95歳の林業家が写真集になった。青森県南部の新郷村で、自分の山の手入れをこつこつと続ける石ヶ守(いしがもり)勲さん。昨年、惜しくも99歳で亡くなったが、撮影した写真家山口規子(のりこ)さん(58)=写真、千葉県船橋市=は「日本の山に光を見ました」と話す。(鈴木久美子)  植林した森が手入れされずに荒れているのを各地で目にし、「山が泣いている」と感じていたという山口さん。主に伝統工芸や職人を撮影し作品化しながら、日本の林業はどうなっているんだろう、と30年近く疑問を抱えていた。  2018年、青森県庁の林政課職員に写真の撮り方を指導する仕事が舞い込み、一通り終えた後、逆に「真のキコリはいませんか」と職員に尋ねてみた。山口さんは、あこがれと敬意を込めて林業家を「キコリ」と呼ぶ。紹介を受けた幾人かの林業家のうち、最後に訪ねたのが石ヶ守さんだった。  「山でお会いした瞬間に、あ、この人だと。山を愛している感じがむちゃくちゃして。すぐに撮らせてくださいとお願いしました」

石ヶ守勲さん。「山を愛している感じがむちゃくちゃした」と山口規子さんは初対面で撮影をお願いした=青森県新郷村で(撮影・山口規子)

 この時石ヶ守さんは95歳。もの静かで「私なんか撮っても…」と恥じらいつつ撮影を承諾してくれた。以来、山口さんは山に通う。  新郷村は人口約2千人。面積の8割ほどが森林で民有林が多い。石ヶ守さんは村で長男家族と一緒に暮らし、田畑を耕しながら、代々継いできた家の山にスギを植林し育てていた。  健脚で背筋はピンと伸び、後ろから懸命についてくる山口さんを、笑みを浮かべて待っていてくれた。「山のことを何でも知ってる。もうすぐ雨が降るとか、動物や虫のこととか。知識というよりも、生きる知恵、力がすごいんです」  植林や大木の伐倒などの重い作業は地元の森林組合に頼み、間伐や下草刈りなどは自分でやる。広い面積の手入れも少しずつ自分なりのペースで進めていた。間伐した木は、村内の「木の駅」に持ち込む。木は直径9センチ以上なら、村内のお店で使える金券と換えてもらえる。森林組合が薪(まき)にして販売し、村内の温泉施設でボイラーの燃料にも使われる循環の仕組み。  「微々たるものかもしれないけれど、石ヶ守さんは楽しみにしていました」  戦後、日本は木材が不足し建材になるスギやヒノキが一斉に植林された。近年伐採時期を迎えたが、安価な輸入材の影響などを受けて値段が安く、放置された山が少なくない。災害や海への栄養供給が途絶えることなどが懸念されている。  「昔は『宝の山』と言っていたが、時代は変わった、と話されていました」  昨年5月に石ヶ守さんは亡くなった。突然の訃報に落ち込んだ山口さんは、悩んだ末、その姿をとどめようと写真集「KIKORI 木は長い夢を見る」(日本写真企画)にまとめた。スギの種採りや若手林業家、昔ながらの枝打ち作業など、木の誕生から製材まで人が手をかける林業のサイクルも写真に収めた。  「木は自分では移動できない。伐(き)られるのを何十年とじっと待っている。人間は手入れをしてあげなきゃいけないですよね」  石ヶ守さんのように山を大事にしている人は、きっと各地にいる。山口さんは、そう期待している。  11月13~30日、青森県立美術館で写真展が開かれる。


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