「種にはまだ分からないことがいっぱいある」と探究を続ける小林宙さん=東京都千代田区で

 日本各地の消えてしまいそうな伝統野菜の種を未来に残したい。そう考えた小林宙(そら)さん(21)=東京都大田区=が、種の販売会社を起業したのは6年前、中学3年の時だった。現在、上智大で哲学を学ぶ大学生でもある小林さんは「目に見えない技術、努力、工夫が一粒の種には込められているんです」と魅力を話す。  「その地域の人がどんなことを考えて野菜を作っていたのか、目線やセンス、技量が種に反映されるんです」と小林さんは言う。  例えば、と見せてくれたのは、畑で収穫したての長崎の伝統野菜「長崎赤カブ」の画像。株によってピンク色に濃淡があるが、葉はどれもまっすぐ伸びている。「あまり色にはこだわっていない。だけど葉っぱの向きには気を使っていたのでしょう。葉が広がると隣の株の葉とかぶって収量が減ってしまうから」。葉が上を向く株を選んで種を採ってきたのだろうと言う。  「気候や作りやすさなど各地の特性の中で、レベルの高い人たちが種を選抜し、採り続けて、伝統野菜はできてきたんです」  各地の料理にも深く関わる伝統野菜。ただ採種には、他品種と交雑しないよう、周囲に作物がない畑が必要で、時間もかかる。形質の純度を高め過ぎると生育が悪くなるので、修正もしなければならない。プロの採種は科学者の実験のように難しいという。  「種をまいて育て、いいものを選抜して種を採るの繰り返し。永続的に誰かが採らなければ残らない」  そんな各地の伝統野菜が消えている、と小林さんは野菜を育てる中で気がついた。幼い頃から、種からの栽培に夢中になり、中学生になると種苗店を巡り、未知の種を探す旅を本格的に始めた。すると、農家が種採りをやめていたり、種苗店が廃業していたり。高齢化や、食の好みの変化などが理由とみる。  「今まで種を末端で守ってきた人たちが、どんどんいなくなっている」  種の流通を全国に広げようと2018年、家族の協力も得て「鶴頸(かくけい)種苗流通プロモーション」を立ち上げ、インターネットで種の販売を始めた。  翌々年には、種の開発者の権利保護を重視し、海外流出などを防ぐため、種苗法が改正され、国の登録品種は自家採種が制限された。以後、すべて禁止されるのではないかと懸念する声が根強くある。  「(全面禁止は)人が種を採ってきた歴史を破壊する。ある程度は自由でないとまずい」と考えている。  小林さんは、野菜を栽培する人の裾野を広げようと、カフェや絵本店など一見関係ないような所にも種を置いて販売している。「種をまいて、育てる時間が結構大事だと思うんです。自分が食べてるものは何なのかなと考える。自分ごとになっていくんです」

◆9割が海外産 自家採種が救う

 農林水産省によると、今、国内で流通する野菜の種の約9割は、日本企業が海外で生産している。そうした中、身近な畑で採った種が役立つこともある。

採種もしている小島直子さん。手前は種採り用のニンジンの花=埼玉県飯能市で

 埼玉県飯能市の自然栽培農家、小島直子さん(46)が昨年まいたステラミニトマトの種は、2018年に自家採種し、冷蔵庫で保存していた種だった。人気の品種だが、この年、海外産の種はウイルスが検出されたため検疫で足止めされ、種苗店から種が突然消えていた。  自家採種した種から、トマトは無事実った。元の形質を残す大切さをあらためて感じたという。  小島さんは、同県日高市で15年から続く種の交換会「たねのわ」の会長も務める。毎回40~60人が集まり、種採り初心者も参加し、経験を伝えあう。  「種採りは栽培より難しい。うまくいったときの達成感は収穫の喜びより上をいくんです」と話す。  (この連載は鈴木久美子が担当しました。)    【関連記事】<つながる広がる 地域の食 身近に、種>(上)種の交換会 豊かな個性保全 家庭菜園で 【関連記事】<つながる広がる 地域の食>(上)農を始める 土に支えられ 人と分かち合う
【関連記事】<つながる広がる 地域の食>(中)農のある町 価値生む空間 市民参加で守る
【関連記事】<つながる広がる 地域の食>(下)農を伝える 授業で育て、食べ 芽吹く好奇心


鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。