原爆の子の像の周囲にささげられた千羽鶴=広島市中区で

 平和を願い、戦争で犠牲になった人たちにささげられた千羽鶴が、再生紙に生まれ変わっている。広島市の一般社団法人「千羽鶴未来プロジェクト」は、10年ほど前から障害福祉サービス事業所と連携し、ノートなどの再生紙グッズを製作。さらに被爆地・広島を訪れる各地の修学旅行生に、作業体験を通じて平和や命の尊さなどを伝えている。 (川合道子)  7月上旬、同市中区の平和記念公園内に立つ「原爆の子の像」の周囲には、色とりどりの千羽鶴がつるされていた。像は、被爆による白血病で12歳で亡くなった少女がモデル。今も国内外から平和を願う千羽鶴が絶えず届けられている。市によると、その数は年間で約1千万羽、重さは約10トンにもなる。  かつては雨ざらしで、破れたり汚れたりして廃棄されていた。現在は屋根付きのブースがあり、一定期間飾った後は、希望する民間団体などに無償提供されている。さまざまな方法で利用してもらうことで、「折り鶴に込められた思いをつないでいきたい」と市の担当者は話す。  毎年、千羽鶴の7割を譲り受ける同プロジェクトは、知的障害のある人たちの就労を支援する市近郊の約50事業所と連携し、千羽鶴を用いた再生紙グッズを作っている。事業所の一つで、原爆ドーム近くにある「すまいる☆スタジオ」を訪ねると、利用者たちが折り鶴を1羽ずつ広げ、色ごとに仕分けていた。福井県越前市の製紙工場へ送り、淡いピンクやグリーン、ブルーなどの紙片をちりばめた優しい風合いの再生和紙に蘇(よみがえ)らせる。

折り鶴を1羽ずつ広げ、仕分ける利用者たち=広島市中区で

 利用者たちは、その再生和紙を手際良く型で抜いたり糊(のり)づけしたりして、メモ帳やポストカード、ふせんといったグッズに仕上げていく作業も担う。「細かな仕事だが、それが得意な利用者も多い。彼らを職人として育て、障害者が作ったからではなく、グッズ自体を気に入って手に取ってもらえるようにしたい」とプロジェクト事務局長の吉清有三さん(75)は話す。

千羽鶴から作られたグッズ

 これまで手がけたグッズは数百種以上。持ち手に再生紙を用いたボールペンなどは、先進7カ国の首脳らが集まった昨年の広島サミットで採用された。同公園のほか、長崎市の原爆死没者追悼平和祈念館、鹿児島県南九州市の知覧特攻平和会館などに手向けられた千羽鶴も再生。さまざまなグッズに姿を変え再び世界の人たちの手に渡っている。  プロジェクトは、平和について広く考えてもらう体験学習にも力を注ぐ。2時間ほどのプログラムでは、修学旅行生が世界で続く紛争について考えた後、事業所の利用者たちと一緒に、千羽鶴の解体作業や再生紙グッズ作りを体験する。  ここ数年、修学旅行で訪れている金城学院中学(名古屋市東区)の女子生徒は、利用者に教わりながら作業する中で「障害がある人もない人も、できないことはあるし、できることもたくさんある。みんな同じだと感じた」と語った。  吉清さんは「平和の反対は、必ずしも戦争だけではない。身近なところに目を向けると、いじめを受けて苦しんでいる人もいる。社会には、いろいろな人たちがいるんだよ、ということをまず理解していくことが大切だ」と伝えている。


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