古代エジプト人たちは、祈り、布告、税など、あらゆるものを書き残した。6月27日付けで学術誌「Scientific Reports」に発表された新たな研究によると、4000年以上前に埋葬された古代エジプトの書記たちの骨に、この書くという作業による職業病の痕跡が見られるという。
たとえば、足首の骨が平らになっているのは、長年あぐらをかいて座っていたせいだろう。また、あごのケガは、よくイグサの「ペン」をかじっていたことによる可能性があるという。
ナイル川流域で何千年にもわたって栄えたエジプト文明を支えたのは、読み書きができる役人たちだ。チェコのプラハ・カレル大学に在籍するエジプト学者で、論文の著者の一人であるベロニカ・ドゥリコワ氏によると、古代エジプトの識字率は1%未満だったと推定される。
「このような人々が、国の行政を支えていました。読み書きができる人々は、重要な行政機関で働いていたのです。古代エジプト人は、あらゆることを細かく記録し、保管していました」
古代エジプトの職業病
「古代エジプトの書記のために、きちんとした椅子を作ろうとした人はいませんでした。もしそういったものがあれば、背骨を痛めることはなかったかもしれません」。チェコ国立博物館の人類学者で、論文の筆頭著者を務めたペトラ・ブルクナー・ハベルコワ氏は、そう顔をしかめる。
ブルクナー・ハベルコワ氏らは、紀元前2700〜前2180年ごろのエジプト古王国時代にアブシールに埋葬された69人の成人男性の骨を調べた。アブシールはカイロの南に位置する場所で、たくさんのピラミッドや墓がある。
そのうち、読み書きのみを仕事とする専門の書記か、読み書きが求められる高位の役人だと特定できたのは30人だった。
分析によると、アブシールの書記の多くに、骨や靱帯が傷つく変形性関節症が見られた。右の鎖骨、肩、親指の骨の異常は、ほぼ常に書き続けていたことが原因と考えられる。足首や太ももの骨が平らになるのは、長時間あぐらをかいて座っていたことによるものだろう。
背骨、特に首まわりの変形性関節症は、話をする人に顔を向けたり、膝に置いたパピルスに書き留めたりする動作をくり返した結果と考えられる。現代で言えば、スマートフォン、モニター、キーボードに順々に注意を向けるときにくり返される頭の動きにほかならない。
ペンをかじりながら仕事をしていた?
古代エジプトの文字といえば、神殿や墓の壁に刻まれたり書かれたりした複雑なヒエログリフを思い浮かべる人がほとんどだろう。しかし、それを書いたのは専門の職人たちで、書記が書いたのはヒエラティック(神官文字)と呼ばれるものだ。いわば筆記体であり、ヒエログリフよりも効率的に書くことができる。
英オックスフォード大学のエジプト学者で、古代エジプトの書記に詳しいハナ・ナブラチロワ氏によると、ヒエラティックは今から5000年ほど前に作られ、3000年近くにわたって使われてきた。なお、氏は今回の研究には関わっていない。
古代エジプトの書記の社会的階級は、兵士とほぼ同等で、職人や商人、一般市民の上、神官や貴族の下にあたる。書記になれたのは男性だけで、息子が父親の仕事を継ぐことが多かった。
古代エジプトの絵には、床にあぐらをかいて座ったり、ひざまずいたりする書記の姿が描かれている。ただ、立って仕事をする書記の彫刻や図もある。おそらく、畑で収穫の量を記録したり、穀物庫を調べたりする様子だろう。
「書記は部屋の中で座り続けていたわけではありません」とナブラチロワ氏は言う。「収穫中の様子、生産物や税を記録する様子、肉屋のとなりで仕事をする様子なども描かれています。書記はあらゆる場所にいたのです」
研究者たちが驚いたのは、アブシールの書記たちの多くが、あごの関節を酷使していたことだ。書記はイグサで作った筆のような「ペン」を使っていたが、ペン先がぼろぼろになると切り落とし、先端を噛んで新たなペン先を作っていたのかもしれない。
当時は、すすで作った黒インクが主に使われていたが、特に注意を要する内容には、赤鉄鉱で作った赤インクも使われていた。
仮説への反論も
米サンフランシスコ州立大学の生物考古学者、シンシア・ウィルチャク氏は、今回の研究についてこう述べている。「興味深いですが、古代エジプトの『書記特有』の骨の変化パターンを解明できるのは、まだずっと先のことでしょう」。なお、氏は今回の研究には関わっていない。
ウィルチャク氏が指摘するのは、アブシールの墓から見つかった30人の骨のうち、肩書きから書記だと特定できたのは6人だけである点だ。その他は、墓の位置など、社会的地位を示す手がかりから、書記だと推測されているに過ぎない。
「今回見つかったパターンが、ほかの場所で特定された書記にも当てはまるのか、とても気になるところです」
さらにウィルチャク氏は、イグサのペンをかじったことであごを負傷したという仮説は理にかなっているが、それなら歯にも同じような痕跡が残されているはずだと述べる。「それが正しいとすれば、歯がすり減っているなどの痕跡があるはずです。しかし残念ながら、そのような証拠は示されていません」
裏付けとなる証拠は
米テキサス州立大学の生物人類学者ダニー・ウェスコット氏は、分析されたアブシールの骨は少なく、対照群と比べて骨の変形の増加もわずかだったと指摘する。
つまり、アブシールの骨に見られたような特徴は、古代エジプトのほかの場所の書記には見られない可能性がある。
さらにウェスコット氏は、あごの傷がイグサのペンをかじったことによるものかもしれないという仮説に関して、歯が非対称にすり減っているなどの裏付けとなる証拠が見られないことも懸念する。
「この研究は、骨から当時の生活を再現する可能性を示すものですが、同時に総合的なアプローチの必要性を示してもいます」
それを示せる日が来るかもしれない。ブルクナー・ハベルコワ氏は、まだこの研究は始まったばかりであり、ギザの墓やサッカラの集団墓地など、ほかの場所に埋葬された古代エジプトの書記についても調査したいと述べている。
「発表した論文は、書記の身体活動についての最初の洞察にすぎません。次は仮説の裏付けです」
文=Tom Metcalfe/訳=鈴木和博(ナショナル ジオグラフィック日本版サイトで2024年7月1日公開)
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