白い大地で存在感を放つトマト
世界地図を見ると、こんなところにも人が住んでいるのかと気が遠くなる土地がある。
アイスランドも、そんな国の1つだ。北の果て、特に日本を中心とした世界地図では左上(北西)の隅にぽつんと描かれていて、最果ての感がある。実際、北緯63〜67度という北極圏にぎりぎりかかる極北にあり、気軽に行こうとは思わない土地だった。
この国の家庭を訪れることにしたのは、「寒い土地の寒い時期の食事情を知りたい」という興味からだった。
滞在を経て印象的だったのが、自然環境の制約を受けた食事情の厳しさだ。冬が長い、木が乏しい、穀物が育たない。
しかしその中で、ことさら存在感を放っていたのが、真冬でもとれる真っ赤なトマトだった。本稿では、自然の制約を受けたアイスランドの食事情と、トマト生産について紹介したい。
アイスランドの大地(写真:筆者撮影)アイスランドを訪れたのは、真冬の1月のことだった。付近を流れる暖流のおかげで寒さはそれほどでもないのだが、とにかく日が短い。昼間と言えるのは5時間ほどで、家にこもりがち。出会うすべての人に「来る時期を間違えているよ」と言われた。確かに観光で来るならば完全に間違えているが、厳しい時期の食を知りに来たのだから、仕方ない。
それでも雪に覆われた大地は雄大で美しく、滞在先の家族は街を離れてドライブに連れていってくれた。
首都レイキャビクから車で1時間半。真っ白で遠くまで見渡せるはげた大地を走り続け、「ランチにしよう」と言われて車を降りたら、ガラス温室が何棟も立ち並んでいた。こんなところで食事ができるのだろうか。
冬の薄暗い空に暖かい光を放つFriðheimar社の温室(写真:筆者撮影)トマト畑の横には大型レストラン
中に入ると、温かくむっとした空気に迎えられた。トマトの木が列になって植えられ、上には人工照明、下には温水パイプが走っている。日照、温度、土壌水分を自動管理して栽培しているのだそうだ。この温室農場を運営するFriðheimar(フリードヘイマル)社はアイスランド最大手のトマト生産者で、毎日平均1トン以上のトマトを出荷している。
そのトマト畑の横に、レストランスペースが広がっている。ここは、温室の中でトマトに囲まれながら、とれたてトマトの料理が食べられるというレストランなのだ。100席以上あろうかという空間が超満員。観光客に人気のようだ。
しばらく待つと、トマトのすぐ側の席に案内された。看板料理のトマトスープは、酸味も甘味もしっかりあり、しばしば出会う「真冬のスカスカな色白トマト」とは一線を画していた。
テーブルの上の鉢植えバジルを自分で“収穫”して刻む (写真:筆者撮影)このFriðheimar社のトマトはスーパーでも売られていて、青果売り場には真冬でも新鮮なトマトが並ぶ。アイスランドのトマト自給率はなんと約75%(2010年)。いったいなぜ、この氷に覆われた土地でトマト栽培が盛んなのだろうか。
そこには、火山の存在がある。
アイスランドと聞くと氷に覆われた大地を想像するが、実は地殻プレートの境界に位置するゆえ火山活動が活発で、「火と氷の国(the land of fire and ice)」と呼ばれている。
今この原稿を書いている2024年3月末時点でも、昨年12月以降活発化したレイキャネス半島での火山活動が続いていて、4回の噴火が起こっている。今回のように溶岩が流れる大規模な火山活動は、10年に一度ほど発生してきた。
火山のエネルギーは恐ろしさもあるが、重要な資源でもある。トマト温室の下のほうに走っていた温水パイプは、地熱で暖められた温水を環流させて室内を暖めている。言い換えると、火山による地熱を間接的に利用して農業が行われているのだ。
氷の大地の食を支える地熱
アイスランドの食を知るにつれ、地熱がトマト栽培にも幅広く活用されていることを知った。
たとえば、パン。Rúgbrauð(ルグブロイス)という茶色いライ麦パンは、黒糖蒸しパンのように甘くてしっとりしていて、朝食や魚料理のお供にしばしば食べられるのだが、その中でパン窯を使わず作られるもののことをHverabrauð(カヴェラブロイス)と呼ぶ。温泉の湧き出る熱い地面に生地を入れた容器ごと埋め、蒸すことで作られるのだ。
Fontana Geothermal Bakeryにて。ホールケーキのようなHverabrauð(カヴェラブロイス)はスライスして食べる (写真:筆者撮影)「このパンが作られ始めたのは18世紀だが、当時アイスランドにパン窯は1つもなかった。日照が短く夏が短いため穀物が育たず、木が育たないから窯を暖める薪も潤沢にない。わずかな穀物は粥にして食べていた」というのは、アイスランドの食文化研究者Nanna Rögnvaldardóttir氏の著書 『Icelandic Food and Cookery』 によるもの。
