つんく♂(つんく)/総合エンターテインメントプロデューサー。1968年生まれ。88年に「シャ乱Q」を結成、92年にメジャーデビューし『シングルベッド』『ズルい女』など4曲のミリオンセラーを記録。97年「モーニング娘。」のプロデュースを開始。「ハロー!プロジェクト」をはじめ数々のアーティストのプロデュースを手がける。(撮影:梅谷秀司)シャ乱Qとして「シングルベッド」「ズルい女」などのミリオンセラーを連発、「モーニング娘。」のプロデューサーとしても「LOVEマシーン」が176万枚以上のセールスを記録し、「歴代作曲家シングル総売上ランキング」(2020年オリコン調べ)でも歴代5位にランクインしているつんく♂氏。「天才」と評されることもあるが、「僕は天才ではなく凡人。でも、凡人だからこそ、天才を凌駕できる」という。つんく♂氏が3年かけて「自分の中に眠れる才能を見つけ、劇的に伸ばす方法」をまとめた新刊『凡人が天才に勝つ方法』が反響を呼んでいる。インタビュー第1弾に続き、この本に込められた思い、「LOVEマシーン」ヒットの裏側、つんく♂楽曲に通底するもの、令和という時代や「推し活」をどう見ているか――。1時間半にわたり語り尽くした(前中後編の後編)。

前編:つんく♂が今、「モーニング娘。」に伝えたいこと
中編:つんく♂楽曲のすべてに通底する「本質」とは何か

99.999%の人たちにチャンスがないわけない

――今の社会について、『凡人が天才に勝つ方法』には「今は超バランス型人材の時代」と書かれています。

僕が記憶している日本の「スター」というのは、高度成長期の中、人口もどんどん増えている社会の中で、誰もが認める才能や天才を見つけ出す、そんな世界だったように思います。

芸能界に限らず、スポーツ界でも、芸術の世界でも、突き抜けた才能が世間を圧倒し時代を引っ張っていくような時代でした。美空ひばりさんや、山口百恵さん、王貞治さんに、岡本太郎さんなどなど、他を寄せつけない飛び抜けた能力ってやつに、庶民は憧れ応援してきたわけです。

ただ、90年代にバブルが弾け、日本は世界で一番すごい国かもしれない!と錯覚していた時代が終わり、皆が少し冷静になったころ、ふと考えるようになりました。「他を寄せ付けない天才」以外の99.999%の人たちには何もチャンスがないものなのだろうか、と。

僕も所詮はその辺にゴロゴロいた、大阪の単なるバンドマンの一人。若い頃は「俺にはきっと才能があるんだ!」という思い込みだけでやれたけど、あっという間に自分の限界を知る。

そこで諦めてしまう人がほとんどだろうと思うし、それが間違ってるとも思いません。ただ、続けるなら続けるで相当な覚悟が必要です。そして、単に続ければいいわけではなく、そこには大勢の中から抜け出すためのコツや秘訣、テクニックがあるように思います。

では、ごくごく一部の天才以外、僕も含め99.999%のみんなはどうするべきなのか。

今や誰にでもチャンスがある

――だから「凡人」のための本になったのですね。

よく考えれば、人口のほとんどがこっち側にいるんです。であれば、こっち側のほうが大事なんじゃないか! 社会を支えているのはむしろ庶民側だ。そう考えるようになりました。

映画やテレビに出ることがスターの証だった昭和時代とは違い、今や誰にでもテレビに出るチャンスがあり、YouTubeやTikTokなどのSNSも隆盛を極めている。世の中で自分を表現する場所はいくらでもあります。昔とは違い、類稀なる才能がなくとも、ちょっとしたきっかけをつかめば人気者になれる。

自分の目標をしっかり持って、本当に何をしたいのか、何が好きなのかを明確にしておくことが大切です。そうして、99.999%の中から這い上がる。「天才側の0.001%の中に入りなさい!」ということではない。

……と思うと、ずいぶん気が楽じゃないですか?

「やりたい!」という夢とちょっとしたコツ

――確かに、そのほうが現実的に考えられます。つんく♂さんがプロデュースした中で、99.999%側からの具体的な成功例としてはどんな人がいますか?

