「こどもが転ぶまでの時間。0.5秒」。東京都は8月上旬、PRの言葉やポスターを使い「東京都こどもセーフティプロジェクト」(2023年開始)のキャンペーンをJR新宿駅など鉄道の駅や車内で行いました。事故を防ぐため製品や設備の「(子どもにとって)危ない部分を変える」事業で、私たちのNPO法人のチームが協力しています。
事故予防で重要なのは「変えられるものを変える」ことです。電気ケトルが倒れて熱湯がこぼれ、赤ちゃんがやけどした事故を検証実験すると、当時売られていた7社のケトル全てが「はいはい」の力がかかると倒れました。活発に動く赤ちゃんをケトルから完璧に遠ざけるのは難しい。唯一の対策は製品に安全機能を付けることです。
転落に誤飲、やけど……。事故は起き続けます。講演会でやけどの写真を示し、保護者や保育士に「気をつけましょう」と言っても、事故を完全に防ぐのは難しい。21年7月、福岡県中間市で起きた送迎バスの子ども置き去りの死亡事故では、自治体に通知を出し注意を促しましたが、翌年に静岡で起き、安全装置の設置が法律で義務付けられました。人の努力だけで事故の予防は不可能です。
活動の原点は、1985年9月に静岡県で起きた中学生の死亡事故だ。中学2年生の女子が学校のプールの排水口に吸い込まれ、当時の勤務先の病院に搬送されてきました。引き上げられるまで30分も水中にいれば命は病院では救えません。排水口の蓋さえきちんと固定してあれば良かったはず。文部省(現文部科学省)に電話すると「私の担当ではない」との答え。「何をバカなことを言っている」と憤りました。
勤務先で過去4年間の子どもの事故事例を調べると、誤飲にやけど、溺水などが繰り返し起きていると分かりました。「病気だけではなくけがも、学会は予防活動をした方が良いのでは」。日本小児科学会で発表後、論文にこう書いたのがきっかけで、学会に小児事故対策委員会が作られ、委員を務めました。
海外では「人は必ず間違いを犯す」と考え、大事故にならないための技術を開発します。日本人は努力すれば事故が二度と起きないと思っている。管理や教育、規制強化ばかりでは事故は減りません。
具体的に事故の予防に取り組む小児科医は数少ないと山中さんはみている。日本小児科学会には約2万3千人の会員がいて、皆さん「(事故の)予防が大事」と言う。ただ実際に取り組んでいるかといえば、やっていない。「最近の親は、私の言うことなど聞いていない」と話し、親が気をつければ子どもの事故は防げると、多くの医師や大学教授は思っている。
私が事故予防に関わり続けたのは、事故にあった患者と接し、自分の思いや願いが伝わっていない、取り組みが足りないと分かるから。工学系の研究者との出会いも大きい。科学的な根拠を示せる協力者のおかげで、実験やシミュレーションなど、原因の徹底検証が可能になりました。
技術が進んだ現代には、ありとあらゆる製品があります。作ったのは人なのだから、人が責任を持って安全なしかけにする義務がある。親や周囲が子どもから目を離しても怖くない、そんな製品や環境を、社会を、作らなければ予防できないと思っています。
第2次大戦中は満州(現中国東北部)で暮らした両親の郷里・広島で生まれた。父の生家は浄土真宗本願寺派のお寺でした。13人きょうだいの12番目だった父は龍谷大学を出て、海外で仏教を布教する開教師として旧満州・奉天(現瀋陽)の近く、鉄嶺(てつれい)で開拓団向けに活動しました。現地で新婚生活を送り、終戦後、京都・舞鶴経由で引き揚げたそうです。
広島に帰ったものの、父の生家や寺も原爆で跡形もない。私は現在の広島市安佐北区の母の実家で生まれました。父はお寺が運営していた戦災孤児の育成所を手伝った後、宗教専門紙の立ち上げに尽力。平日は忙しい父でしたが、日曜の朝は自宅の仏壇に父母、妹、私の4人でお経を読んでいた記憶があります。
父の勤めた専門紙の会社が東京にあり、小学校1年生で神奈川県大和市に移り住みました。ベビーブームで子どもが多く、1学級に65人、授業は2部制もあった時代です。当時の子どもでは珍しく太っていて、スポーツは苦手でしたが、友達との探検ごっこや、魚獲りが大好きでした。
大学進学へ向け順調に進んだ青年時代。ただ、小児科医師になり、大きな変化が訪れる。高校は神奈川県立湘南高校を目指し、受験可能な藤沢市に転居しました。願いがかない、湘南高校から1966年に東京大学に進学。生物系の勉強をしたいと考え、理科2類を選びました。母の弟が東大医学部出身、東北大学で皮膚科の教授を務めていた影響があったのかもしれません。
クラスの友達の誘いで尺八部に入り、駒場祭などで演奏しました。その後、3年次の進学選択で保健学科に進みます。成績もあまり振るわず、新しくできた学科を選んだのが実のところ。ところが直後、安田講堂の占拠事件が起きます。授業の中止が続く大学激動の中、編入試験が可能だった医学科に移りました。
