■「急がば回れ」の語源となった『瀬田の唐橋』からスタート

1枚の写真から街を再発見 兵動大樹の今昔さんぽ。

滋賀県大津市の「瀬田の唐橋」。この橋は「急がば回れ」のことわざの語源として知られています。

かつて、江戸から京都へ向かう旅人たちは、琵琶湖を船で渡るよりも、南に大きく迂回するルートにはなりますが、この橋を渡る方が安全で確実だったそうです。

さて、1955年(昭和30年)ごろに大津市で撮影されたという写真。川べりで寄り添うカップルが写っています。

【兵動大樹さん】「この当時、抱き寄せるなんてハレンチなことがあったんですね。川沿いでいいムード」

兵動さんが地元の人に写真を見てもらうと、「南郷洗堰(なんごうあらいぜき)やと思う」とのこと。デートスポットというわけではなく、琵琶湖から宇治川・淀川へ流す水量を調整する重要な場所だそうです。

詳しく調べるため、「南郷洗堰」へ向かって、瀬田川沿いの遊歩道を進んでいくと、途中、「南郷温泉」の看板がありました。昭和の時代、温泉のほか遊園地などもある観光名所だったとのことです。

■「アクア琵琶」で豪雨体験

兵動さん、「水のめぐみ館 アクア琵琶」で、洗堰について教えてもらいました。琵琶湖の水位は雨が重要なポイントだとのことで、アクア琵琶の「雨たいけん室」で豪雨体験をさせてもらうことに。

【兵動大樹さん】「600ミリ(世界最大級の雨量)。ははは、すごいわ。600ミリは滝ですね。修行みたい」

■昔も今も人々の暮らしを守ってきた「洗堰」

降った雨はおよそ120本の一級河川から琵琶湖に流れ込み、そこから流れ出る唯一の天然河川である瀬田川の水を「瀬田川洗堰」で流量を調節して、宇治川・淀川へと流れ、人々の暮らしに生かされています。

「南郷洗堰(旧瀬田川洗堰)」は1905年(明治38年)に完成。長年にわたり琵琶湖の水量を調整し、洪水や渇水から人々の暮らしを守ってきました。1961年(昭和36年)には新しい「瀬田川洗堰」が完成しました。昔の洗堰は丸1日がかりで人の手で開け閉めしていましたが、新しくなって電動で30分で開閉できるようになったということです。

アクア琵琶から対岸に渡り、写真が撮影されたと思われる場所にたどり着きました。

【兵動大樹さん】「琵琶湖の水を調整する瀬田川洗堰でした。雨たいけん楽しかった」

(関西テレビ「newsランナー 兵動大樹の今昔さんぽ」 2024年9月27日 金曜日放送)

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