かつてプロデュースしてきたアーティストでいうと、安倍なつみや後藤真希、松浦亜弥。彼女たちは、学校のクラスでは可愛くて個性的な子の位置にいたと思うけど、0.001%の側ではなかった。99.999%の側にいた子たちだと思います。

――到底、自分と同じ側の人には思えません……。

多くの人が見るのは「売れた後」の姿だからです。でも実際に、当時の彼女たちは不景気な時代の中で切磋琢磨し、ちょっとしたコツをつかみ、それが自分の「やりたい!」「目立ちたい!」という夢と折り重なって、一気に人気者と言われるようになったんです。僕が培ってきたノウハウをちょっと注入して背中を押してあげることで、スターになっていった。

今、当時と同じようにやって同じ結果が出るとは思いません。一方、今の時代には今の時代特有の「隙間」があって、ちょっとしたコツと、何かの「プレス」によって、一気にこの時代のスターになれるんじゃないか。僕はそう思います。

問題は一気に人気者の階段を駆け上がったとして、そのあと、どうしたいか。

――成功後のキャリアをどのようにしていくか、ですね。

一度人気者になっただけで満足する人もいるでしょう。もっともっとと、さらに上を目指したくなる人もいるでしょう。時には勘違いして、態度だけ大きくなり中身がついていかない人もいるでしょう。違う方向に進み、文化的な取り組みや社会貢献をしたくなる人もいるでしょう。続けたくとも病気や事故で続けられなくなることもあるでしょう。

僕も病気をしてしまった側の人間です。当たり前に過ごせていた頃が本当は当たり前でなく、本当にありがたかったんだな、と日々思います。

99.999%側の人間として思うのは、本当に好きなこと、やりたいことがある人は惜しまずチャレンジし、自分が納得するまで続けるのが大事だということ。これ以上の贅沢はないし、これこそが本当の生きがいになるのではないか。誰かに褒めてもらうためでなく、自分のために生きてほしいと思います。

「列ができる前に並んじゃってる」子どもの現在

――病気に関しては、つんく♂さんは喉頭がんとの闘いの記録として『だから、生きる。』を2015年に出版されています。闘病生活や家族との関係性、ハワイへの移住など、私生活が仕事のやり方・仕事論に影響したことはありますか。

僕は「(流行りの)列に並ぶなよ」「ホリエモンみたいな天才の真似をしてもうまくはいかないよ」とサロンのメンバーにはよく話しています。が、かくいう僕も、何かと流行りや時代の流れが気になってしまうタイプ。

今は何が流行っているんだろう、なんであの本が売れているんだろうとか。僕はそういうことに鼻が効くタイプだったので、幼少の頃から「列ができる前に並んじゃってる」子どもでした。流行や旬の話題をいち早く察知して、何がどう騒がれてるのか、何がどう時代にハマってるのかを分析するのが好きでした。

そうした積み重ねによって、今のプロデューサーという仕事にたどり着いたんだと思います。20代後半にプロデュース業を始めて、15年くらいあっという間でしたね。

休息の時間もなく、気がついたら体を壊していた。

いったん、クールダウンしなきゃヤバいなと思ったのも、ハワイに行った理由として大きいです。大きな病気をしたし、何かにのめり込みすぎるのがよくないとはわかった。あのまま日本にいたら、僕はやっぱりまた根を詰めるだろうし、休むことを忘れて戦い続けてしまうと思う。

日本を客観的に見られるようになった

――仕事の仕方を意識的に変えられたのですね。『だから、生きる。』では、体を大切にすることがいかに重要かが強調されています。

それは本当にそうです。でも人間なんてだいたい自分に甘いから、そんなにうまくはいかない。コンビニに行ったらおいしいものがどっさり売ってるし。

ただ、ハワイに移って環境が変わってから、ある部分では冷静になったかな。ハワイって基本的に田舎の島なので、不便なんですよね。だからいいのかもしれない。そしてその分、日本を客観的に見られるようになった。

日本人は職人気質、あるいは職人技というのか、何を作らせても本当にみんな上手です。ただ多くの人がシャイだから、交渉ごとなどは下手なのかもしれません。英語が弱いのも、もったいない。僕も7年住んでいても英語はチンプンカンプンだし。日本人みんなが普通に英語を話せたら、また世界一になれそうな気がするんだけどなぁ……。

