年齢を重ねると、若いときには知らなかったことを「そうだったのか」と知ることが、たくさんあります。何より大事なのは心の持ちようです(写真:metamorworks/PIXTA)ほんの小さなことからでいい。「自分に何かできることはあるかな」と考え、少しだけ利他的に行動する。それが、自分にも多くのよろこびや、幸せをもたらしてくれる――。新著『与える人「小さな利他」で幸福の種をまく』では、『女性の品格』の著者、坂東眞理子さんが、自分中心主義からちょっと離れ、周囲や他者の問題にもう少し目を向けることがいい人生をつくるコツだと説きます。本稿では、同書から一部を抜粋、編集してお届けします。

中高齢期にこそ「真の花」を

せっかく長生きできるようになったのに、年を取るのは衰えること、いままでできたことができなくなること、これまで持っていたものを失うことだ、と考える人がたくさんいます。

たしかに、多くのオリンピックやプロのスポーツ選手は年齢を重ねると「体力の限界」で引退します。

種目によりますが、瞬発力が要求される短距離陸上選手、柔軟性を要求される体操やフィギュアスケートなどの選手は、10代から活躍して30歳前に引退していきます。

対してゴルフやアーチェリーなど、技と経験が要求される種目では40~50代でも活躍する選手がたくさんいます。

スタイルや美貌は、年とともに衰えていくとされています。

私の故郷に「風の盆」という優雅な民謡踊りがありますが、男踊りで一番かっこいいのは、贅肉がなくすっきりしたスタイルの高校生の男の子だそうです。女の子でも10代の少女たちの匂うような肌の美しさはその年代にしかありません。

20代からは男女ともふっくらとしてきますが、それを「若さを失った」とマイナスに評価するか、女らしい別の魅力がついてきたと評価するかによって違います。

中高齢期に「真の花」を咲かせる

一方で、70代でも美しい踊りを続けておられる森下洋子さんのようなバレエダンサーもいらっしゃいます。日本舞踊や能、歌舞伎などではみずみずしい若手とともに、経験と技を積み重ねた方たちが60代、70代でもたくさん活躍されています。

俳優の世界でも、若手が次々と登場するなかで、ベテランでも魅力を保ち続けている方はめずらしくありません。

若いほうが絶対に美しい、魅力的とはいえません。能の世阿弥がいっているように、若いときは「時分の花」がありますが、それがなくなった中高齢期に「真の花」を咲かせる方は多いのです。

つまり、日本は美しさについては「若さ」に価値を置いてきましたが、そろそろ見直すべき時期になっているのだと思います。人間の能力が試験の成績や偏差値だけでは測れないように、人間の総合的な価値も、体力や見た目だけでは測れないものなのです。

生物としての若さだけでなく、これまでの経験や磨いてきた技を評価される分野もあります。それには評価する「目利き」が必要とされるのです。

目利きになるには経験が大事です。

知的能力でも集中力や記憶力のように、若い時期のほうが優れている分野もありますが、判断力、包容力、洞察力、類推力、共感力のように、年を取ってから伸びる能力もあります。

創造性も若いころのほうが豊かだといわれますが、ゼロから生み出す創造だけでなく、スマートフォンのように、すでに存在していた電話と音楽、動画などを結びつけて新たなものを創造するケースもあります。

そちらの創造力のほうが、現実には社会に広く受け入れられています。

スポーツや芸術の面だけでなく、社会や職業生活でもいろいろな能力があって、それぞれピークを迎える時期は異なります。

新しいスキルや情報については若い人のほうがよく知っているかもしれませんが、人間関係の調整力、表現力、人間性への洞察など、年齢を重ねたことによって得られるものもたくさんあるのです。

年を取ったからこそできることも

このように、年齢を重ねると、若いときには知らなかったことを「そうだったのか」と知ることが、たくさんあります。できることも増えています。

私たちの世代では人生の半ばを過ぎてからパソコンが職場に入ってきましたが、いまでは私にも生活上欠かせない道具になっています。必要に迫られた結果、インターネット検索、パワーポイントづくりなど、自分には無理かなと思っていたこともこなせるようになっています。

この1、2年の間に、遅ればせながらQRコードで予約を取ることもできるようになりました。

30歳のときの私、40歳のときの私はできなかったけれどいまはできる、知っていることがたくさんあります。多くの60代や70代の人は、私と同じように感じているでしょう。

社会生活で必要になっているスキルは、若い人や専門家に教えてもらいながら身につけなければなりません。あきらめて試してもみない、教えてももらわない、練習もしないという態度では、時代に適応する最低限のスキルも身につきません。

「知らないと思われるのは恥ずかしい」「こんなことで若い人をわずらわせては申し訳ない」というのは“謙虚”なのではなく、バカにされたくないとこだわる自意識が高すぎるせいなのです。

何より大事なのは心の持ちようです。

年を取ると、たしかにもの覚えが悪くなるとか、重いものが持てない、速く走れない、両方の指でスマホに入力できないなど、できないことも増えてきます。  

しかし周囲と比べるのではなく、過去の自分と比べてみるのです。

人生を足し算で考える

若いときにはできたのに……これもできない、あれも無理だ、と数え立てていては、気持ちが沈んでいくだけです。そうではなく、できるようになったことを意識的に数えてみるのです。

「前はわからなかったのに、こんなに新しいことがわかるようになった」と、自分で自分を励ましましょう。

『与える人 「小さな利他」で幸福の種をまく』(三笠書房)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします

自分自身でほめるのが難しかったら、ほめてくれる人とつきあうことです。そして自分も人の進歩を認め、応援する、感心する、褒めることを相互交換するのです。

そして、老眼になったら眼鏡をかけるように、聴力が落ちたら補聴器をつける、歩くのがおぼつかなくなったら杖を突くように、使えるものを十分に使いこなして、社会生活を続けていくことが大事です。

恥ずかしいという気持ちにとらわれてはいけません。

「あれもできない」「これもできなくなった」と引き算をして、「人に迷惑をかけないでひっそり消えていくのが美しい」という『徒然草』の時代のような美意識や人生観から解放されなければなりません。

「自分はこれができるようになった」「人の気持ちや社会のあり方がわかるようになった」と足し算で考えて、自己肯定感を高めていくようにしましょう。

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