(写真:kikuo/PIXTA)財政社会学者の井手英策さんは、ラ・サール高校→東京大学→東大大学院→慶應義塾大学教授と、絵に描いたようなエリート街道を進んできました。が、その歩みは決して順風満帆だったわけではありません。貧しい母子家庭に生まれ、母と叔母に育てられた井手さん。勉強机は母が経営するスナックのカウンターでした。井手さんを大学、大学院に行かせるために母と叔母は大きな借金を抱え、その返済をめぐって井手さんは反社会的勢力に連れ去られたこともあります。それらの経験が、井手さんが提唱し、政治の世界で話題になっている「ベーシックサービス」の原点となっています。勤勉に働き、倹約、貯蓄を行うことで将来の不安に備えるという「自己責任」論がはびこる日本。ただ、「自己責任で生きていくための前提条件である経済成長、所得の増大が困難になり、自己責任の美徳が社会に深刻な分断を生み出し、生きづらい社会を生み出している」と井手さんは指摘します。「引き裂かれた社会」を変えていくために大事な視点を、井手さんが日常での気づき、実体験をまじえながらつづる連載「Lens―何かにモヤモヤしている人たちへ―」。第4回のテーマは「弱者が弱者をたたく社会」です。

ブルーハーツが予言した日本の悲しい未来

まだ52歳……と強がってはみても、やはり年を取ると新しい曲を追いかけるのがおっくうになる。だが、家でも、車を運転していても、そんな父の「老化」を意にも介さない4人の子どもたちが、シャワーのようにヒット曲を私に浴びせかけてくる。

たまにいいな、と思う曲もあるが、子どもたちが歌詞をそらんじるのに、こちらはいくら聞いても覚えられない。

敗北感に打ちひしがれる。だからだろう。最近、現実逃避からか、昔好きだった曲を聞き直す機会が増えた。

私のお気に入りの一曲に、ザ・ブルーハーツの「TRAIN-TRAIN」がある。

弱いもの達が夕暮れ さらに弱いものをたたく その音が響きわたれば ブルースは加速していく出所:「TRAIN-TRAIN」(作詞:真島昌利)、1988年

はじめての寮生活に戸惑っていた私が、毎日のように聞いていた高校1年生のころのヒット曲。団塊ジュニア、その前後の世代のみなさんには、たぶん忘れられない1曲だろう。

だけど、この曲が、日本の悲しい未来を予言していたとは、夢にも思わなかった。

みなさんは、2017年1月に発覚した「小田原ジャンパー事件」をご存じだろうか。「保護なめんな」「不正受給は人間のクズ」と書かれたジャンパーを身に着けた市の職員が、生活保護利用者宅を約10年にわたって訪問していたという事件だ。

メディアやネットでは一斉に批判の声があがった。人権団体からも市に激しい抗議の声が寄せられた。ネット上では「福祉不毛地帯」の文言が躍った。

そんな折も折、当時の市長は、小田原市民の私に、事実解明の検討会議の座長就任を依頼してきた。批判の矢面に立つのは誰だって嫌だ。だがこれも市民の務め、と観念した私は、依頼をお引き受けすることにした。

なかなか物事を決められないことを「小田原評定」という。だが、いま振り返ってみると、小田原市の対応はじつに素早かった。

市は、批判の急先鋒である人権団体のメンバーや生活保護の元利用者を会議に招いた。また、委員の求める必要な情報を文字通りすべて開示した。

報告書の提言も着実に実施され、批判の急先鋒だったはずの人権団体、生活保護問題対策全国会議が小田原市を表彰するという、前代未聞の「事件」まで起きた。

職員を応援する声が45%に達していた

こうして、「福祉不毛地帯」と酷評された小田原市は、「絶望から生まれつつある希望」と評されることになったのだが、検討会議では個人的にショッキングな出来事があった。

事件が報道され、多くの声が市に寄せられたといったが、私は、当然、職員への苦情、叱責の一色だろう、と思っていた。

だが、市の職員さんに集計結果を聞いてみると、職員の行動を批判する声が全体の55%、よくやった、もっと不正をきびしく取り締まれ、という応援の声がなんと45%に達していた。

生活保護の不正利用を金額で見てみると全体の0.3〜0.4%だ。生活保護利用者は、理由があって働きたくても働けない人たち。気の毒な人ではあっても、悪い人たちではない。そんな私の正義、メディアや人権団体の正義は、社会の正義とズレていたのだ。ショックだった。