――街中の店で働く人の仕事ぶりなども、ハワイと日本とでは結構違いますよね。

全然違う。スーパーのレジもゆっくりだし、打ち間違いも多いし。家の水漏れを修理してもらうために業者を呼んだ時には、直ったと思って2、3日過ごしたらやっぱり直ってなかった、なんてこともありました。

修理のクオリティー以前に、なかなか業者がつかまらない。東京のように電話して「1時間後に伺います」なんてことはありえない。2〜3日は来ないんですもん。そもそも技術者も少ないんですよね。

ハワイに住み始めた頃は「ありえない!」「なんでやねん!」と思っていたけれど、今では「このまったりした感覚で暮らしていくからええのかもね」と思うようになりました。僕はそのまったりした感覚のためにハワイに住んでるんだ、ってね。

ハワイでアイドルグループ?

――これからもハワイに住み続けるのですか。

それは決めない。決めたらしんどくなるから。今は焦らないようにと思っています。

ハワイで暮らしていると、日本ってものすごくちゃんとしているなと思います。その分、日本は何でもかんでも「右に習え」という面もあって、もっと個性を出してもいいのに、と思うこともあります。

一方、「ハワイやアメリカでグループを作れば?」とはよくいわれるものの、アイドルグループはアメリカではまず成立しないと思う。一旦出来上がったとしても、長続きしないんじゃないかな。

アーティストになりたいということは、自分の表現したいことがあるわけです。そう考えるアメリカの若い子たちが、誰かと足並みを揃えて同じように活動する、なんてことは2年も続かないように思います。

――韓国や日本でアイドルグループが盛り上がったのは、グループで行動できることが大きいのでしょうか。

韓国と日本のアイドル文化って、似ているようで似ていないんですよね。いずれにせよ、韓国と日本のアイドル界は、そもそもアメリカのスターのように億万長者になれるような世界ではない。国内では少々お金持ちって程度です。

それを踏まえて歴史を見ると、まず、日本におけるアイドル活動の目的としては、金銭面よりプライドが勝っていたんじゃないかと思う。

韓国内のパイは日本より小さかった

――どういう意味でのプライドでしょうか?

ピンク・レディーにしてもキャンディーズにしても、グループサウンズの頂点を極めたザ・タイガースやザ・スパイダースにしてもそう。その後のバンドブームでも、日本の音楽界のために皆が一丸となって戦っていたように思えます。一糸乱れぬ感じで、足並み揃えて。

K-POPも、そもそもの気持ちは日本のアイドル界、音楽界と同じだったかもしれません。ただ、韓国内のパイは日本より小さい。そのため、より早く世界に向けて発信するようになったとも言われる。

さらに感性の面でも、時代に対してより敏感だったのではないか。ピリっとした強い刺激がいい感じで、大陸続きのアジア勢に素早く響き、広がっていったように思います。

ソロのアーティストが強い日本の現状

――グループ活動が成立しやすい点では同じでも、日本と韓国とでは少し異なる歴史を辿ってきたと。日本のアイドルグループの今後をどのように考えますか。

日本では、今はソロのアーティストが強いですね。バンドのボーカルを含めて、多人数のボーカルグループより、単独で活動する歌手の歌のほうが聴きやすいとされる時代かもしれません。

とはいえ、日本もまだまだグループでの表現の形が進化していくはずなので、3〜4年後が楽しみな状況です。今は、まさに転換期なのだと思います。日本国内だけをパイと考えると、「しのぎ」も小規模になる。

だから、日本国内で成功してから海外進出というよりは、最初から世界に打って出ても通用するグループを生み出すことが肝要です。そんなグループをいち早く世に送り出したチームが、次の時代を作っていくように思います。

――『凡人が天才に勝つ方法』には、令和になって時代が変わってきたと書かれています。芸能、エンタメの世界にも変化がありましたか。

コロナ前と今とでは全然違う。音楽の世界も変わりました。

とくにアイドルの世界では、コロナ前は音楽を作りCDを買ってもらうために握手会や撮影会のようなイベントが日々行われていた。それらが一斉に止まったことは、日本の音楽業界全体に大きな影響を与えた。CDの売上枚数が見えなくなったんです。

