私の人生は、まさに哲学との出合いによって大きく変わりました。
大手商社に就職し、その後、社会を変えるために会社を辞めたもののうまくいかず、20代後半でフリーターになっていたときに哲学に出合い、公務員と大学院を経て哲学者になった――。まさに波瀾(はらん)万丈の転身を重ねてきたのが、私の半生です。
今回ご紹介するのは、そんな私の激動の人生に影響を与えた哲学書です。
そもそも哲学とは、自分の頭で考えることで、思い込みや常識を乗り越えるための方法。出合った時期は違いますが、それぞれの本は失敗や挫折を乗り越えるためのヒントとなり、より善く生きていくための指針になりました。
当時読んでいた本は絶版のものも多いため、今も手に取りやすい6冊を紹介します。
『ソクラテスの弁明 クリトン』 哲学の目的は「善く生きる」こと
商社を辞めて人権派弁護士を目指したものの挫折し、ほぼフリーターになっていた20代後半。どん底の中でふと手に取ったのが、一冊の哲学入門書でした。その本はすでに絶版なのですが、その中で私が引かれたのは「哲学とは疑うことであり、疑うことで幸せになれる」という言葉。それを最初に実践した「哲学の祖」として紹介されていたのが、古代ギリシャの哲学者・ソクラテスでした。
それから手にしたこの『ソクラテスの弁明 クリトン』(プラトン著、久保勉訳、岩波文庫)は、私が初めてきちんと読んだ古典で、哲学への扉を開いてくれた本。古典には難解なイメージがありましたが、この本は対話形式で親しみやすいのも魅力でした。
私がこの本から学んだのは、「『 疑う』とはどういうことなのか」ということ。中でも感銘を受けたのは「哲学の目的は善く生きること」という言葉でした。同時に、これまで漫然と生きてきた自分の人生を省みて、「本当に自分が納得のいく、自分にとって『 善い生き方』ができるものが哲学だというのなら、やってみよう」と決意する、哲学人生のきっかけを作った一冊です。
『法の哲学Ⅰ・Ⅱ』 働き方・生き方の原型を作った本
次に、具体的に「社会を変える哲学ってどんなものだろう?」と探して出合ったのが、ドイツの哲学者・ヘーゲルの『法の哲学Ⅰ・Ⅱ』(ヘーゲル著、藤野渉・赤沢正敏訳、中公クラシックス)です。
ヘーゲルは、マイナスをプラスに変える「弁証法」など近代哲学の完成者として有名ですが、彼は政治思想についてもたくさん論じているんですね。私は法学部の出身だったこともあり、大学院ではヘーゲルの法哲学を研究し、博士論文のテーマにも選びました。
特に影響を受けたのは、個と社会(共同体)との関係性についての論考です。ヘーゲルが理想とする社会像は、「個人の自由を実現する社会」。当時、社会を変えるための道筋を探してさまよっていた私にとって、ヘーゲルの描く社会像は自分が求める理想の形に近いと感じました。「これこそが私がやりたかった公共的な哲学だ」と思い、解説書を片手に夢中で読んだのを覚えています。
さらにこの本には、より善い社会のために個人はどう生きていくべきかについても書いてあります。社会のつながりの中で個人はどうあるべきか、誇りのために働くことの大切さなど、個人に役立つ学びも詰まっている。まさに、今の自分の働き方・生き方の原型を作った本といえます。
(編集部注:小川さんの書籍 『哲学を知ったら生きやすくなった』 でも紹介)
ちなみにヘーゲル自身は、哲学者としては遅咲きの苦労人なんです。私とちょうど200歳差で、同じく37歳で本を書き、さまざまな仕事をしながら哲学の世界でのし上がった。どこかで、彼の人生に自分を重ねているのかもしれません(笑)。
『これからの「正義」の話をしよう』 仕事スタイルを決定づけた一冊
『これからの「正義」の話をしよう』(マイケル・サンデル著、鬼澤忍訳、ハヤカワ・ノンフィクション文庫)は、2010年に発売され、日本でも社会現象になった政治哲学者でハーバード大学教授のマイケル・サンデルのベストセラー。当時、私は既に哲学者として活動していましたが、初めて読んだときに「現代におけるヘーゲル哲学の実践版だ」と感銘を受けました。
この本で議論されるのは、究極の難問です。「1人を殺せば5人が助かる状況があったとしたら、あなたはその1人を殺すべきか?」「金持ちに高い税金を課し、貧しい人々に再分配するのは公正なことだろうか?」――こうした哲学議論からは、現代のさまざまな社会問題の奥に、哲学や倫理の問題が潜んでいることが分かります。
サンデル教授は、こうした社会問題をどう考えるべきか、そして哲学は社会にどう関われるのかということを、聴衆や一般市民との哲学対話を通して明らかにしていきます。
私はこの本から「社会に哲学をいかに実装するか」を学んだほか、対話型授業などの実践の手法にも影響を受け、サンデル教授に直接教えを乞うためにハーバードまで会いに行きました。そこでの対話が、「哲学カフェ」をはじめ今の私の仕事スタイルに多大な影響を与えています。
『眠られぬ夜のために』 悩みで眠れない夜には…
