「みんなのハートを熱くしたい」と話す大内龍成さん
難病「網膜色素変性症」で視野をほとんど失った埼玉県所沢市の大内龍成さん(24)は、白杖(はくじょう)を頼りにスケートボードを滑る「ブラインドスケーター」だ。「自分が、障害者の心を突き動かしたい」と、活動の動画を交流サイト(SNS)で発信している。 (藤原啓嗣) -自身の病気を知ったのは。 自宅で隠れんぼした際に暗い場所に隠れた母に気付かないことがあって、幼いころから目の病気を疑われていました。小学校入学時の検査で網膜色素変性症と診断されました。その後、この病気をパソコンで調べたら、自分に当てはまる症状が出てきて納得するとともに、「もう見たくない」と画面を閉じました。 小学4年から中学3年まで剣道をしていて、最後の方は竹刀の動きを目で追えなかったです。地元の福島県郡山市の中学校を卒業して、福島市の県立視覚支援学校に進学。天気が分かるぐらいに光を感じますが、視野の95%以上を失い、白杖なしで生活できません。 -スケボーとの出合いは。 中3で友達のデッキ(板)に乗せてもらったら、めっちゃ楽しかった。親に買ってほしいと頼んだら、「目が悪い自分のことを分かっているの? けがが心配」と猛反対。使わなくなった用具を友達にもらって滑っていたら、親にばれました。「そんなにやりたいか。分かった、買ってあげる」と許されて、本格的に始めました。 -白杖を手に滑り始めたきっかけは。 症状が重くなった高等部では勉強もスケボーも諦めかけていました。障害者と見られるのが嫌で、白杖を持つことにも抵抗がありました。この頃、友達が白杖を使って滑る米国のスケーターを教えてくれました。俺が落ち込んでいるのを知って、「見えなくてもスケボーしている人はいるし、練習すれば大丈夫」と励ましてくれました。白杖で探った台に跳び乗る大内さん=いずれも埼玉県新座市のナインスケートパークで
挑戦したら、こんなに難しいのかとびっくり。白杖を持つと上半身が使いづらく、トリック(技)の先行動作が制限されます。跳び乗る台を白杖で探り、見えた頃より高い精度でトリックをかけないと失敗する。パーク(スケボーの専用施設)で滑れるようになるまで1年かかりました。 -心境は変わった。 白杖は、俺という障害者を周囲に分かってもらうためにも必要だと気付きました。パークで滑る自分を仲間は応援してくれました。多くの人に障害者を理解してもらうには、言葉だけじゃ難しい。百聞は一見にしかずで、障害者がどんどん世の中に出て付き合いを増やし、その生きづらさや可能性を分かってもらうことが大事だと思います。 -現在の活動は。 所沢市の国立障害者リハビリテーションセンターで学び、はり師、きゅう師、あん摩マッサージ指圧師の国家資格を2022年に取得しました。鍼灸(しんきゅう)師として働きながら滑っています。スケボーの動画を投稿しているユーチューバーと同市内のパークで知り合い、出演したことで自分の存在が広まりました。インスタグラムに投稿したら数人のブラインドスケーターが誕生。もっと仲間を増やしてパラリンピックの競技にしたいです。 俺のスケボーは、もうただのスケボーじゃない。続けることで救われたし、俺の活動が障害のある人が何かに挑戦するきっかけになるといい。そうすればブラインドスケーターとしての意義が深まるし、光栄です。<網膜色素変性症> 厚生労働省指定の難病の一つ。網膜の異常で視野が狭まり、暗い場所でものが見えにくい夜盲や視力低下などの症状が徐々に進行する。国内では4千~8千人に1人の割合で発症して、約3万人の患者がいるとされる。まだ治療法は確立されていない。
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