宮城県に本格的に競技を始めて10カ月あまりで大躍進を遂げた中学生がいます。気仙沼・階上中3年の畠山一気選手です。気仙沼から日本一を目指す畠山選手を二人三脚で支えてきたのは東日本大震災を経験した父親の存在でした。

7月、県中総体陸上3年男子100メートル決勝。このレースでひと際会場を沸かせた選手がいました。気仙沼市階上中学校3年畠山一気選手。正式な部のない階上中のユニフォームを着た畠山選手は県中学記録を27年ぶりに塗り替える10秒79で優勝。今年初の全国にも勝ち進むなど飛躍の一年を迎えています。

畠山一気選手
「陸上を本気でやっていくと奥の深さがわかって、もっと楽しくできるようになりました」

もともとラグビーをしていた畠山選手でしたが、けがを機に中学2年の10月から本格的に陸上に転向。1年足らずでの急成長でした。今年5月から指導するクラブチームのコーチはその強さをこう分析します。

スタートライン 菅秀輝さん
「一番の持ち味は爆発的な加速力、トップスピードの高さ。中学生と思えないくらいの最初は印象で。大学生なんじゃないかと思うくらいの走りを見せてくれていました」

それを可能にしているのが、この肉体です。ベンチプレスの重量は中学3年生ながら120キロ。気仙沼市内の自宅で父・智一さん指導の下、小学校4年生ごろから筋トレを続けてきました。

畠山一気選手
「最初はやらされていた感じがあったが、ラグビーとか目標ができてから楽しいというか、意味があるからやるという考えになった」

実はこの父・智一さんはアームレスリングで2004年2015年の二度日本一に輝き世界大会にも出場した元日本チャンピオンです。

父・智一さん
「私がそういうふうな筋トレが好きで、全てのスポーツが筋力が土台だと思っているので、そこ重視で私はやりたかった」

畠山選手は現在、階上中学校の3年生。その身体を維持するため食事のとり方も工夫しています。

畠山一気選手
「かんだ方が栄養取れやすいってよく聞くのでやっている感じ。一日の中でお菓子とか油ものは一切食べなかった」

陸上転向後、好タイムを連発してきた畠山選手でしたが、今年8月、初めて大きな挫折を経験しました。それは自身初の全国の舞台全中陸上100メートル決勝。予選を全体2位で通過した畠山選手は6レーン。

スタートの合図より早く動いたとしてフライングで失格。日本一まであと一歩のところで走ることすら許されませんでした。

畠山一気選手
「まじかーって感じですね。ずっと決勝で走るってことが目標、夢だったので、決勝の二度とない舞台でフライングをして、悔しいというかそういう気持ちですね」

レース直後、落ち込む息子に父親は、こう声をかけたといいます。

父・智一さん
「思い通りにいかないことがあっても、あきらめないで前に進む」

畠山一気選手
「次があるからこれから頑張れって言われてそうだと思った」

父・智一さんのこの言葉には、東日本大震災を経て二度目の日本一を勝ち取った自身の経験が深く影響していました。

「ここが昔の家があったところ、(一気は)1歳だから覚えていないだろうけど」
東日本大震災発生時に住んでいた沿岸部の自宅跡地。津波が押し寄せた時、父・智一さんは不在で、当時1歳の畠山選手は祖父母と車で避難しました。

父・智一さん
「車で逃げて、もうすぐ後ろまで波が来たみたいで、波と追っかけっこで車でバーっと逃げて。山の手の方に親戚がいたので、とりあえず親戚の家に身を寄せた」

家もトレーニング設備も全て無くなりました。ここから再び日本一を目指した活力は、傷ついた故郷を勇気づけたいという気持ちでした。

父・智一さん
「気仙沼全体が全部落ち込んでいて。何かで挑戦して環境が無くてもやれるんだっていうところをみせたかった」

畠山一気選手
「何にもないところから(日本一に)なっているのですごいと思いました」

あのフライングから1カ月あまり。父の励ましを受けた畠山選手は、9月の記録会で自己ベストをさらに更新する10秒63を記録。挫折を乗り越え、さらに成長を遂げていました。

畠山一気選手
「空気が好きで吸いやすいというか、そこが気仙沼はいいところですね」

生まれ育った気仙沼から父と二人三脚で目指す日本一。次なる舞台は10月5日、佐賀県で開幕する国民スポーツ大会。中学最後の大舞台、全中の決勝に置いてきた目標を再び取りに帰ります。

「日本新記録10秒4台を出して、全中決勝フライングした分まで国体でその思いを晴らせるように頑張りたい」

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