2024年本屋大賞の受賞作で滋賀を舞台にした「成瀬は天下を取りにいく」では、主人公が閉店が決まった西武大津店に通い詰める「百貨店愛」も話題を呼んだ。滋賀県内ではその西武大津店が20年に閉店し、残るは近鉄百貨店草津店のみとなった。地方の百貨店運営は危機的状況が続く。記者(25)の地元・島根でも唯一の百貨店がなくなり、「成瀬」と同じくさみしい思いをしていた。高島市で「丸八百貨店」を見つけたのはそんなときだった。聞き慣れない店名の百貨店に思わず飛び込んだ。【飯塚りりん】
3階建ての西洋風建築の建物は大きくないが古めかしい「丸八百貨店」の看板が風格を感じさせた。ところが、中に入ってすぐ足が止まった。きらびやかな服や雑貨が並んでいると思いきや、「昭和レトロ」を思わせる喫茶店が営まれていた。「百貨店?」と首をひねりつつ、ランチの終了時刻が迫っていたので席に座り、「丸八特製発酵ランチ」を注文した。
京都と福井を結ぶ通称「鯖(さば)街道」沿いとあって、サバをぬか漬けにした「へしこ」などが盛られたランチに舌鼓を打っていると、店内で楽しそうにおしゃべりする女性たちが目に留まった。数えると6人。耳を澄ませてみると、近所の人とわかり、「百貨店」の謎を解こうと会話に混ぜてもらった。
「ここはね昔、呉服屋さんも入るような百貨店だったんだよ。お菓子や文房具なんかが何でも買えて、友達とよく遊んだ」。近所に住む中原八千子さん(84)が振り返ってくれた。丸八百貨店は1933年ごろに建てられ、雑貨や化粧品などの販売店が入って栄えた。もともとは2階建てだったが、3階が増築され、戦時中は監視にも使われていたという。内装は変わったが、外装は建築された当時のまま残されてきたこともあり、97年に国指定登録有形文化財に登録された。
次第に販売店は減っていき、近年は、中原さんら地元の有志が地域の集いの場として1階に喫茶店を運営していた。だが、それも担い手が高齢となり、続けていくのが難しくなった。
「百貨店」を生き残らせたのは移住者だった。昨年4月、地元の食品加工会社「ENON」が高島市に委託されて、発酵食を取り入れた喫茶店を始めた。代表の藤原穂波さん(52)は9年前に同市に移住。地域住民の温かさに魅了されて運営を決断した。「地域の人の憩いの場として百貨店を残し続けたい」と娘2人の助けも借りて切り盛りしている。
中原さんらは運営から離れた今も2日に一度のペースで店を訪れ、話に花を咲かせている。「みんなで集まる場所がなくなったら困る」、「幼い頃からの思い出が詰まった場所」と「丸八百貨店愛」の言葉が止まらなかった。
中原さんら「丸八女子」の話を聞きながら、記者も生まれ育った島根で唯一の百貨店だった「一畑(いちばた)百貨店」のことを思い出していた。幼い頃から母に連れられた思い出深い場所。訪れる度に客足が減っているのは感じていたが、今年1月に閉店するとやはり悲しかった。
「成瀬は天下を取りにいく」のファンだという大津市の30代女性も「育児をしていた時に西武が心の支えだったので、なくなってさみしかった」と話していた。地元の百貨店が消えていく悲しみに共感する人は多いだろう。90年以上続く丸八百貨店で郷土料理を味わいながら、長い歴史と憩いの場を残そうとする地域住民たちの思いをたくさんの人に肌で感じてほしいと思った。
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