トコジラミによる被害が激増している。昨年のトコジラミ刺症の診療・相談件数は前年比10倍以上に増えた。すでにトコジラミは日本に定着したと専門家は指摘する。
気温が上昇すれば、トコジラミの活動は活発化する。今年の夏は「ドーンと増える」という。
あらゆる施設でトコジラミの生息を確認
「コイツですか」
駆除業者はいとも簡単に瓶の中からトコジラミを机の上に取り出した。茶色い5ミリほどの体は丸みを帯び、パッと見、羽のない小さなゴキブリのようだ。
当記事は、AERA dot.の提供記事です「でも、トコジラミはゴキブリと違って、指で押してもびくともしないんです。ほら」
そう業者は言い、実際にやってみせてくれた。記者も爪の先でグリグリ押してみると、「カリッ」。甲羅が割れるような音がした。硬い。敵は相当手ごわそうだった。
トコジラミは「シラミ」と名がつくものの、カメムシの仲間だ。体は扁平。ベッドや家具、調度品などのすき間に身を隠し、夜になると出てきて寝ている人の皮膚を刺して吸血する。
移動速度はゴキブリ並みで、カサカサと素早く動きまわる。
昨年、韓国やフランスなど外国で発生したトコジラミ被害が報道された。「海外旅行ではトコジラミに気をつけよう」と考えている人も多いのではなかろうか。
だが、兵庫医科大学の皮膚科学教授、夏秋優医師の指摘は衝撃的だ。
「トコジラミはすでに日本全国に定着し、刺されるリスクは国内旅行であっても全く変わりません」
実際、超高級ホテルからビジネスホテル、ネットカフェ、山小屋、さらに病院や老人ホームまで、宿泊をともなうあらゆる施設でトコジラミの生息が確認されている。
トコジラミの有無と施設の格式は基本的に関係ない。もちろん、個人宅も例外ではない。
自分を実験台に50回刺される実験
夏秋医師が診療した、あるいは相談を受けたトコジラミ刺症の件数の変化は明らかだ。
2015年までは年間1、2件程度だった症例は年々増え、2019年は6件に。
コロナ禍の3年間は人流が細くなり、ホテルや旅館の利用者も減ったせいか、2022年の症例は1件。その後、コロナ禍明けとともに旅行者数が回復すると、2023年の症例は11件と急増した。
「この勢いで今年はドーンと増えるでしょう」と、夏秋医師は予測する。
一方、こうも言う。
「トコジラミをむやみに怖がる必要はありません。正しい知識を持って、正しく対処することが大切です」
これまで夏秋医師はさまざまな害虫について自らを実験台にして皮膚反応や対応法を研究してきた。トコジラミも数十匹を飼育し、少なくとも40~50回は刺される実験を行ったという。
トコジラミには誤解も多い。たとえば、「トコジラミに刺されると、かゆくて夜も眠れない」とよくいわれる。だが、個々のかゆみは、蚊に刺された場合とさほど変わらない。1、2週間で自然に治る。
一般人にとって厄介なのは、知らぬ間に外出先から持ち帰ったトコジラミが自宅で繁殖し、毎晩刺されるようになるケースだ。こうなれば皮疹が多発して「夜も眠れない」事態となりかねない。
「実は、初めてトコジラミに刺されたとき、かゆみはないし、赤いブツブツも出ないんです」(夏秋医師)
トコジラミ以外の吸血性の昆虫も同様だが、通常、2、3回刺されないと赤い発疹やかゆみなどの皮膚症状は表れない。吸血昆虫の唾液腺物質に対するアレルギー反応が起こらないためだ。
2、3回トコジラミに刺されて症状が出るようになっても、「遅延型反応」といって、刺されてから症状が出るまでに2、3日かかる。
「つまり、宿泊先でトコジラミに刺されても、その時点では何も症状が出ないので、トコジラミの存在に気がつかないのが普通なんです。無防備なまま、トコジラミが荷物や衣類に紛れ込んでしまい、自宅に持ち帰ってしまう」(同)
トコジラミは暗がりを好む。スーツケースや衣服のジッパーの両脇のすき間に入り込むことも多いが、この部分を広げて確認しなければトコジラミに気づかない。
ちなみに、トコジラミは吸血のたびにベッド周辺のすき間と寝ている人の間を往復することが多いので、ベッドから離れた入り口付近やバスルームに荷物を置くだけで、トコジラミを持ち込むリスクはかなり減る。
1匹のメスが200個以上産卵
