命とお金を天秤にかける
「私が医師になった20年ほど前、医療にお金のことを持ち込むのは、命とお金を天秤にかけるようで、いやらしいとされていました。ところが今は、そうではないという認識になっています」
そう話すのは、医師で愛知県がんセンター薬物療法部医長の本多和典さんだ。
がん治療に伴うお金について考える必要が出てきた背景の1つに、この数十年での、がんの検査・治療が進歩し、がんとともに長生きする人が以前よりも増えたことがある。
国立がん研究センターの「がん統計」で治療効果の指標である「5年生存率」(診断から5年後に生存している患者の割合)を見ると、全部位のがんの平均で66.2%(2014~2015年に診断された患者の純生存率=事故や、ほかの病気などによる死亡はないと仮定して推計)だった。
男性の前立腺がんが95.1%、女性の乳がんが91.6%など、90%を超えているものもある。
「効果的だが高価な薬」を使い続ける
京都大学の本庶佑特別教授が2018年にノーベル賞を受賞したことで注目された「がん免疫療法薬(免疫チェックポイント阻害薬)」が広く使われるようになったのに加え、今後も、より効果が高い治療法が開発されると予想される。
患者の3人に2人が5年、そしてさらに長く生きることができる時代も近いのではないだろうか。
がん治療に限らず、新しい治療法は費用が高く、特に薬はその傾向が強い。そんな高価な薬を、場合によっては1年、2年あるいはそれ以上、使い続けることもある。
効く薬が使えるようになったことは患者や家族にとってうれしい話である一方、「ずっと治療費を払い続けなければならない」という現実に直面する。
例えば、がん免疫療法薬の1つ「オプジーボ」は、公定価格がひと月あたり約60万円。継続するなら年間700万円を超える。
標準治療であれば健康保険が使えるので、現役世代の患者であれば3割負担ですみ、さらに軽減される制度もあるが、「がんとお金」の話を避けられないもう1つの背景だ。
がん治療をとりまくお金の問題としては、第一に「自分の治療にいくらかかるのか」が、概算の情報はあっても、事前には確定しないという実態がある。
もともと医療は患者それぞれの状態に合わせて行われるもので、かつ不確実性があるので、やむをえないとはいえ、不安の種であることは確かだ。
そしてもう1つは、「治療のことで頭がいっぱいになり、お金のことまで頭が回らない」ということだ。
がんとお金・仕事に関して患者への情報提供や相談対応に取り組むNPO法人「がんと暮らしを考える会」の理事長で看護師の賢見卓也さんは、「がんと診断された当初、患者さんは『どうすれば助かるか』『どんな治療を受けたらよいのか』ということで頭がいっぱいになり、お金の問題は二の次になるものです」と言う。
「治療が2カ月、3カ月と続くにつれ、医療費の支払いはもちろん、通院やそれ以外の出費、さらには仕事を休まなければならないことによる収入の減少などの要素が絡んできます。これがいつまで続くのかという気持ちが生まれます」(賢見さん)
がん治療で見えない支出
「がん治療で見えない支出」の存在も忘れてはならない。
がんにかかるお金には、大きく分けて「(直接の)医療費」「療養に必要な費用」「その他の費用」がある。
入院、検査、手術、抗がん剤治療などの費用が直接の医療費で、標準治療であれば健康保険が使える。厚生労働省のデータによると、がんの平均医療費(入院1件あたり)は約80万円。3割負担なら約24万円となる。
加えて、入院時の食事代は1食460円、1日3食で1380円が自己負担だ(住民税非課税世帯などを除く)。入院ベッド代はかからないが、個室を希望すれば、差額ベッド代として1日プラスアルファの料金を自費で負担することになる。
差額ベッド代は医療機関によって異なり、数万円かかるところも。また、以前はテレビ代だったが、今はスマホなどで使うWi-Fi代が必要となる場合もある。
通院であれば自宅-病院間の交通費も必要で、小さい子どもがいて延長保育や時間外保育などが必要であれば、それらの費用もかかる。
がんの治療が続く場合、これらの費用を合わせて考えなければならない。
6年前、会社を退職した直後に卵巣がんと診断された自営業の吉田ゆりさんは、「治療にいくらかかるのかわからず、蓄えも減っていく。1歳と3歳の子どもがいたので、子どもの預け先や生活支援をお願いするにも、どこに何を相談したらよいかわからず、パニックになりました」と振り返る。
吉田さんによると、最初にかかった医療費は、検査や手術、入院の費用に食事代やレンタル品などすべて込みで約120万円。「このままでは生活が成り立たないのではないかと、愕然となりました」。
幸い吉田さんの場合は、公的な支援制度である高額療養費制度を利用し、支払額を18万円ほどに抑えられた。ほかにも、加入していた民間のがん保険で、診断一時金などが下りたため、お金に困ることなく治療を受けることができた。
保険会社に提出が必要な書類や主治医に記載を依頼する書類などに関するアドバイスは、がん保険の外交員に教えてもらったという。
吉田さんはこうした自身の経験を、がんと診断された人に役立てたいと、がんサバイバーの仲間とともに一般社団法人「がんと働く応援団」を立ち上げ、『がん防災マニュアル』という冊子を作って、希望する人たちに配布している。
経済的な理由で「治療拒否」も
日本には国民皆保険という制度があり、ほかにも医療費の負担を軽減する公的制度があるので、海外のように貧困が理由で治療を受けられないことは、原則ない。
だが、医療費の支出が抑えられたとしても、がんによる退職などの理由で収入が減った状態では、大きな負担になることもある。
医師の本多さん(前出)は、がんの医療費やそのほかにかかる費用の負担、退職などによる収入の減少など、がんが患者・家族の経済面・生活面にもたらす影響をひとまとめにして、がんの「経済毒性」と呼んでいる。
本多さんは2021年10月~2022年2月、医師、看護師、医療事務職などの医療従事者に対して経済毒性に関するアンケート調査を行った。
医師500人のうち85%が、勧めた治療や検査を患者側の経済的理由で行わなかったり、延期したりした経験(「抗がん剤の投与を経済的な負担で延期した」「処方箋を発行したものの、患者が薬局で薬を受け取らなかった」といった経験)があると答えた。
「抗がん剤も使い方が決まっていて、毎日服用するものもあれば、2週間に1回とか、3週間に1回といったように決められた間隔で点滴をするものもあります。経済的な理由であれ、治療をスキップすることで効果が落ちれば、それだけ患者さんの不利益につながります」と本多さん。
一定額を超えた医療費が払い戻される高額療養費制度など、公的な制度を活用して、必要な治療を続けられるようにすることが重要だという。
※がん治療に伴うお金の問題を取材した「がんとお金」を3日間にわたってお届けします。今回は1回目です。2回目:高額化するがん治療「高額療養費」でいくら戻る?
3回目:「がん診断で退職」待つのは"収入無"の新たな問題
鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。