真面目で責任感が強い人ほど、うまく「休み」が取れないという(写真:tsuchimasp/PIXTA)人はあまりにつらすぎると、つらいという感情も含めたありとあらゆる感情を感じなくなるという。休んでも疲れが取れない。気力も体力も奪われ、動くことすらできない。そうした状態に陥ってしまった時はどうすればいいのだろうか?心療内科医の鈴木裕介氏は、その解決のヒントとして、「戦う」でも「逃げる」でもない「フリーズ(=固まる)」という選択肢の重要性を説きます。現代社会において、なぜ「フリーズ」が重要なのかを、鈴木氏の著書『心療内科医が教える本当の休み方』を一部抜粋・再構成して解説します。

従来の理論では"説明のつかない"症状

「ストレス学の祖」ハンス・セリエのストレス理論以降、ストレス状態とは交感神経と副交感神経のバランス不全と考えられてきました。しかし、近年になって、この二元論では説明がつかないケースが増えてきているように思います。

たとえば、「適応障害・抑うつ状態」という診断で、会社の産業医から休職をするように言われたAさんは、2~3か月の休養と通院によって、意欲や集中力が回復してきました。

食事も十分に取れていて、集中力も回復し、余暇としてのゲームやスポーツを友人と楽しめる状態になったのです。復帰に十分な回復をしたと判断し、主治医は復職の許可を出しました。

しかし、復職の直前のタイミングになって急に意欲や集中力が低下し、朝の頭痛やだるさが続いて起きられなくなってしまいました。

無気力な状態やぼんやりした感じが続き、特に気圧が低くなると、ずきずきと頭が痛くなるとともに気分が悪くなり、身体の重さと気分の落ち込みが増して、寝ても寝ても眠気が取れずにずっとだるさを抱えてしまいます。疲労感が抜けず、抗うつ薬もあまり効果がみられません。

別のBさんは、仕事で詰められすぎて、明らかに無感情・無気力になっているのに、「生ける屍」のように服従的に働き続けていました。明らかに体調が悪そうなのに、「つらいとかはあまり感じないので、大丈夫です」といって、産業医の休職勧告にも応じずにずっと働いていたのです。

エンジニアのCさんは、会社で強い口調の上司に幾度となく詰められていました。「なぜ?」「根拠は?」と執拗に聞かれても、頭が真っ白になって答えられず、反論もできなかったのです。

もともと優秀なコーディングの能力を持っていましたが、頭がどんどん働かなくなり、その上司が同じ部屋にいるだけで固まったようになり、パフォーマンスをまったく発揮できず、出社ができなくなってしまいました。

「フリーズ(凍りつき)」という「あたらしい」防衛反応

だるい、寝ても寝ても眠気がとれない。何も考えられない、服従的、真っ白になり、固まってしまう。朝起きて活動をしようとしても、どうしてもエンジンがかからない。気力も体力も奪われてどうしようもない状態を、どうすればいいのか。ここを紐解く1つのワード、それが「凍りつき」(Freeze)です。

例えば、闘うことも逃げることもできないとき、野生動物はどうなるでしょうか。抵抗せずに固まって、「死んだふり」をします。

目は虚ろになり、意識をぼんやりとさせ、痛みを感じにくくなります。その方が、敵にとどめを刺されにくいということを、生得的に知っているのです。

つまり、「固まる(フリーズする)」というのは、闘うことも逃げることも不可能な場合にその場をやり過ごし、生きる可能性を高めようとする防衛手段なのです。

これは、闘う(Fight)か逃げるか(Flight)という交感神経的な防衛反応とは異なる、3つ目のF=凍りつき(Freeze)と呼ばれています。

そして、それをつかさどっているのが副交感神経の中心を占める迷走神経の背側の枝であると、主張したのが心臓の生理学者スティーブン・ポージェスです。副交感神経は、休息・リラックスを担当するだけではなく、戦うことも逃げることもできない危機におけるフリーズ反応を担当しているのです。

古来より、ヒトが経験するストレスとは「天敵に襲われる」といった短期的なものが主体でした。交感神経によって活動性をブーストし、やっつけるにしても食べられるにしても、どのみち一瞬で終わります。

ただ、現代のストレスは過去に類を見ないほど持続的なものに変化しています。実際、ストレスフルな上司を殴って倒したり(闘う)、ストレスフルな仕事や人間関係を投げ出して逃走する、というのはほぼ封じられているに等しいでしょう。

となると、3つ目の防衛反応である「フリーズ」があらわれやすくなる、というのは、実に理にかなっているのではないでしょうか。

「固まる」ことで、やりすごそうとする若者たち

実際、現場感覚としても、ストレッサーに力強く反抗するというよりも、なるべく穏便に、無抵抗で「固まる」ことで、少しでも苦痛を軽減しながらなんとかやりすごす、という防衛を選択する人のほうが増えているように思います。そして、若い人ほど顕著にこの傾向が出ているのではないかと考えています。

「上司や取引先にひどく叱られて、頭が真っ白になり何も考えられなくなった」
「朝、学校や会社に行く時間になると、脱力して立ち上がれなくなる」
「強い悲しみやつらさを感じ、気力を失った」
「人生や将来、今の自分の状況に対してあきらめ、無気力、絶望を感じている」
「自分だけが我慢していればいいと、心を閉ざしてしまう」

