10人に1人が「びっくり退職」
家族や友人、職場の人にがんと診断された人はいるだろうか。その人が現役世代や個人事業主なら、仕事はどうしているだろう。治療を続けながら、仕事も続けているだろうか。
がんと診断される人のほぼ4人に1人が20~64歳の就労世代だ(国立がん研究センターがん情報サービス「がん統計」より)。がんになったことをきっかけに退職・廃業した人は就労者の約20%(同センターの患者体験調査)。その中で、がんの初回治療までに退職・廃業した人は60%弱だった。
つまり、がん患者のほぼ10人に1人は、診断されたことに驚き、不安と混乱の中で退職の道を選んだと見られる。こうした行動を、昨今は「びっくり退職」「びっくり離職」と呼んでいる。
あわてて仕事を辞めないで
今回取材した医師や支援者が口をそろえるのが、「がんと診断されてもすぐには仕事を辞めず、働き続けることは1つの選択肢。『びっくり退職』は避けたほうがいい」ということ。
愛知県がんセンターでがん患者の薬物治療にあたる医師の本多和典さんは、「お金がかかることと働けなくなること。その両方が急に襲いかかるのが、がんの特徴。勢いで辞めてしまうと、その後のサポートが難しくなることも。あわてて仕事を辞めないで」とメッセージを送る。
一般的には、がんと診断されたあと、入院して手術をすれば、それで治療は終わる――。そんなイメージがあるかもしれない。
確かに、がんの種類やステージ(進行度)によってはそうだが、手術後も受診して定期的に血液検査や画像検査を受ける必要があるし、40代後半~50代の女性に罹患の最初のピークがある乳がんでは、ホルモン薬の内服を5~10年続けることもある。言い換えれば、その間、治療費の支払いは続いていく。
手術・放射線と並ぶ主要な治療である薬に関していえば、「がん免疫療法薬(免疫チェックポイント阻害薬)」など、効果も価格も高い新薬が相次いで導入されている。
幸い、日本では国民皆保険という社会保障制度の存在により、高価な治療であっても、貧困のために医療が受けられないことは、原則ない。生活保護などのセーフティネットもある。
ただ、制度の利用申請から支給までのタイムラグで、一時的にお金のやりくりが難しくなったり、働く時間が短くなって収入が減ったりすることは考えられる。忘れてはならないのが、家賃や教育費など。これはがんにかかろうが関係なく、毎月、引き落とされていく。
このように、がんと診断されたことや治療に伴う患者・家族の経済的負担を、昨今はがんの「経済毒性」と呼んでいる。
「実は、医師も患者さんの医療費についてはわかっていないことが多い。患者さん側からお金の話はしにくいかもしれませんが、高額療養費制度やさまざまなサポートが利用できます。大事なのは治療の継続ですから、そのためにも医師や看護師、がん相談支援センターに相談してほしい」(本多さん)
「がんになる=迷惑をかける」ではない
国民の2人に1人ががんになる時代。読者のまわりにも、仕事を続けているがんサバイバーはいるかもしれない。
がんになっても働く――。もちろんがんの種類や進行度、受けている治療によっても変わってくるが、その前提は持っておきたいところだ。
仕事を続けたほうがいい理由の1つは、これまで紹介してきた「治療費」の側面があるが、それだけではない。仕事を続けることによってやりがいや、生きる気力、病気のことを頭から一度、忘れるといった側面もある。
一般社団法人「がんと働く応援団」共同代表理事の吉田ゆりさんは、自身も卵巣がんのサバイバーだ。「がんにかかったからといって、周囲に迷惑がかかるということではない。『申しわけない』ではなく、がんというライフイベントを経験したからこその強みを生かしてほしい」と強調する。
「確かに、がんになることはショッキングなことですが、どうやったら働けるかを考えながら、新しい働き方を作っていく。多様な働き方を職場に根付かせる使者として活躍し続けていただきたい」
コロナ禍の4年間でリモートワークが普及したことも、がんサバイバーの就労に追い風となっている。ハード、ソフト両面が充実し、職種によっては、出勤しなくとも業務を行うことが可能になったからだ。
自宅で仕事ができれば、その日の体調に応じて横になることも可能で、がん治療を続けながら働くには有利な状況だ。
では、復職に際して短時間勤務やリモートワークが望ましい、出社する際に車いすが必要になる、人工肛門でオストメイト用のトイレが必要になるなど、会社に何らかの配慮がいる場合は、どうすればいいか。
がんとお金・仕事に関する患者への情報提供に取り組むNPO法人「がんと暮らしを考える会」の副理事長で、特定社会保険労務士の近藤明美さんは、「就業上の配慮が必要なケースでは、望ましい職場での配慮に関して医師に意見書を書いてもらって会社側と話し合うようにアドバイスしています」と話す。
治療と仕事の両立については、厚生労働省が『事業場における治療と仕事の両立支援のためガイドライン』を作成しており、働く人の個別性に配慮して支援するように求めている。
「がんと働く応援団」の共同代表理事で、乳がんサバイバーの野北まどかさんはこう語る。
「体の一部を切除したなど、治療によって変わった自分の体の『慣らし運転』が必要ですが、それは『月次』や『四半期』といった職場のタイムラインとはフィットしないもの。その人の持つ能力を適用させるまでに時間が必要だと、本人も周囲も捉えられるようになると、働きやすくなると思います」
“災害”と捉え、迷わないよう備える
多くの人はある日突然、がんと診断される。そして、ショックのあまり精神的に追い詰められ、「治療」「生存率」などをただひたすら検索して……ということは十分にありえる。
そんなときに、冷静に治療費や治療で失われる収入のことなどを考えるのは、どだい無理な話だ。
「がんと暮らしを考える会」の理事長の賢見卓也さんは、「病気のときに、経済的な支援制度を探したり、手続きをしたりすることは、酷ともいえます。だからこそ、患者さんと制度の間を埋めるような存在が必要になってくる」と話す。
「がんは突然訪れる災害のようなもの。だからこそ、正しく知り、備えることが大事」と、前出の吉田さんは言う。「がんと診断されてショックで頭がまわらない、そういうときこそ、正しい情報に迷わずアクセスできる、“災害マニュアル”のようなものを用意しておくことが大事だと思っています」。
※がん治療に伴うお金の問題を取材した「がんとお金」を3日間にわたってお届けします。今回は3回目です。1回目:「医療費120万円」がん患う母が嘆く"負担の重さ"
2回目:高額化するがん治療「高額療養費」でいくら戻る?
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