昨今、都心の都市には座る場所や立ち止まる場所が少ない。その結果、カフェがとにかく混雑するようになっている(筆者撮影)この記事の画像を見る(6枚)

渋谷で、次の時間まで予定が空いてしまった。何をしようか、と思って、無意識的にカフェを探す。渋谷にはチェーン店をはじめ、カフェが多い。試しに近くにあるスタバを覗いてみるが、行列。他のスタバも行列。いや、スタバだけでなく、チェーンのカフェはどこもかしこも行列しているのだ。

渋谷のカフェ、混みすぎではないか?

率直に、こう思った。そして、私はこれを「渋谷のカフェ、混みすぎ問題」と名付けた。

ガラガラの「渋谷モディ」、行列のスタバ

「渋谷のカフェ、混みすぎ問題」。

これを象徴的に表す存在が、マルイグループが展開する「渋谷モディ」というファッションビル。2015年に開店したこのビルは、開店当初は活気に満ちていたが、徐々にテナントが離れ、歯抜け状態になっていく。コロナ禍も相まって、結果的に2020年頃には“ゴーストビル”という異名も取るほどになった。

現在、2020年よりはテナントの数が増えてはいるが、やはりビル全体としてはそこまで人気があるわけでなく、寂しい雰囲気。しかし、そこで活気に満ちている場所がある。4階のスタバだ。

【画像】渋谷モディ、立ち止まれない街・渋谷が凝縮された「排除アート」のリアル…などの様子を見る(画像6枚)

ここだけは、行列ができていることも珍しくない。席数約120という大型店舗だが、土日はもちろん満席。平日でも、午後になればほとんどが埋まってしまう。渋谷の中で、特異的に人口密度の低い「渋谷モディ」ですら、こうなのだ。

4月25日にリニューアルオープンした渋谷のTSUTAYA。スタバももちろん入っている(編集部撮影)

2024年4月現在、渋谷駅周辺には18軒のスタバがある(※後述)。現在、渋谷は大規模な再開発の真っ只中で、断続的に新しい商業施設のビルがオープンしている。渋谷ヒカリエから始まり、渋谷スクランブルスクエア、渋谷フクラス、一番新しいところでは渋谷サクラステージ。面白いのは、そのどのビルにもスタバがテナントとして入っていることだ。新しく商業施設ができると、スタバも増えていく。

でも、もっと驚くのは、そのどこもが(特に休日には)混雑し、行列していることだ。これだけあっても、数が足りていないのだ(逆に、だからこそ、新しい商業施設には必ずスタバが入るのかもしれない)。そういえば、4月にリニューアルオープンしたTSUTAYAにも、大型のスタバが入った。

こうした現象は、スタバだけでなく、他のカフェチェーンにも言えることだ。ドトールやタリーズなど、休日では本当にどこも行列している。明らかに、カフェの数が足りていない。

「街で時間を潰す」意識が無くなってきた

しかし、その理由はなんなのだろうか。これには色々な要因が考えられる。「東京一極集中」という言葉があるように、そもそも都心に人が多すぎる問題。歴史を遡ってみても、特に東京は、その都市のサイズの割に、人口が多い街だとされてきた。これは、人間側の問題であろう。

渋谷駅近辺にあるスタバ(出所:スターバックス公式サイト)

一方、私がここで考えてみたいのは、「都市」側の問題である。具体的にいうと、「都市の中で、“何もしなくていい滞留空間”が減少したこと」に、「渋谷のカフェ混みすぎ問題」の理由の1つを探ってみたいのだ。

ここから詳しく説明するが、かつては街の中をぶらぶらみて回ったり、あるいはそこに居座ったりすることができたが、現代ではそうした機会が失われつつあるのではないか、という仮説だ。

とても簡単に言えば、「ちょっと時間を潰す」ことが、今の都市では難しいのではないか、ということだ。

実際、私のことを思い返してみても、待ち合わせ時間まで少し時間が空いたときに、「よし、街をぶらぶらしようか」とか、「ちょっとそこらへんの店に入ろうか」とか、「その辺りのベンチに座ろうか」という気分にならず、無意識で「カフェに行くか」ということを選んでいる。