私は、昔から、わりと夜に眠られないタイプなんです。頭を空っぽにするのが難しくて、夜にもんもんと考えて眠れなくなる。同じように悩んでいる方も多いのではないでしょうか。
そんな悩み多き私が20代に出合ったのが、この『眠られぬ夜のために』(ヒルティ著、草間平作・大和邦太郎訳、岩波文庫)です。
私が一番救われたのは、「眠れないなら眠る必要はない」と書かれていたこと。ヒルティによると、眠られないのは気がかりや悩みがあるからで、人生を変えるチャンスでもある。だから無理に寝ようとせずに、きちんと考えて解決すればスッキリ眠れるというのです。
私は今でもこの本から学んだことを実践していて、眠られないときはワーッと起きて電気をつけて書き出します。何に悩んでいるか分からないときも、「何が嫌か」をキーワードに書き出して原因を見つける。さらに「どうすればいいか」「何がネックなのか」とだんだん広げていく。大事なのは、悩みを言語化して整理すること。そうすればスッキリするし、疲れてよく眠れます。
本書には、1人で解決できないときの対処法も書いてあって、その一つが信頼する人にアドバイスを求めること。夜で他人に求められないときはどうするか――? 想像の世界で「あの人だったらどう言うか、どうするか」と考えてみればいいのです。そんな役立つノウハウも教えてくれる、実践的な一冊です。
『人生論ノート』 人生に必要なことが全て書いてある
先述のヒルティと並行して、私が何度も読み返してきたのが、京都学派の哲学者・三木清の『人生論ノート』です。
この本に出てくるのは、死、幸福、懐疑、偽善、個性、希望、孤独など、誰もが人生で直面する23のテーマ。それぞれ5ページほどの短いエッセーなのですが、読むほどに味わいが深くなる。タイトル通り、人生に必要なことが全て書いてある一冊です。
三木は戦中に治安維持法で検挙され、獄中で病死しました。こうした極限状態の中でつづられた人生や幸福に対する深い洞察には、心に刺さるものがあります。
例えば、希望についての章に書かれた「希望とは断念すること」という言葉。希望を生きるための力として生かせるかは、断念できるかどうかにかかっていると三木は言います。他にも人生には成功も失敗もなく、どちらも人生を彩るものだといったように、新たな視点が開けるようなはっとする考え方がちりばめられています。読んでいくうちにどんどん思考が柔軟になり、日常のさまざまな物事について「今度は違う視点で捉えてみよう」と考えられるようになるんですね。
自分も人生の終わりには、人生を総括してこんな人生論ノートを書いてみたい――。そう思うくらい、大きな影響を受けている本です。
『百歳の哲学者が語る人生のこと』 不確実な現代の「生き方の手本」
最近になって影響を受けたのが、激動の100年を生き抜いたフランスの哲学者・社会学者のエドガール・モランです。この『百歳の哲学者が語る人生のこと』(エドガール・モラン著、澤田直訳、河出書房新社)はいわば彼の人生の回想録であり、根底にあるのは「不確実な時代をどう生きるか」というテーマです。
「生きるとは、不確かな大洋を航海することだ。ときどき確かな島々で食料や物資を補給しながら」――。モランはそう述べたうえで、不確実の時代は「詩のように生きるのがいい」と勧めます。
詩的な生き方というのは、あたかも詩を読むように、その場その場で楽しみながら最善の対応をする生き方です。花を見て美しいと思ったら、その感動をそのまま表現するように――。
詩的な生き方の反対は、知識や論理に頼って生きる散文的な生き方。そうではなくて、日常の中に詩を求める心や、美しいものや何気ないものに心を開く「詩的な感動」こそが、人生に真の喜びや充実感を与えてくれるとモランは唱えています。これを読んで、私は心から共感しました。
戦争のリアル、パンデミックなど、激動の時代をしたたかに生き抜いてきた100歳の哲学者が言うからこそ、説得力がある。不確実な現代の生き方のお手本にしたい一冊です。
ソクラテスの弁明 クリトン (岩波文庫 青601-1)- 著者 : プラトン
- 出版 : 岩波書店
- 価格 : 627円(税込み)
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小川 仁志哲学者・山口大学国際総合科学部教授。1970年京都市生まれ。京都大学法学部卒、名古屋市立大学大学院博士後期課程修了。博士(人間文化)。商社勤務(伊藤忠商事)、フリーター、公務員(名古屋市役所)を経た異色の哲学者。徳山高専准教授、プリンストン大学客員研究員等を経て現職。大学で課題解決のための新しい教育に取り組む傍ら、「哲学カフェ」を主宰するなど、市民のための哲学を実践。各種メディアにて哲学の普及にも努めている。著書は『哲学を知ったら生きやすくなった』(日経BP)をはじめ100冊以上。
(取材・文: 渡辺満樹子、編集協力: 山崎綾、構成: 長野洋子=日経BOOKプラス編集)
[日経BOOKプラス2024年6月20日付記事を再構成]
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