人生をシンプルに生きる稲垣えみ子さん(左)に、在宅医の中村医師が「最期を幸せに迎える方法」について聞きました(写真:今井康一撮影)これまで1000人以上の患者を看取り、「最期は家で迎えたい」という患者の希望を在宅医として叶えてきた中村明澄医師(向日葵クリニック院長)。著書『在宅医が伝えたい「幸せな最期」を過ごすために大切な21のこと』では、死を目の前にした患者が幸せな最期を過ごすためのヒントを伝える。終末期医療に携わる中村医師には、幸せを感じる力を高める理想的な生き方を実証しているとして、目標とする人がいる。『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』を上梓した稲垣えみ子さんだ。50歳で大手新聞社を早期退職後、洗濯機や冷蔵庫などを手放し、モノを持たないシンプルな生活に幸せを見いだしている。そんな稲垣さんに、人生の最期を幸せに迎える方法について、中村医師が聞いた(対談は前後編あります。こちらは前編です)。後編はこちら:認知症の親を看取った2人の「後悔と幸せな最期」この記事の画像を見る(4枚)

「人生ぼちぼちよかった」って思うには

中村明澄医師(以下、中村):医師になって23年、在宅医としては約10年になりますが、終末期を迎える患者さんに「人生ぼちぼちよかったな」と思って過ごしてもらうにはどうしたらいいか、ずっと探してきました。そこで、稲垣さんの生き方にたどり着き、ぜひお話を聞きたいと思っていたんです。

稲垣えみ子(以下、稲垣):ありがとうございます。中村先生が患者さんのお家を訪ねる在宅医になられたのは何かきっかけがあったんですか?

中村:人を助けられると思って医師を志したけれど、現実は違っていた。病気はそう簡単には治らないということに衝撃を受けたんです。

稲垣:病気はそう簡単に治らない、ですよね。確かに。

中村:そうなんです。完全に治った!といえる病気は意外と少ないんです。そして病院に入院すると、いろんな検査を受けることになりますが、基本的に1人です。病気の原因を突き止めて治療するためには必要なことなんですけど、1人でつらい検査に耐える方をたくさん見てきました。

また、当時は終末期で呼吸が止まった場合でも、ほぼ全例、「ご家族は外でお待ちください」と、心臓マッサージや人工呼吸をする心肺蘇生を30分程度頑張っていました。でも、息を吹き返すことは難しく、処置が終わったあとで、家族は呼ばれて病室に戻ります。

稲垣:病院としては、最後まで「ベスト」を尽くさなければいけない。

中村:でも、これだと亡くなる瞬間に患者さんは家族と一緒にいることができません。こうした病院での医療に疑問を抱いていたときに、訪問診療の現場を見学したら、患者さんが自宅で治療を受けながら普通に生活し、家族に見送られながら最期を迎えていました。その姿に感動して、そういう仕事がしたいと思ったのがきっかけです。

「40歳を過ぎたら下り坂」と話す稲垣さん(写真:今井康一撮影)

「幸せな最期って何だろう」って

稲垣:いいお話ですね。在宅医になられる前から“幸せな最期”について考えていたのですか?

中村:ひたすら仕事をしていた時期に母を病気で亡くし、はじめて自分の人生と向き合いました。自分のことを考えるうちに、患者さんにとっての人生って何だろう、幸せな最期って何だろうって考えるようになっていきました。

稲垣さんが、モノやお金を媒介しない幸せを見つけるにいたったきっかけは何だったのでしょう。

稲垣:50歳で朝日新聞社を辞めたことが大きかったです。あ、嫌になって辞めたわけではないんです。40歳になったころ、とあるきっかけで「もうすぐ人生の折り返しだ」と気付いたんですね。

当時はまだ「人生100年時代」という言葉はなくて、寿命は80歳くらいという感覚だったので。ということは、これからは下り坂の人生なんだなと。それまでずっと、収入が増え、家を大きくし、モノも増やし、つまり「上っていく」のが当たり前という人生観でした。でも最後は死ぬのだから、坂を下りていかないといけない。そのことにはっとしたんです。

中村:定年まで会社に残るという選択肢はなかったのですか?