医学科の学生は卒業を前に診療科を選びます。外科も内科も大変そう。それならと、子どもの発達など興味のあった小児科を選びました。
研修後、浜松市の遠州総合病院(現JA静岡厚生連遠州病院)に移りました。小児科医は少なく、大忙しの毎日。風呂で溺れたり、喉にものが詰まって窒息したり、やけどしたり。子どもたちの処置で手いっぱいです。当時は予防など考えもしなかった。
その後、肢体不自由の子どもたちがいる整肢療護園(現心身障害児総合医療療育センター、東京・板橋)を経て、米ニューヨークに留学。東大医学部付属病院の小児科、静岡県焼津市の市立総合病院と移り、この病院の医師としてプールの排水口に吸い込まれ、亡くなった女子中学生をみとることになりました。
学会や厚生省(現厚生労働省)の研究班で事故予防に取り組んだが、10年ほどは足踏み状態だった。当時の人口動態統計を見ると、1〜19歳の死亡原因トップは不慮の事故でした。感染症は治療法の改善で死ななくなったのに、事故は減りません。対応の必要性を訴え、厚生省も子どもの事故予防の研究班を作ってくれました。
ただ、小児科医だけでやっているので、できるのは事故のアンケート調査くらい。データはすぐに数万件ほど集まり、1歳児に多い事故や時間帯、天気などは分かりますが、それが分かったところで何も対策は生まれない。
そこで20項目くらいのチェックリストをつくり、4カ月健診で保護者に配りました。
例えば質問は、「チャイルドシートに座らせていますか」などで、「はい」「時々」「いいえ」などで回答。答えに「はい」が多いかを本人に確認してもらう。ただ、10年ほど活動するも、やはり啓発用リーフレットを作って終わりでした。漫然と調査しても事故は減りません。厚生省の研究費も出なくなりました。
活動を通じ、事故予防には発生時の状況の詳しいデータと、具体的な対策が必要と思い知らされました。
個人で始めたウェブサイトが呼び水となり、事故予防チームの結成に至った。全国各地の公民館などに呼ばれ、保護者向けに子どもの事故予防の講演を続けました。とはいえ、自分の子どもが成長すれば親の関心は止まります。恒常的に問題提起したいと、取材で出会った雑誌編集者の勧めで、「子どもの事故予防情報センター」というサイトを2002年に立ち上げ、新聞で子どもの死亡事故の記事を見つけては詳しく考察し、発信しました。
そんな中、院長を務める緑園こどもクリニック(横浜市泉区)に03年の8月、「子どもの事故について知りたい」と電話が入りました。私のサイトを見た、産業技術総合研究所の西田佳史さん(現東京工業大学教授)からです。
もしや、安全グッズの営業かと思い「こちらは横浜の郊外で、遠いですよ」と返すと「私たちは世界中どこにでも行きますから」と譲らない。産総研は01年の発足で、旧工業技術院の流れをくむ実績を背景とした研究所だと当時は知りませんでした。
工学系の研究者と医師では専門用語も異なり、見方やアプローチも違います。だからこそ、共同で取り組む意義がありました。最初は1〜2カ月に1回、やがて毎週火曜日の夜に集まるようになり、子どもの事故予防に関する深い研究が始まりました。
2004年3月、六本木ヒルズ(東京・港)の自動回転ドアに6歳男児が挟まれ死亡する事故が発生。「失敗学」を提唱する畑村洋太郎・東京大学名誉教授の一言で腹を決めた。1985年に起きた静岡県の中学校プールの排水口の死亡事故で、被害生徒の保護者は教育委員会宛てに謝罪文を書かされていました。聞き間違いかと思いましたが、静岡の別のプール死亡事故でも、保護者が「我が子が不祥事を起こして申し訳ない」と教委に謝罪文を提出したという。そういう対応が疑問視されない時代でした。
それに対し、04年の回転ドアの死亡事故は親の責任を問う流れにはなりませんでした。自動回転ドアに子どもが挟まる事故は各地で起きていて、メディアも「親の不注意」とは指摘しませんでした。
畑村先生が立ち上げた「ドアプロジェクト」に私も参加し、設備の欠陥を検証実験で工学的に明らかにしました。同年6月には理事を務めていた日本外来小児科学会から、子どもの事故の詳細情報を継続的に収集する「事故サーベイランス」事業の開始を求める要望書を当時の坂口力厚生労働相(当時)に手渡します。
「とても重要」のコメントを頂くなど好感触でした。ところが、翌年1月の厚労省医政局からの回答は「事故サーベイランスは作らない」。
「他の国では当たり前にやっているのに」。畑村先生にぼやくと「国がやらない、というのは自分がやらない言い訳。お金は自分で見つけなさい」と檄(げき)を飛ばされました。「これはやるしかない」。そう思い05年6月に始めたのが、事故を総括的に検証・分析する「事故サーベイランス・プロジェクト」です。
