小杉湯原宿が入る東急プラザ原宿「ハラカド」。表参道(左下から右上)と明治通り(右下から左上)が交差する神宮前交差点の角に立つ=渋谷区で

 東京を代表するファッションとカルチャーの発信地・原宿の神宮前交差点角に今年4月、商業施設「東急プラザ原宿『ハラカド』」(渋谷区神宮前6)が開業した。ガラス張りの外観と屋上緑化が目を引くビルの地下1階に下りると、番台の奥に「女湯」「男湯」の濃紺ののれん。ここは、交差点の7キロ弱北西にある老舗銭湯・小杉湯(杉並区高円寺北3)の2号店、「小杉湯原宿」だ。  ハラカドを管理運営する東急不動産(渋谷区)から声が掛かり、出店が実現した。1933(昭和8)年創業の小杉湯の3代目、平松佑介さん(44)は「神宮前交差点は原宿の人々の誇りで、大切にされているスポット。コロナ禍に、そこに銭湯を造ると聞いて驚きました」と振り返る。

◆老舗3代目の挑戦

小杉湯原宿の番台で出迎える3代目の平松佑介さん

 幼少からお客さんに「3代目」と呼ばれ、かわいがられてきた平松さん。週6日、未明まで働く2代目の父と母は、大変そうだが楽しそうだった。内風呂が普通になり、70年代以降、銭湯は減少の一途。両親も「継いでほしい」とは言わなかったが、「町に代々根ざしてきた銭湯を、継がない選択肢はなかった」という。大学卒業後、住宅メーカーやベンチャー企業で働き、36歳で家業に入った。  「斜陽産業と言われてきた」からこそ、銭湯を舞台に多彩な企画を展開し、ファンを開拓してきた。浴室でコンサートやダンスイベントを催し、企業との「コラボグッズ」も次々生み出した。乳幼児と親の入浴をスタッフやボランティアが手伝う企画「パパママ銭湯」なども実現、都内屈指の人気銭湯となった。地域住民の接点の役目を果たしつつ、時代に即した経営のあり方が、ハラカドの計画担当者たちの目に留まった。  担当者らが思い描いたのは、交差点角にかつてあった「原宿セントラルアパート」。米軍関係者ら向けの共同住宅だったこの施設では60年代以降、イラストレーター宇野亞喜良さん、コピーライター糸井重里さんらクリエーターが集まって働き、交わり、最先端の文化が生まれた。東急不動産の池田祐一さん(44)は「原宿に住み、働き、訪れる人らが日常を過ごし、触れ合いながら文化をつくるには、買い物や食事の場に加えてお風呂も必要では、と発想した」と語る。

◆毎日通えるように

 町の銭湯の大半は法律上の「一般公衆浴場」に当たり、入浴料に上限がある代わりに補助金や水道料減免などの支援を受けられるが、地下の小杉湯原宿はその要件となる窓が造れない。スーパー銭湯などと同じ「その他の公衆浴場」として入浴料を自由に設定できるが、平松さんは東京都の一般の銭湯と同じ値段にした。「誰もが毎日通える『町の銭湯』にしたいから」。お風呂一本にこだわろうと、サウナは造らなかった。高円寺と同様、乳液の原料を入浴剤にしている「ミルク風呂」と、「温冷交互浴」ができる「あつ湯」と水風呂がある。

今春開業した小杉湯原宿の浴室。小杉湯の代名詞となっている「ミルク風呂」(右手前)など三つの浴槽がある=東京都渋谷区の東急プラザ原宿「ハラカド」地下1階で(小杉湯提供)

 町のあらゆる人が来られるように、朝7時から夜11時まで営業している。隣町から週2回ほど通う会社経営の西村武道さん(58)は「切れ目なく働いているので、朝風呂に入るとひと息つける。近所に銭湯はほぼなくなったし、ここはずっと続けてほしいね」。  1人で来て、ゆっくりできる場所が世の中にあることが、人を癒やすはず。平松さんはそう信じている。他者との会話があったり、なかったりする悠々とした空間で、年齢も肩書も関係なく人は湯を浴び、心と体を緩めていく。「10年、100年と営業し、雨でも晴れでも風の日でも、誰に対しても閉じていない場所が社会に必要だってことを、原宿でも示したいんです」(東京新聞・神谷慶) <小杉湯原宿> 入浴料大人550円、小学生200円、未就学児100円。東京メトロ明治神宮前<原宿>駅徒歩1分、JR山手線原宿駅徒歩4分。ハラカド地下1階の「銭湯を中心とした街」がテーマのエリア「チカイチ」内。木曜定休。  入浴客以外も入場できるチカイチには、パートナー企業が展開する美容健康家電コーナーやビールスタンドがある。ウエアやシューズが借りられる「ランステーション」もあり、代々木公園や神宮外苑周辺を走ってから湯に入る人も多い。


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