維持できなくなったアイドル事務所やアイドルグループも多いです。いつの間にか解散していたり。以前はCDを買って握手会やチェキ会(インスタントカメラを用いた撮影会)に参加することが生活のルーティーンだったアイドルファンの人にとっても、そのルーティーンのすべてが止まった。

ようやくコロナが明けてファンたちが動き出した頃には、グループが解散したり、活動を休止していたり。肝心の「推す」対象がなくなっていた、という経験をした人もいる。

ちなみに「推し」はこの数年で急激に普及した言葉だけれど、それが指すもの自体は、音楽の世界にはずっと存在していました。

40年前から「推し活」と同じものはあった

――どういうことでしょうか。

記憶する限り、僕が中学生の頃もアイドルの握手会はありました。新曲リリース時のキャンペーンとして、スーパーのイベント広場なんかで握手会やサイン会が開催されていたのを記憶しています。40年前から同じものはあったわけです。

違いとして大きいのは、当時のレコード業界は握手会をするために音楽を作っていたわけではなかった、という点ではないでしょうか。

当時は、握手会やサイン会をラジオや有線で曲がかかった時に注意を向けてもらうための宣伝として考えていたと思います。

その後アイドル文化が発展して、CDが聴くものから収集するものに変わっていき、ジャケットが違えば全種類ほしいといった欲求も出てきた。そうこうする間に、ジャケット写真の違うCDだけでなく特典の違うCD、握手券の入ってるCDなどいろいろなパターンが生まれ、純粋な音楽作りとは違う視線がアイドルの世界に向けられるようになった。

いつの間にかアイドルやアーティストのファンは、「家でCDを聴いて、コンサートに行く」というだけでなく、イベントやブログ、SNSでの発信まで含めた活動全体を楽しみにし、それらを拡散するという、2次的3次的な楽しみ方をするようになりました。

長らく「ファン」と呼ばれ、ときに「オタク」「ヲタク」と称されたりもしましたが、やっていたことは今でいう「推し活」に近いんです。

「推し活」の時代だからこそやりたいこと

――今の時代の特徴は、SNSでの発信を介して、自分と同じ「好き」の感情を持つ他者と容易に出会えることでしょうか。「推し活をしている、誰かのファンである、何かのオタクである」という前提で行われるコミュニケーションの広がりはSNSの存在が大きいように思います。ただ、昔の「オタク」と今の「推し活」とでは、活動内容が似たものである一方、周囲から向けられる視線は変わってきています。

『凡人が天才に勝つ方法 自分の中の「眠れる才能」を見つけ、劇的に伸ばす45の黄金ルール』(つんく♂ 著/東洋経済新報社/1540円/326ページ)書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします。

「オタク」なのか「マニア」なのか。どう呼ばれるのが先だったかはわからないけれど、例えば僕なんかは「オーディオマニア」とか「オーディオオタク」と言われると、それは自分にとっては褒め言葉だったわけです。他人からしたら、「あんたキモいよ」という意味の言葉だったとしても、本人はうれしかったものです。

アイドルオタクという言葉にも、いろいろな意味が与えられてきたように思います。人と比べた時によりアイドルに夢中になっていて、とにかく誰よりもアイドルに詳しいとなれば、そこには「リスペクト」が生まれます。

何であれ同じです。あいつは「虫」に詳しすぎる! 「蕎麦」のことはあいつに聞け!というところまでいくと「オタク」はある種の「先生」です。

人生そこまで行けば、何とか食べていけそうな気もしますが、今は1億総「推し活」時代。何かを推していなければ、「え? 無趣味ですか?」とみられる場面さえあります。かくいう僕が、今が一番「推し無し」かもしれない……。さまよっているんです。

「推し」があ(い)れば人生は楽しいし、日本の経済にもいい。僕は「玄人裸足」という言葉が好きなのですが、玄人(プロ)が逃げ出すほどの「推し人(アマチュア)」として生きていくのが、人生一番楽しいのかもしれない、と思うこともあります。

そんな時代だからこそ、そしてこの時代にプロとして応えていく意味で、僕は多くの人に「推し」てもらえるようなアーティストを育てていきたい。最後に言いたいのはこの言葉です。

これからもがんばります!

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