遊具事故を検証したテレビ番組の取材で、再発防止への好循環の道が開けた。北九州市で起きた、5歳女児が公園遊具から転落した事故を題材に、取材を通して被害者などに話を聞いたり、ダミーの人形を遊具から落として荷重を計測したりしました。遊具を産総研の施設内に再現し、同年代の子どもが遊ぶ様子を録画して分析する。その結果、子どもはこぞって傾斜が急で転落の危険性が大きい、遊具のらせん階段の内側を通ると分かったのです。
遊具メーカーに結果を伝えて改良品を試作してもらい、公園の運営者である自治体に改良の要望を出しました。市が予算413万円を確保し、市内の遊具の改良が実現します。事故情報が関係者に伝わり、問題点が特定されて解決の糸口が見つかる。産総研はこれを「安全知識循環」と名付けてひとつの解として提言しました。
2014年、予防可能な事故から子どもを守る「NPO法人 Safe Kids Japan」(東京・世田谷)を立ち上げた。同系組織の各国支部との交流を通じ、日本社会の異質さを痛感する。11年に起きた東日本大震災を機に、子どもの安全を守る機運が高まり、世界組織「Safe Kids Worldwide」の日本支部をつくる話が出て、理事長に就きました。活動で出会った海外のメンバーにまったく理解されないのが、日本では一般的な「親の私が悪かったから、我が子が事故にあった」という考え方です。
「自分がもっと子どもを見ていれば」、などと一生思い続けて事故の本質の議論につながらず、製品や設備の問題点を訴えることもできない。周りから「あの親は不注意」と厳しい目で見られ、近所で買い物もできず引っ越したという話も聞きます。
米国では子どもを事故で亡くした親がイベントで登壇し、「チャイルドシートを使って」と毅然と訴えます。グリーフケアなど親へのサポートが大前提ですが、「そっとしておいてほしい」のまま事故の詳しい情報が語られないと予防にもつながらない。消費者教育も大事です。
事故を担当するべき省庁の足並みがバラバラなのも大問題です。公園といっても所管が国土交通省だったり、都道府県だったり、地元自治体だったり。「うちの管轄ではない」という回答も多いです。
交通事故には交通安全対策基本法が、労働災害には労働安全衛生法がある。いずれも法律に基づいて専門機関がデータを分析し、件数減少という成果を上げています。子どもは発達するから、高齢者は退行するから、それぞれ事故に遭いやすいのに、子どもと高齢者の事故対応はほったらかしの感がある。「日常生活事故」と位置づけて対策法を制定し、専門機関を設ける必要があると思います。
子どもの事故を減らすために死亡事例を検証する取り組み「チャイルド・デス・レビュー(CDR)」が日本では、頓挫しているのではないかと懸念する。23年度には10の都道府県がモデル事業を実施しましたが、CDRと「死因究明」をめぐる混乱があります。死因究明はCDRを構成する一つであり、CDRは予防の目的で色々な意見を出し合う取り組みで、犯人捜しではなく未来への改善を探るものです。
CDRが動かない理由は2つ。一つは保護者の同意が必要なこと。虐待が原因で死亡した場合、親から同意をとれないでしょう。他国では保護者の同意を求めません。
もう一つは警察の情報公開です。現場検証を経てまとめた報告書は厚さ数センチメートルもあり、予防に必要な事故の詳細情報があっても、専門家でも参照できない環境もある。日本でも事故の予防策を講じやすくするために、警察情報へのアクセスを保証するような法整備が必要だと思います。
事故予防は多くの職種が担えると考える。具体的な事故予防のために、工学系の研究者やメーカー、省庁や自治体、地域社会、政治家など様々な人をつないできました。役割の担い手は必ずしも小児科医でなくていいかもしれない。医師は治療のためのデータを数多く集めますが、予防のデータとなると何が必要なのか分からない。海外でも小児科医が取り組む分野ではないようです。
事故で入院中の子どもの親から話を聞きやすいのは看護師ですし、高齢者が相手なら近くの介護職員が適任でしょう。事故直前から2〜3分後までの状況を動画で再現できるレベルの情報収集が予防には必要で、訓練次第で一般の人にも可能だと思います。
子どもの事故は、社会全体での取り組みが必要です。親など個人の責任にせず、あらゆる分野の人々が連携すれば防げます。多くの人に予防に関わってほしい。子どもの事故死がなくなるまで、挑戦は続きます。
(南優子)
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