「(報道された不祥事は)記憶にございます」
これほどまでキッパリと不祥事を認めた政治家が、これまでいたでしょうか。
家庭を持ちながら20代女性と同棲するなど、不適切な女性関係が報道された自民党の宮澤博行衆議院議員。4月25日、不始末の責任をとって議員を辞職しました。24日には疑惑を追及する取材に対し、冒頭のように回答したとのことです。
「パパ活不倫」などと呼ばれた自らの愚かさを、言い訳するどころかすべて認めてすっぱり議員辞職に突き進んだ姿勢は驚きでした。普通ならば全面的に認めるのはためらってしまうような自らの下半身問題を潔く認めた今回の「全面謝罪」について検証してみましょう。
単なるダメ政治家の愚行という批判だけでは済まない、人間の性(さが)や同じ中年男性として身につまされる思いが浮んでしまったことをあらかじめお詫び申し上げます。
すべての欲望を認め、議員辞職にまっしぐら
不祥事を起こしても言い訳、逃げ口上で取り繕う政治家が多い中、ここまであけすけに自らの過ちを認めてしまう辞職インタビューには驚きでした。
宮澤氏は「パパ活不倫」報道だけでなく、自民党安倍派の裏金問題でも渦中に置かれた一人です。逆風真っ盛りの自民党への批判をさらに加速させるようなタイミングの悪さで、“ついてない人”だとあわれにすら思えます。
4月28日、記者から辞職に対しての質問を受け、
「欲を抑えられなかった」
「ストレス発散」
と率直に回答するだけでなく、防衛副大臣時代にも派遣型風俗店を利用していたことを認める素直っぷり。
所属する静岡3区支部での役員会では、「人格を疑う」「謝罪だけでは済まない」など厳しい批判を浴びたということでした。見ているこちらがいたたまれない気持ちになってしまったのは私だけでしょうか。
「真実」を話せばいいというわけではない
政治家はじめ、有名人がスキャンダルや炎上を起こした際、「真実を伝えたい」と発言するのをよく見ます。しかし、真実を話したからといって炎上が収まることはまずありません。
私はこれまで、さまざまな企業や著名人の方に危機対応コミュニケーションのアドバイスをしてきました。共通して言えるのは、彼らの「真実を伝えたい」という気持ちは本心であることが多いということ。とはいえ、炎上はその「真実」とは関係なく、誤解や思い込みから延焼する場合もあります。真実を裁くために起こるものばかりではないのです。
カエサルは「人は見たいものしか見ない」と言いました。自分の信じたいものが真実であってほしいと思うのは、古代から人間の行動原理なのでしょう。
つまり、ボンボンと炎上しているときに、見ている人びとが「信じたいもの」は、その行為を批判する材料であって、当事者の反論ではないのです。炎上という一種の興奮状態にある人びとは、冷静な理解や客観的情報把握より、感情に突き動かされます。「真実を訴えたい」という当事者の声は、それが真実だとしても、多くの場合、聞き入れられることはないでしょう。
では、ただ泣き寝入りするしかないのかといえば、そうではありません。炎上は永遠に燃えさかることはありません。必ず火の勢いが止まるときが来ます。燃えさかる爆弾に反撃、反論するのは限りなく不可能に近いことですが、時を待つことができればチャンスはゼロではありません。
火あぶりにされ、ボロボロになった当事者の姿を見て、批判する人たちにいたたまれない気持ちが芽生え、批判者自身が少し冷静さを取り戻して状況把握ができはじめるところまで待てば、チャンスはあります。
しかしなぜそれができない人が多いかというと、政治家や芸能人のような、ある種「人気」に支えられている人たちは、激烈な批判に耐え切れず、つい反論を我慢できなくなってしまうのです。
今回の宮澤氏については冒頭でも書いたように、あまりにも自らの恥部をさらけ出す姿に、私も「いたたまれない気持ち」を感じてしまいました。
「4WD不倫」俳優・原田龍二の復活劇
2019年にファンの女性との不倫が報じられた、俳優の原田龍二氏。抜群のルックスと体格を生かし、水戸黄門の助さん役などで活躍していたイケメン俳優がさらされた、ハレンチ不倫スキャンダル。