これらはいずれも、ポリヴェーガル理論が提唱する、背側迷走神経系の凍りつき(Freeze)の防衛反応のあらわれとしてとらえることができます。

こうした防衛は、苦痛を感じすぎずに逃れるために短期的にはきわめて有効に作用しますが、凍りつきの状態、氷のモードからいつまでも抜け出せないと、社会生活を送るのが難しくなります。

また、この防衛としての氷のモードについてはまだあまり知られておらず、いかにも「気合が足りない」ように見られがちです。不登校の生徒に共通して見られる朝の反応(低血圧、眠気、倦怠感、頭痛や頭重感など)は、背側系の反応そのものなのですが、そうした視点が言及されることは稀です。むしろ、「気合が足りない」と怒られることで、さらに脅威によるフリーズの反応を引き起こすケースが跡を絶ちません。

この観点が欠如していることで、「気力がなくなったり、やる気が起きなかったり、朝起きられなくなったりするのは、メンタルが弱いからだ」と周囲から言われ、自分でも、凍りつきの状態から回復できない自分自身を「ダメな人間だ」と責めてしまい、ますます氷のモードから抜け出せなくなる。

そんな悪循環に陥っている人も少なくありません。

しかし、これらの症状が、決して気合いや根性の問題ではなく、「背側系による防衛反応」である、という神経学的な問題としてもとらえ直せることに、ポリヴェーガル理論の利点があると考えています。

さらに、「では、何によって私のこの防衛反応が引き出されているのか」という視点も出てきます。人によっては「ああ、私は会社の人間関係を拒否したいのかもしれない」という、より本質的な問題に気づくことができるかもしれません。

また、真面目で責任感が強い人、あるいは自己評価が低く、普段、自分の役割をまっとうすること、他者の役に立つことに自分の存在する意味を見出している人ほど、思うように動けない自分を責め、悩み、苦しみを抱えがちです。

「望むような活動をしたい」「求められる役割を果たしたい」という思いはあるのに、どうしても身体が動かない。仕方なく仕事を辞めたり休んだりしているのに、一向に回復する兆しが見えず、「食事をきちんと取ったほうがいい」「身体を動かすといい」と言われても、どうしても動けない。

そんな状態が続くと、やがて、

「何も生み出しておらず、誰の役にも立てていない自分に何の価値があるのだろうか」
「こんな自分のことを、誰が信じ、必要としてくれるのだろうか」
「自分など、いなくなってしまったほうがいいのではないだろうか」

などと考え、思うようにならない自分に怒り、「単に甘え、サボっているだけなのではないか」と自分を責め、ますます自分を追い詰めてしまうのです。

「氷のモード」を肯定的に受け容れてみる

ここで、私が提案したいのは「背側系に入っていることの必要性を理解し、その状態を積極的に肯定していく」ということです。

氷のモードは、悪者ではありません。危機をやりすごして自らの身を守り、エネルギーを節約し、回復に向かうために必要なプロセスなのです。
そのモードにいる自分を否定して、なんとか動こうと抗っていると、いつまでも身体のニーズを満たすことができず、かえって事態を長引かせてしまうということがあります。

ですから、もしいま、みなさんが何らかの原因で氷のモードに入っていて、思うように動けない状態にあるとしても、どうか自分自身を責めないでください。

そして、「引きこもる」「シャットダウンする」という身体的な欲求が必要となったときには、むしろそれに積極的に従っていくことで、徐々に活動性を取り戻し、健全な「ゆらぎ」を取り戻すことができやすくなります。

この「背側系の反応を無視せずに、積極的に受け容れていく」という方針は、「休む」という技術の習得において核心的といってもいいほど重要な態度だと思っています。

私がいま習得している心理療法においては、「戦士の休息(ウォーリアーズ・レスト)」という名前で知られ、その重要性が強調されています。

"シャットダウン"は身体が求めているもの

いろいろなことを抱えていつも何かと闘っている、責任のある役割から降りることができない責任感の強い人ほど、「力が入らない」「思考が回らない」「動けない」という状態をネガティブにとらえてしまう傾向にあると思います。

普段どれほど活発で社交的な人であっても、いろいろなことを気にしながら他者と交流することをやりすぎて、社交力を使い果たしてしまうことが、ときにはあるでしょう。

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そうしたときに「もう人と話したくない」「引きこもりたい」というモードになるのは、自然なことです。

このような状態のことを、「コミュニケーション・オーバー」と呼んでいます。そんなときは、無理して動き続けようとせず、部屋に引きこもり、頭をふさぎ、貝のように丸まってシャットダウンをすることが最適解なのです。

たとえ1日単位の休みがとれなくても、たった5分でも10分でもいいので、なるべく人が来ないところで横たわって亀のように丸くなる、体育座りをしてふさぎ込む、ということをあえて積極的にやるのです。

氷のモードに入りかけているときには、身体が求めていることに、身を委ねてあげてみてください。きっと、身体の中で何か変化を感じることができるのではないかと思います。

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