私たちの選択肢の中から、「街で時間を潰す」ということの存在感が薄れてしまっているように思えるのだ。

では、どうしてそのような意識を私たちは持つようになってしまったのだろうか。

この問いを考えるために、少しだけ渋谷の歴史を見ていきたい(以下、記述は、吉見俊哉『都市のドラマトゥルギー』、北田暁大『広告都市・東京』、宮沢章夫『80年代サブカルチャー論講義』を参照)。

実は、渋谷の歴史の始まりは、「ぶらぶら歩ける街」として形作られてきた経緯がある。

渋谷が、現在のように活気のある街になったのは、1970年代あたりからのことだ。西武パルコグループが渋谷を一面的に開発したことから、その繁華街としての歴史が始まる。パルコに向かう坂には「スペイン坂」、他の坂にも「オルガン坂」などの外国風の名前を付け、通りには南欧風の電話ボックスを置いたりもした。いわば、街を「演出」したのだ。

パルコが行ったのは、「点」としての商業施設を作るだけでなく、それらをつなぐ「線」、そしてそのすべてを含む「面」を一帯的な開発・演出だ。これによって、歩くことが楽しい街が形作られていったわけである。こうした「街の演出」を端的に表すのが、西武パルコが掲げたキャッチコピーだ。

「すれちがう人が美しい〜渋谷公園通り〜」。

これだけで、ちょっと街を歩きたくなる。渋谷に行けば、店に入らなくても、何か楽しいことがあるかな、と思わせる魅力があったのだろう。社会学者の北田暁大は、こうした70〜80年代渋谷の開発を、「ディズニーランド」に例えているが、ディズニーランド内は歩いているだけで楽しいように、渋谷もそんな街として存在していたわけだ。

チーマー、ジベタリアン、90年代渋谷の使われ方

このようにして、渋谷は歩いていて楽しい街として開発されたのだが、これが1990年代以降は異なる様相を見せるようになる。センター街(現・バスケットボールストリート)を中心に、いわゆる「援交少女」たちやチーマーなどがたむろするようになったのだ。

こうした人々は、例えば、1990年代後半から2000年代前半にかけて、社会問題にもなった「ジベタリアン」として、渋谷の路上にたむろしたりしていた。西武パルコのシンクタンクが運営するメディア「ACROSS」が2000年に渋谷の大規模な路上調査を行っているが、そこでは、路上にたむろする人々が多くいる様子が書かれている(奇しくも、そこでは「路上カフェ」としてジベタリアンたちが紹介されている)。

また、路上以外にも、例えば、当時は数が多かったゲームセンターにたむろする若者も多かっただろう。実際、私が他の記事で渋谷について書いた際のコメントの中に、「かつてはゲームセンターによくいたなあ」と回想するような声も多かった。

もちろん、こうした状況は「治安悪化」として、多くの人からは歓迎されないだろう。しかし、都市の中の「滞留行為」という点では、西武パルコが行った「ぶらぶらする街を作る」ことと似たような街の使われ方だったのではないか。

2000年代の変化で「滞留する街」ではなくなった渋谷

しかし、この状況に変化が訪れる。北田が指摘している通り、渋谷は、他の「プチ渋谷」と呼ばれるような街と似てきた。実際、渋谷は大手のチェーンストアなども目立ち始める。渋谷の街としての誘引力が下がったのである。「ぶらぶらする街」ではなく、単に「便利な街」になってきたのだ。

これに加えて、2001年には池田小事件、またそれに先立つ1995年にはオウム真理教による地下鉄サリン事件などもあり、治安に対する社会的不安が増大していた。このような流れの中で、都市において、人をたむろさせないような仕組みが増えていく。

建築史家の五十嵐太郎は、2000年代に起こったこうした都市の変化を「過防備都市」と呼んでいる。街の中で防犯カメラが増えたり、トイレを貸さない場所が増えたり、路上でたむろする人々を滞留させないような都市のことである。

