岩手県一関市で暮らす三浦りんさんは、重い障がいがありながらも聴講生として県立大学に通い3年が経ちました。

勇気をもって踏み出した大学への道、その歩みは自身の世界を広げただけでなく、次の世代への希望ももたらしています。

滝沢市の岩手県立大学に週1回通っている三浦りんさん22歳。その車椅子を押すのは母のかおるさん(55)です。

りんさんは選択した科目だけを履修する聴講生で、社会貢献論や福祉などを学んでいます。岩手県立大学に通いはじめて、3年が経ちました。

母・かおるさん
「大学は扉をあけてくれた。それがうちだけが特別とならないように、いい大学生活を送り、それが後輩のためにもなっていくのかなと思う」

りんさんは「難治性てんかんウエスト症候群」という難病で、歩いたり話をしたりすることはできません。
それでも、双子の妹・るんさんと共に地域の小学校に通いました。

当時学校にエレベーターはなく、階段での移動は毎回かおるさんが抱きかかえて対応しました。
母・かおるさんは「入る時は大変でしたけど、入ってみたらそれはもう楽しい」と話します。

三浦さん親子には大きな影響を受けた先輩がいます。大阪在住の北村佳那子さんです。
歩いたり話したりできない重い障害がありながらも、地域の小中学校で学び、仲間の支えを受けて一般の高校(定時制)を卒業し聴講生として大学にも通いました。
8年前にはりんさんと対面も果たしています。

母・かおるさん
「こうやって進んだ人が実際にいるんだと、私たちの背中を押してくれた」

中学まで地域の学校で過ごし高校は特別支援学校で学んだりんさんは、卒業後、岩手県立大学に聴講生としての受け入れを相談しました。

母・かおるさん
「扉をたたいたのも、すごく勇気がいることだった。ちゃんと思いをわかってくれて、大学は扉をあけてくれた」

大学に通うようになり、りんさんの世界は広がりました。休日には友人が車椅子を押し、外に出かける機会も増えました。
2024年は初めて、所属するボランティアサークルの「飲み会」にも参加しました。

言葉を発しないりんさんだからこそその心情により思いをはせるようになった友人もいます。

サークルで一緒に活動 齋藤佑羽さん(県立大4年)
「目の動きとか見ながら、どういうことを思っているんだろうとすごく考えたり。他の場所でも、この人どう思っているんだろうと想像をよく働かせるようになった」

母・かおるさん
「“周りの学生もよかったよね”みたいなのが、大学がそういう雰囲気になっていったりしたら、次に入る子たちが私がぶつかった扉よりも、柔らかい扉で開くんじゃないかなと思って」

6月、滝沢市で医療的ケアが必要な人たちの災害対策を考えるイベント「集まれ!アイライン2024」が行われました。

この日はサークルの仲間と共に、会場でネイルやハンドケアのボランティア活動です。りんさんは仲間の隣で接客を担当しました。

その姿を見て、三浦さん親子に話しかけてきた人がいました。重度障がい児の母親・藤田優子さん(44)です。

県外からイベントに訪問 藤田優子さん
「まだうちは小学生なので、将来のこととか未来のこととか全然イメージできなくて。次の1年はどこも行くところがないんじゃないかとか、とにかく先が見えなくて」

母・かおるさん
「一緒に大きくなる子供たちは絶対、どこか(頭の)片隅に姿を残しているので。大丈夫です」

母・かおるさんは、りんさんのこれまでの歩みを伝えました。

県外からイベントに訪問 藤田優子さん
「ちょっと先を行く先輩の姿は、すごく希望です。こんな未来が待っているんだったら、私も頑張ってみようかな」

母・かおるさん
「りんのやってきたことを話をしただけでも、すごく希望を持ってくださったり、結果的にそうなっていることはすごくうれしい。りんが何よりうれしいかなと思って」

りんさんの「これまで」が、誰かの「これから」になる。
三浦さん親子はそんな未来を願っています。

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