見えた希望の光。トンネル建設が町の明るい未来につながるか、注目していきたい。
(テレビ新広島)
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