例えば、このような流れの中で出てきたのが「排除ベンチ」などと呼ばれるもの。普通のベンチに、わざと仕切りをつけて眠れないようにしたり、座りにくくしたりしている。つまり、若者の「たむろ」が少なくなってきたということだ。

JR井の頭線の高架下にあるエリア。「排除アート」の代表例として語られるだけあって、「絶対に立ち止まらせない」という強い意志を感じさせる(編集部撮影)

実際、中小のゲームセンターも数を減らしてきており、都市の中でたむろする空間が減ってきたと指摘できるだろう。

また、これは参考程度にしかならないが、「ジベタリアン」という単語の登場率を大手新聞4社について調べると、2003年あたりからぱったりと報道が切れる。一概には言えないが、街からジベタリアンがいなくなったのは、こうした傾向とも連動していると思われる。

このような複合的な要素の中で、渋谷は街の中をぶらぶらするわけでもなく、またたむろするような空間が潤沢にある場所でもなくなってきた。

総じて言えば、時間を潰すことができにくい街になってきたのである。

そうした流れで2000年代に急増したのがスターバックスをはじめとするカフェチェーンである。

2000年代からは、いわゆるセカンドウェーブコーヒーの流行により、現在見られる大手カフェチェーンのほとんどが出揃ってきた。

キレイな右肩上がりとなっている、スタバの国内店舗数グラフ(編集部作成)

スタバに限っていっても、2000年代にはその数をきわめて大きく増やしている。これらのお店は「なんとなく街にいたい」「とりあえず座っておしゃべりしたい」というニーズを満たす場所になったのではないか。つまり、都市空間から失われつつあった滞留の場が、民間の営利空間に移行した側面があると考えられると思うのだ。

自由な滞留行為が「都市空間→カフェ」へ

『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』(集英社新書)。書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします

このように渋谷の街の変遷を追うと、現在の「カフェ混みすぎ問題」の一因が見えてくる。

かつては街の賑わいそのものだった「ぶらぶら歩く」「街の中にいる」といった自由な滞留行為が、都市空間から、民間のカフェへと移ったかもしれないのだ。

これはまだ1つの仮説ではあるが、「街の滞留空間」としての「カフェ」の存在感が増してきていることはいうまでもない。そして、その背後にはおそらく、私たちと街をめぐる大きな問題があるのではないか、と筆者は思っている。

この短期連載では、こうしたアプローチから現在の「カフェ」と「都市」をめぐる問題を、ジャーナリスティックに、かつ歴史的に見ていく。カフェの背後に見える「私たちと都市の問題」に想いを馳せてみたいのだ。

この連載の準備中、筆者が何気なくしたポストに、多くの賛同が寄せられた(出所:筆者のXより)

渋谷駅近辺のエリアにあるスタバの一覧

スターバックスコーヒー渋谷文化村通り店
スターバックスコーヒー渋谷クロスタワー店
スターバックスコーヒー渋谷ファイヤー通り店
スターバックスコーヒー渋谷公園通り店
スターバックスコーヒー渋谷モディ店
スターバックスコーヒー渋谷2丁目店
スターバックスコーヒー渋谷3丁目店
スターバックスコーヒー渋谷マークシティ店
スターバックスコーヒーSHIBUYA TSUTAYA 1F店
スターバックスコーヒーSHIBUYA TSUTAYA 2F店
スターバックスコーヒー渋谷パルコ店
スターバックスコーヒー渋谷cocoti店
スターバックスコーヒー渋谷ヒカリエ ShinQs店
スターバックスコーヒー渋谷フクラス店
スターバックスコーヒーTSUTAYA BOOKSTORE 渋谷スクランブルスクエア店
スターバックスコーヒーMIYASHITA PARK店
スターバックスコーヒー渋谷ストリーム店
スターバックスコーヒー渋谷サクラステージ店※公式サイトに準じ、「SHIBUYA TSUTAYA 1F店」と「2F店」は分けてカウントした。筆者のポストで17軒としたのは、以前はここは1店舗でのカウントだったためである。

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。