その内容は、何人ものファンと不倫を重ねていたり、その場所もホテルではなく家族で使用していた愛車の中だったりと、赤面したくなるようなものでした。
謝罪会見ではとにかく平謝りに徹し、イケメン俳優である自らの性欲までいじられるなど、その謝罪スタイルは強烈でした。報じられた以外にも複数のファンとメッセージのやり取りをしていたことや、自身の性欲が強く抑えきれなかったことを明かすなど、自らすべてをさらけ出す「全面謝罪」でした。
愛車の車種に絡めて「4WD不倫」などといじられ、イケメン俳優についた印象としてはダメージが大きかったでしょう。一方、原田氏の真摯な態度は、視聴者から一定の理解と好感を得られた側面もあります。
当たり障りないイケメン俳優から、何事にもよくも悪くも体当たりで取り組む原田氏のイメージ定着にもつながり、確実に有効だったと思います。この例は、数少ない芸能人の成功した謝罪の一つだと言えます。
あの会見を経て、現在の原田氏は、東京MXテレビのバラエティー番組の司会やCM出演など、芸能活動を継続するどころか、その活躍の場を広げています。もっと小さなスキャンダルでも火消しに失敗して、存在ごと消えてしまった多くの芸能人と比べ、明確に芸能事業というBCP(事業継続)に成功している例でしょう。
ちなみに私は騒動後、バラエティー番組で2回ほど原田氏とご一緒させていただきました。その都度、スキャンダルに触れるという役回りをしたのですが、原田氏はそのフリに快く応えてくださり、素人の私にもていねいに接してくださる好感の持てる方でした。
宮澤氏は一連の報道に対し、すべてを認め、さらには釈明で延命を図るのではなく議員辞職という選択をしました。また、報道が出たと同時に議員辞職まで一気呵成な展開として、あれよあれよという間に進みました。
行った行為が犯罪ではなくとも不道徳かつハレンチ、何よりいい歳をした国会議員・元副大臣という立場を考えればダメダメなのは言をまちません。しかしその謝罪姿勢を見て、さらけ出された内情を知るにつれ、似たような年代、かつ煩悩だらけの人生、愚かな失敗をさんざんしてきた筆者は、本音を言えば、同情を感じてしまったのでした。
キャッチフレーズにも表れる、実直な姿勢(画像:宮澤博行氏の公式HPより)実際、インターネットやSNS上でも宮澤氏について「潔く認めた姿勢はいい」「嫌いになれない」といった意見が多く見られます。この結果は、行為の是非はさておき、宮澤氏の対応には効果があったと言えるのではないでしょうか。
「そんなに叩かなくても……」と人に感じさせられるかどうかは、謝罪のテクニックに左右されます。逆に、どれだけ本当のことを話していたとしても、こうした納得感を与えられない謝罪は謝罪としては成立していない、少なくともBCPは成り立っていないのです。
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ
さまざまな醜聞や不適切行為が批判を浴び、4月28日に投開票された衆議院の補欠選挙で“全敗”してしまった自民党。その中でも宮澤氏は、自身のダメさ加減をさらけ出した全面謝罪によって、今後浮かび上がれる可能性を残せたのではないかと思います。
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」とは、溺れてもじたばたせずに身を任せれば体が浮いて命が助かるという意味とのこと。まさに宮澤氏はすごい身の捨て方を実践したのです。
会見ではちょっと情けない感じを醸し出していた宮澤氏ですが、地方の公立高校から東大法学部を経て、就活氷河期に苦労して市議から代議士になった叩き上げの議員です。その経歴も相まって、世論の共感と同情を引き込みました。
これらをすべて計算して実行していたとしたら……。私もすでにその術中にはまっているわけですが、その判断力と実行力は危機管理の視点からもパーフェクトでした。なかなか真似できることではありませんし、何より批判される行為をしてはダメなのですが、不祥事を起こしてしまった場合の姿勢として、一つのお手本になるかもしれません。
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