稲垣さんが定年までいなかった理由について聞く中村医師(右)(写真:今井康一撮影)

「若いころはよかった」と言いながら…

稲垣:最初はもちろん定年まで勤めるつもりだったんです。でも定年で退職したとしても、上っていくことがいいことだという価値観を持ち続けていたら、その後の人生はすごく惨めなものになるということに気づいた。

だって定年になれば、使えるお金も減るし健康も確実に失われていくわけで、失っていくこと、つまり「下っていくこと」が惨めという価値観のままでいたら、「若いころはよかった」と言いながら、決して短くない人生後半生を生きることになるわけじゃないですか。それは絶対嫌だったんですね。ならば価値観を変えないといけない。そう思うようになりました。

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中村:具体的にどうやって価値観を変えていったのでしょうか。

稲垣:会社員時代は、お金を使わない楽しみなんて考えたことがなかったから、まずは、お金がなくても楽しめることを見つけないと、と思いました。散歩するとか、近所の山に登るとか、やってみたらお金を使わない楽しみって案外たくさんあるんですね。

考えてみると、お金を使う楽しみって、新しい服とか踊り炊きの炊飯器とか、欲しいモノを買うときはうれしい。でも、そのうれしさは持続しなくて、次にまた欲しいモノが出てくる。結局、どんなにお金やモノがあっても足りないばかりか、失う恐怖のほうが増えていくんですよね。

中村:確かにそうかも……。

稲垣:あと東日本大震災の原発事故を機に、家電製品を1つひとつ手放していったことも自分の価値観を大きく変えました。それまでずっと必需品だと信じて疑わなかったものが、実はなくても平気だと気付いた。そのことがどんな娯楽よりも爆発的に楽しかったんです。

中村:モノがない暮らしが思った以上に楽しかった?

聞きたいことが山ほど…(写真:今井康一撮影)

老後って怖いどころかすごく楽しい

稲垣:「ない」ということが怖くないんだ、むしろそれまでずっと使っていなかった自分の中の工夫する力や、人と助け合う力が目覚めていくんだっていうことが、すごく楽しいというか、人生の展望がひらけた感じ。

だって「ない」ことが楽しくて、いろんなことをなくしていった最後の着地点に「死」というゴールがあるんだったら、老後って怖いどころか楽しいことばっかりじゃないですか。

中村:人生のゴールを見据えてどう過ごすかを考える。それって難しいけれど、大切なことですよね。

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稲垣:中村先生はご著書で、余命を知った患者さんが、死ぬまでの間にこれをしておくんだと、オロオロするどころか、むしろ周囲が驚くほどビシッと目標を定めて人生をまっとうしていく姿を紹介しています。死を前提にすると、どう生きるかに迷いがなくなる。読んでいて、本当にそうだなと納得しました。

中村:本当であれば、終末期を迎えるもっと前から、「死ぬまでの人生を、どうやって過ごしていきたいか」を考えられたらいいんですけれど。稲垣さんのように、年を取ることが怖くないって思えるような暮らしができたら、きっとみんな楽になると思うんです。

稲垣:そうですね。私はたぶん、今「長い終末期」を生きているんだと思います。

中村:でも、40歳で死に向かうと気付いた稲垣さんのようにはいかなくて、多くの人は「これから先は下りなのか」と思って、暗くなってしまいそう。

稲垣:確かに、「人生がもう半分済んだ」と考えたら寂しいですよね。でも考えようによったら、下っていくってすごくラクで自由じゃないですか。

ずっと上っていくってしんどいですよ。競争社会の中で負けて転落しないように努力し続けなきゃいけないって、ある意味地獄です。その競争を終えてもいいんだ、違う価値観を見つけていいんだって思えたことは、私にとっては希望でしたね。

中村:下り坂の中にも希望を見いだすというのは、今、何らかの病気を抱えている患者さんにもいえることなのかなと、感じました。

「今ある時間が濃くなる」って思っている

稲垣:人生の時間が限られているとわかったなかで生きていけば、今ある時間が濃くなるって思っているんです。何しろ遠くない将来に死ぬんだから、たとえ失敗したところで大したことない。そう思ったらやりたいことはシンプルにやるだけです。うじうじしていないで「やるぞ!」っていう。なんかロックな感じになってくるんですよ。

中村:まさにロックですね(笑)。私も稲垣さんのように生きたくて、断捨離を試みたんですけど、なかなか進みません。

稲垣:私はだいぶハードコアなんで、真似する必要はないんじゃないでしょうか(笑)。ただ、お金と幸せは直結しないということには気づいたほうがいいと思っていて。

例えば、毎日ごちそうを食べることが幸せとは限らない。よく、死ぬ前に食べたいものを聞くと「おにぎりとみそ汁」とかって答える人が多いですよね。そうだとしたら、毎日おにぎりとみそ汁を食べられたら、めっちゃ幸せじゃないですか。そこに気づけばお金の不安がなくなります。

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中村:お金を持って三途の川は渡れませんよね。私は稲垣さんの本を読んで、まずは洗面台掃除のたわしを捨てて手で磨くようにしたら、「手ってなんて便利なの!」という気付きはありました(笑)。

稲垣:そういう小さな気付きがきっと大切です!

(後編に続く)

(司会・構成/岩下明日香)

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