元日の能登半島地震で被災した石川県珠洲市と宮崎市で2拠点生活をしてきた家族がいる。毎年、3月から11月までは珠洲市で農業をしてきたが、実家は全壊、農地はひび割れ、農業を再開できる状況にはない。いつ石川に戻れるのか。将来の生活に不安を抱えながら、家族は宮崎で新たな一歩を踏み出した。

石川県珠洲市出身の浦野 博充(うらの ひろみつ)さんと、宮崎市出身の妻・綾菜(あやな)さん。

浦野さん家族は、珠洲市で両親と農園を経営していて、雪で農業ができない12月から2月の間だけ宮崎市で暮らす二拠点生活を送ってきた。

1月1日、能登半島地震が発生した時には宮崎にいた浦野さん。2月に一度、珠洲市へ戻り、変わり果てたふるさとを目の当たりにした。

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珠洲市の被害は、死者111人(うち災害関連死14人)住宅被害は6828棟にも及んでいる。

浦野博充さん:
宮崎でできることがあるのか。ちょっとずつですけど、考えて前に進んでいきたいと思っています。

ブドウ栽培

地震発生から半年。浦野さんの姿は、宮崎県綾町のブドウ園にあった。妻・綾菜さんの両親の紹介で綾町の農園の一部を借り、ブドウの栽培に挑戦していた。様子をたずねると、「順調に進んでいる」という明るい返事が返ってきた。

浦野博充さん:
一個一個教えてもらいながら、一緒にやっている方がいるからできている状況。ありがたい。初めてやる事への不安もあったが、逆にそれはいい経験というか、挑戦するいいきっかけになったので、そこは思い切ってやってみようという感じ。1カ月後には少しは食べられるブドウができるのではないかと楽しみにしている。

浦野さんの義父(妻・綾菜さんの父)もブドウ栽培に協力している。「応援できることは限られているから。このくらいなら僕でもできる」と、力を貸してくれているそうだ。

ブドウの販売先の開拓が課題だが、チャレンジできる環境に感謝しているという浦野さん。子供は保育園に入園し、冬に向けた農地も借りた。周りの方に支えられて、一歩一歩進んでいる。

実家と農地手つかず…

しかし、故郷・石川に目を向けると、全壊した実家とひび割れた農地は、今も手つかずのままだ。

浦野博充さん:
来年には石川に戻ってまともな生活ができるか、正直まだ答えは出ていない。父から継いだ農家でもあるので、簡単に判断しにくい。その葛藤が大きい。

珠洲市で暮らす両親は、避難所から仮設住宅に移り、地震の影響が少なかった畑で農業を再開したという。しかし、「復興」と言うにはまだ遠い状況だ。

これからについて

浦野さんは、前向きに生活している事が、逆に全国的に「もう復興したんじゃないか」という捉え方をされている事を危惧する。実際は中身は何も変わっておらず、まだ困っている人はたくさんいるのだ。

進まない復興、先の見えない生活。
浦野さんたちは、宮崎で暮らしながら、これからのことを考えていきたいと話す。

浦野博充さん:
同じ「先がどうなるか分からない」という言葉でも、いまは選択肢があるという意味ではありがたい。自分らしく家族と話し合って判断していきたい。

浦野さんは、宮崎で販売先の開拓に挑戦中。浦野さんが栽培するブドウは、オンラインマルシェのサイト「ポケットマルシェ」で予約受付中。

(テレビ宮崎)

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