トーマス・ジェファーソンやカール・マルクスなど、多くの識者によって企業はつねに批判されつづけてきました。では、企業は民主主義を損なう腐敗した存在であって、不正行為をとどめる解決策はないのでしょうか?(写真:ペイレスイメージズ1(モデル)/PIXTA)企業は世界の動向につねに多大な影響を及ぼしてきた。そして企業は、誕生した当初から、共通善(社会全体にとってよいこと)の促進を目的とする組織だった。しかし今、企業はひたすら利益だけを追い求める集団であり、人間味などとは無縁のものであると考えている人は多い。では、企業はどこで、どのように変節してしまったのか? 今回、古代ローマの「ソキエタス」から、現代の「フェイスブック」まで、8つの企業の功罪を通して世界の成り立ち知る、『世界を変えた8つの企業』より、一部抜粋、編集のうえ、お届けする。

至るところで聞かれる企業への批判

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今では企業への批判は至るところで聞かれる。企業は飽くなき利潤の追求によって、労働者を搾取している。企業は天然資源を使い果たし、環境を破壊している。

企業はずる賢いやり口で消費者を害し、価格を吊り上げている。このような企業の悪しき行為のリストはまだまだ続く。おかげで批評家たちは飯の種に困らない。

トーマス・ジェファーソンは次のように書いている。「金にものをいわせる企業という特権階級を、まだ生まれて間もない時期につぶしておくべきだった。今や政府に力競べを挑み、国の法律を無視するまでになっている」。

カール・マルクスは次のように書いた。企業は「創設者や投機師や名ばかりの経営者の姿をした、新しいタイプの寄生者である。企業の創設や、株式の発行や、株式の投機に関して、手練手管や不正のかぎりを尽くすためのすべてを備えた組織である」。

個々の企業に向けられた批判の言葉はさらに饒舌だ。

18世紀の英国の政治思想家エドマンド・バークは東インド会社のことを論じて、次のように断じた。「この唾棄すべき企業は、やがて、まるで毒蛇のように、自分を慈悲深く育んでくれた国に破滅をもたらすだろう」。



最近では、ジャーナリストのマット・タイビがゴールドマン・サックスを次のように評している。「まるで吸血鬼イカのごとく、人間に抱きついてきて、金の匂いのするものを見つけると、容赦なく、血を吸う漏斗を差し込む」。

しかし、最も古びない痛烈な批判といえるのは、お金の力を使って、民主主義の制度自体を損ねているという批判だろう。政治家に賄賂を贈り政府の事業を受注している、ロビイストを雇って世論を捻じ曲げている、選挙運動に協力した見返りに自社に都合のいい規制を導入させているといった批判だ。

中でもセオドア・ローズベルトによるものは情理を尽くした見事なものだった。1910年、ローズベルトはカンザス州オサワトミーのジョン・ブラウン記念公園で演説し、「公平な取引」への支持を表明した。それは「特別利益団体の悪影響と支配」から政府を解放するという意味だった。

企業が政治に振り向けるお金が、政治汚職の大きな原因になっています。[…]資産の真のよき友、真の保守主義者と呼べるのは、資産は国家の下僕であって、主人ではないと唱える人です。人間の手で作られたものは、あくまで人間の下僕であって、けっして主人にしてはならないと唱える人です。アメリカ合衆国の市民は、自分たちが生み出した強大な商業力の賢明な使い手にならなくてはなりません。

増し続ける企業の政治への影響力

企業が政府に大きな影響力を行使することに懸念を抱いた指導者は、ローズベルトが最初ではない。最後でもないだろう。

ウィリアム・シェイクスピアの『リア王』で、リアはもっとあからさまに次のようにいっている。「罪に黄金の鎧を着せてみよ。そうすれば頑丈な正義の槍も、傷ひとつつけられずに折れるだろう。だが、ぼろの鎧をまとわせれば、小人のわらにすら、突き通される」

企業が政治的に大きな力を持つのは、当然の成り行きだ。民主主義の政府には、民主主義に則るかぎり、社会の利害や、好悪や、願望が反映されていなくてはならない。したがって、企業が世の中に不可欠な存在になるほど、おのずと政治への影響力は増す。むしろ、政府が国内の巨大企業の利害に合わせて政策を変えないほうが、よっぽど驚くべきことといえるだろう。

しかし今、わたしたちが考えなくてはならないのは、企業が民主主義を変えたかどうかではない。変えたことはもはや自明だろう。そうではなく、どれほど民主主義を変えたか、どのように変えたかだ。

多くの識者の目には、それは悪いほうに変えたと映っている。間近で自分たちの組織の絶大な力が発揮されるのを目撃してきた企業内部の人間にも、そう感じている者がことのほかおおぜいいる。

冷笑家はこういう状況を前にしても、肩をすくめて、次のようにうそぶくだけかもしれない。「所詮、企業は他者の犠牲の上に富を築き、政治家に賄賂を贈り、民主主義を腐敗させるものだ。企業にほかに何を期待せよというのか」と。

歴史を通して見られるさまざまな解決策

しかし企業の歴史を紐解いてみれば、あまり性急に判断を下すべきではないことがわかる。新たな企業の不祥事や、新たな不正が明るみに出るたび、社会は課題に取り組んで、解決策を講じてきた。

政府から徴税を請け負っていた富豪たちがローマの属州を不当に苦しめていたことが発覚すると、皇帝アウグストゥスは政府が直接租税を徴収する方式に切り替えた。

東インド会社は株の仕組みのせいで社員間に争いが生じていることに気づくと、社員どうしでインセンティブが一致するよう恒久的な株を発行した。

1929年に発生した株価の大暴落後、一般投資家への株の売却で詐欺行為が横行していたことが明るみに出ると、米国議会は証券法と証券取引所法を制定して、一般投資家を欺く行為を取り締まり始めた。

これらは資本主義の世界に起こった重要な変化だが、忘れられていることが多い。企業ではなく、政府が税金を徴収することも、個々の事業ごとに利益を還元するのでなく、恒久的な株を発行することも、株主への情報開示を企業に義務づけることも、今では当たり前になっている。しかしそれらは昔から当たり前だったわけではない。

(翻訳:黒輪篤嗣)

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