たしかに、ドライブの間も高い木は見かけず、ひたすらはげた大地が続いていたし、60代の方々と話すと「子どもの頃は食パンなんてなかった」という。今や世界有数の豊かな国になったこの国で、ほんの最近までパンも容易に焼けなかったというのも驚くが、大地の熱を使ってパンを焼くという発想にも舌を巻く。
Laugarvatn Fontana Geothermal Bakeryにて。石の乗った小山は、中でパンが蒸されている印(写真:筆者撮影)地中で料理するのは、パンだけではない。レイキャビク郊外の町Hveragerði(クヴェラゲルジ)には、かつて共同の「キッチン」があったという。「地面に四角く穴が掘られていて、家の女性たちが鍋を持ってやってくるの。地面に埋めておいて、数時間後に取りにくる。私が子どもの頃はまだあったんだけどね」と、この土地で生まれ育ったソフィアさんは語る。
その後、2008年に起こった近くの山の噴火で「活発なエリア」が移動し、以前ほどの高温は得られなくなってしまったこともあって穴は埋められ、このあたりの温室農業も衰退した。地熱があることが、これほどまでに食の生産に寄与しているなんて。
地熱利用は生活全般に
食からさらに視野を広げると、生活のかなり多くの部分が地熱に支えられていることに驚愕する。
まずは発電。地熱発電3割水力発電7割という電力構成は、クリーンエネルギーが推進される世において、あこがれるくらい理想的だ。そのうえ人口が少ないため安価な電力が潤沢にあり、電力を大量に必要とするアルミ製錬が成長した。今はデータセンターを誘致し増えてきているという。
石油はとれないが電気はあるということで、電気自動車(EV)の普及も凄まじい。滞在先の父さんが運転する車は、自動運転で知られるテスラのモデルY。内心興奮する私をよそに「これは昨年アイスランドで一番売れた自動車だよ。日本のトヨタ・カローラみたいなものかな」とさもない様子で言う。
家を暖める暖房は、地熱によって暖められた温水をめぐらす温水パイプによるもの。父さんが毎朝泳ぎに行く公共温水プールも地熱温水によるものだ。地熱というと発電を想像するが、実際は地熱利用のうち発電の割合は4割ほどで、残り6割を占める温水の利用が見逃せない。
朝9時のプール。外は気温7度だが、水に入ると暖かい。左のほうには40度前後のバスタブも(レイキャビク市内、写真:筆者撮影)アイスランドで地熱利用が進んでいる背景の1つには、その地理的特異性がある。地殻プレートの境界に位置するという点では日本と共通だ。しかし、日本はプレートが沈み込む境界に位置するのに対し、アイスランドはプレートが生まれる境界に位置する。
プレートが生まれる境界は通常、海底に位置し海嶺と呼ばれるが、アイスランドはそれが地上に出ている唯一の土地だ。マグマ溜まりが地上付近の浅いところにあるので、プレートがもぐりこんだ日本のように深くまで掘削することなく地熱が利用できる。
アイスランドは、この図で「プレートが生まれる場所」となっている東太平洋海嶺と同じような条件にある(出所:東京大学地震研究所)地熱を利用してパンを蒸したり、料理をしたりしようという発想も、地表近くに利用できる熱源があるという環境あってのことだろう。さらに、石油も石炭もとれず、木すらも乏しかったという制約条件も背中を押しただろう。
個人で地熱を利用するという発想
日本は、地熱埋蔵量でいうと世界3位の量を誇り、アイスランドの4倍ほどもあるが、利用はあまり進んでいない。マグマ溜まりが深くにあることに加えて地盤が硬いため、掘削にコストがかかるという自然科学的条件もあるようだが、その他には地熱発電適地が自然公園に多いこと、温泉事業者の反対があること、既存電力事業者の抵抗があること、などの社会的要因も挙げられている。さらに日本の人口密度はアイスランドの約110倍なので、用地確保が難しいという点もあるだろう。
自然科学的条件も社会環境も異なる両国を単純比較して、日本がどうこう言えるものでもない。ここで私が興味惹かれたのは、発電のような大スケールの話よりも、パンを蒸したり共同台所を作ったりといった、個人レベルでの地熱利用だ。
高い蒸気温度の熱源があったから使えたわけだけれど、身のまわりの資源を利用してなんとか食物を生み出そうという人間の知恵は、いつの時代のどこの土地の人をみても敬服する。そういう身体レベルの資源利用から、社会スケールのサステイナブルな資源活用の発想も出てくるのではないか。
冬のアイスランドは確かに旅行のベストシーズンではなかったが、このような食の知恵に出会えたから、ほくほくして帰ってきた。
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