東日本大震災の津波で多くの児童が犠牲になった宮城県石巻市立大川小学校の卒業生たちが、故郷に新たな交流を生み出そうと被災校舎の近くに活動拠点を開設しました。
その取り組みにかける思いを取材しました。

東北一の大河・北上川の河口から約4キロ上流に位置する宮城県石巻市立大川小学校は、東日本大震災の津波で児童・教職員84人が犠牲になりました。

爪痕が色濃く残るこの校舎は市によって震災遺構として整備され、2021年から一般公開されています。

震災当時、5年生だった只野哲也さん(24)は、4月、思い出が詰まった母校で語り部ガイドにあたっていました。

あの日、大川小の児童は教員の指示で約50分校庭で待機を続け、移動を始めて間もなく津波に遭いました。

只野哲也さん
「(山に)登ろうとしたときに、津波にのまれるとかではなくて、思いっきり斜面にバーンとたたきつけられるようなものすごい圧力が体にかかって、息ができなくなって」

只野さんは波にのまれながら奇跡的に助かりましたが、妹や多くの友だちを亡くしました。

母と祖父も失った只野さん、震災直後から助かった児童のなかで唯一メディアの取材に応え続けてきました。

Q:取材を受けてくれるのはどんな気持ちから?
只野哲也さん(当時11)
「全国のみんなに東北は大きな被害を受けたから知ってもらいたい」

大川小の校舎をめぐっては地元で当初解体すべきとの声が出ていました。
そのなかで保存を求める声をあげたのは只野さんたち卒業生でした。

只野哲也さん(当時15)
「大川小の校舎は地震や津波の恐ろしさや命の大切さを、何十年、何百年、何千年と後世の人々に伝えるきっかけにできればいい」

市が校舎の保存を決めたのはその翌年(2016年3月)でした。

残った校舎をどう未来に生かしていくのか。
その課題に向き合うため只野さんは2022年、新たな取り組みを始めます。

他の卒業生などとともに「チーム大川 未来を拓くネットワーク」という団体を立ち上げたのです。

只野哲也さん
「大川小のこれからについて、皆さんと亡くなった方々とむき合い続けたい。よりよい未来を拓くために、人をつなぐネットワークを私たちなりに築きたい」

大川小卒業生 今野憲斗さん
「一番は様々な人に大川小学校を知ってほしい。SNSを活用して広めていきたい」

その2カ月後(2022年4月)、只野さんはチームのメンバーと岩手県釜石市を訪ねました。
以前から交流がある語り部の菊池のどかさんと今後に向けた意見交換をするためです。

只野哲也さん
「(以前の大川は)シジミはもっと採れた」

菊池のどかさん
「シジミめっちゃおいしいよね」

只野さんは災害危険区域となり住民がバラバラになった大川地区にコミュニティーを取り戻したいと考えていました。

只野哲也さん
「若者が帰ってきやすいものをつくりたい。大きく言えば仕事になるような雇用がちゃんとあって、生活の基盤を整えられるようなものがあれば帰ってこられないこともないだろうし」

菊池のどかさん
「これがあるから帰れるみたいな“口実”にもなるよね。理由ないとそろそろ帰りづらくなってきている時期」

被災地の若者同士の交流は只野さんの力になっていました。

その後チーム大川ではこの地域で育った人たちが集えるようにとお盆に大川小学校で灯籠をともす催しを2年連続で開催しました。

そして2023年10月、大きな動きがありました。大川地区にアメリカ在住の投資家を招いたのです。

只野哲也さん
「(大川には)ゆっくり話をするような空間がなかなかない。それをまず作りたい。カフェとしてお茶やコーヒーを提供したり」

チーム大川では2023年5月、市が所有する被災校舎の近くの土地3800平方メートルを10年間借り受けました。

ここに将来交流施設を設ける計画の実現に向けて支援を求めたいと考えていました。

只野哲也さん
「大川に新たな象徴をつくることを最大のゴールとしています。道の駅のようなもの、スポーツ・コンサートができるところも長期的には作りたい」

只野さんの熱意は投資家の藤本章さんの心を動かしました。

アメリカ在住の投資家 藤本章さん
「震災は風化させないことが重要。できるだけ支援なり応援なりアメリカからもさせていただきたい」

その半年後の2024年4月、チーム大川はついに新たな一歩を踏み出しました。
借り受けた土地に活動拠点を開設したのです。

設置された2棟のコンテナハウスは神奈川県横浜市の企業が無償で提供したものです。

コンテナハウス2040.jp 菅原修一さん
「あの方たちに未来を託すっていうか、すごく共鳴した。うちもそうだけど、じゃないとこんなに人は動かないと思う」

只野哲也さん
「今後このプロジェクトに誠心誠意取り組み、大川・宮城そして日本の未来をひらくために、Team大川 未来を拓くネットワークとして活動していきます」

この日は約50人が集まって記念のセレモニーが開かれ、投資家の藤本さんによる約870万円の寄付が発表されました。

セレモニーには釜石の菊池さんも駆けつけました。

釜石市の語り部 菊池のどかさん
「未来に向かっていくという皆さんの力強いパワーをすごく感じた。お手伝いできることがあれば一緒に頑張っていきたい」

チーム大川では今後ここに地元食材を扱うカフェや子ども向けの遊び場、伝承の拠点などを開設し、コミュニティーや雇用・にぎわいを生み出すことを目指しています。

只野哲也さん
「活動資金の寄付もいただいて本当に身が引き締まる思い。多くの子どもたち、先生方、地域の方が亡くなった事実を正しく伝えるのは根底にあるが、大川の地の本当の魅力を次世代に伝えていきたいと考えているので、地元の方々も巻き込んでもっと広い範囲で語りができたらいいと考えている」

海・川・山の恵みにあふれていた震災前の大川地区。

ここに再び多くの人が集えるようになる日を夢見て只野さんは歩み続けようとしています。

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