報告書を市長に手渡して数カ月たったある日のこと。私は友人と一緒に夕食を取っていた。となりの席に座っていたのは、若い研修医のグループだった。

彼らは小田原のジャンパー事件を引き合いにしながらこう言った。ちなみに、オプジーボとは非常に高価ながん治療薬のことである。

「小田原の話、知ってる?」

「知ってる。いつも生保のくせにオプジーボ使うなって思うんだよね」

「税金払ってないもんな。生保は生保並みの治療で我慢しろよな」

助けられているのだから、高度な医療くらい遠慮しろ、と彼らはいう。命に軽重があるのか? これが日本の医療を支える若者の声なのか? 私は怒りで震えそうになった。

「既得権のない弱者」の「既得権を持つ弱者」への怒り

だが、ふと気づく。この若者たちの声と、小田原市に寄せられた声はそっくりではないか。双方に共通するのは、弱者へのねたみと憎悪。いや、もっと正確にいうならば、「既得権のない弱者」の「既得権を持つ弱者」への怒りではないか。

朝から晩まで働き、爪に火を点すような暮らしをしている人がいる。世帯収入のピークは1990年代後半。結婚や出産、持ち家をあきらめた人も多い。彼らの目には、働かずに収入をもらえる生保利用者は、「特権的弱者」に見えているのかもしれない。

医者と聞くと富裕層をイメージする。だが、研修医の年収は平均400万円強というデータもある。夜間勤務や長時間労働に苦しみ、過労死すら起きている。そんな彼らもまた、「既得権のない弱者」だったのではないか。

「国際社会意識調査」を見てみよう。 以下の質問を「政府の責任」と考えない回答者の割合の多さを知ることができる。まるで、私たちは、「弱者」を「既得権者」と認識し始めているようだ。

「病人が病院に行けるようにすること」1位/35カ国「高齢者の生活を支援すること」1位/35カ国「失業者の暮らしを維持すること」2位/34カ国「所得格差を是正すること」6位/35カ国「貧困世帯の大学生への支援」1位/35カ国「家を持てない人にそれなりの家を与えること」1位/35カ国

「弱者」の救済は道徳的には正しい。市職員の行為を支持した人たちも、研修医たちも、まちがっている。だが、「弱者へのやさしさ」を当然視するリベラルは、長年、苦戦を強いられてきた。正しさが民意と同じであるとは限らない。

哲学者ニーチェは、「強者」に対するねたみ、憎悪を「ルサンチマン」と呼んだ。生活苦や仕事のきびしさに耐えている大勢の人たちが、さらなる弱者の既得権を監視し、ねたみ、批判する。まるで「ゆがんだルサンチマン」だ。

「弱者」とは決して弱い人たちではない。やむをえない理由で、弱い立場に置かれた人たちだ。それなのに、弱者が、さらなる弱者を叩く。この様子をTRAIN-TRAINの作詞家である真島昌利さんは、どんな気持ちで見ているのだろう。

悲観する私、肯定的未来を思う娘

「世界価値観調査」によると、「国民みなが安心して暮らせるよう国は責任を持つべき」という質問に8割近い回答者が賛成している。私たちは貧しくなった。「誰か」ではなく「みんな」の不安をなくすための政策、「弱者」の<再定義>がいま必要なのだ。

この歌は悲しい予言の曲なんだよ――そう言って、私は、娘にTRAIN-TRAINを聞かせた。あまり実感がわかない様子だった。だが、聞き終わると、彼女はおもむろにYouTubeをひらき、Snow Manの曲を流し始めた。

心が荒んでしまって誰も信じられなくなって強く当たってしまっても待っててくれたんだもしこの先君が困る時があったら今度は僕が君のこと支えてあげるから出所:「ベストフレンド」(作詞:SHOW)

もしかするとこの歌が日本の未来になるかもしれないね、と娘はつぶやいた。私の頭には、支え合い、頼り合う人びとの姿が浮かんだ。心が温かくなった。

否定的な現状。悲観する私。いまを生き、肯定的未来を思う娘。どちらが正しいのかは誰にもわからない。でも、そんな<やさしい社会>を想像するのも悪くない。今日は、家族と語り合ってみよう。Snow Manを聴きながら。

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