トコジラミの繁殖力はすさまじい。多くの昆虫のメス同様、トコジラミは1回交尾すれば、2度と交尾せずとも卵を産み続ける。1匹のメスは生涯200個以上も産卵する。
「つまり、1匹でも交尾したトコジラミのメスを持ち帰れば、アウトです」(同)
トコジラミに刺されれば、顔や首、手などの露出部分に赤い発疹やかゆみが出て、「虫刺され」には気づくだろう。しかし、昼間は寝具や家具のすき間に潜むトコジラミの姿を見ることはない。
「いつどこで何の虫に刺されたのかわからない状態が続きます。そのため、『トコジラミに刺された』と言って、皮膚科を受診する人はまずいません」(同)
皮膚科の医師でも、症状を見ただけで「トコジラミが原因」とはなかなか言い切れないという。
「何かの虫刺されでしょう、と診断されることが多いと思います」(同)
原因がわからなければ、対策もできない。その間にもトコジラミは増殖し、室内のさまざまな場所にはびこってしまう。
トコジラミが増殖しまくると何が起こるのか。住人の手に負えないほどトコジラミが繁殖した恐るべき事例を紹介しよう。
「本当にひどい場合だと、家中が黒く汚れてしまうんですよ」
公益社団法人・東京都ペストコントロール協会の会長で、トコジラミの駆除を手掛ける「ヨシダ消毒」(東京都練馬区)の清水一郎代表取締役がそう言って写真を見せてくれた。
ハンガーのかかった白い壁一面に黒いシミのような点がついている。吸血したトコジラミの血糞(けっぷん)だ。棚の隅を写した写真には、100匹ほどのトコジラミが小エビの佃煮のようにへばりついていた。
ここまで繁殖してしまうケースは介護を必要とする独居老人の住まいが典型例で、その増加が水面下で社会問題化しているという。
住人は毎晩刺されまくるが、あまり刺されると皮膚反応はほとんど出なくなる。そのため、トコジラミがいても気にならない。
「でも、トコジラミを持って帰ってしまうと、訪問するヘルパーさんやお医者さんは嫌がります。そこで、福祉事務所から駆除を依頼されるわけです」(清水さん)
老人ホームからの駆除依頼も増えている。病院からの依頼もある。
「入院する患者が衣類を持ち込む際、スーツケースのすき間にトコジラミが潜んでいて、それが繁殖してしまう」(同)
トコジラミをあぶり出すには?
忍びの達人・トコジラミを発見することは難しい。超高級ホテルであっても、トコジラミ被害は頻繁に起きている。しかるべき手は敵が大繁殖する前に打たなければならない。トコジラミにどう対抗すればいいのか。
夏秋医師が提唱するのが、「うそ寝作戦」だ。
部屋を暗くした状態で30分ほど寝たふりをする。トコジラミがいれば、吸血するために人間に近づいてくる。30分ほどして照明をつけ、本当にいるのか、寝具まわりを確認するのだ。
この「うそ寝作戦」を3晩決行して見つからなければ、トコジラミはまずいないという。
「私の外来の患者さんで、トコジラミが原因だろうと思われる人がいました。ところが、『そんな虫は見たことがない』と言う。その方に、『2、3回でいいから、うそ寝作戦をやってください』とお願いしました。しばらくすると、『やはり、いました』と、トコジラミをいっぱい持ってきました」
こんな事例が多いそうだ。
ちなみにこの「うそ寝作戦」にも弱点はある。冬場はトコジラミの活動が鈍るので、被害もないが、あぶり出すこともできない。
「うそ寝作戦」で運悪くトコジラミの生息が確認できてしまったら、駆除を行おう。
最近のトコジラミは一般的な家庭用殺虫剤(ピレスロイド系殺虫剤)に耐性がつき、効果が乏しくなっているので、専用の殺虫剤を使う必要がある。
2種類の殺虫剤を併用
夏秋医師によると、ふたつの殺虫剤の併用が望ましいという。
ひとつは、スプレー式なら「トコジラミ ゴキブリ アース」(アース製薬)、「コックローチPA」(KINCHO)、「バルサンまちぶせスプレー」(レック)。
もうひとつは燻煙(くんえん)式の製品で、「ゼロノナイトG」(アース製薬)がある。
後者の燻煙式殺虫剤は広範囲への効果が期待できる。ただし、火災報知器や寝具、衣類などはカバーで覆ったり、ポリ袋に入れたりする必要がある。
「燻煙式はカバーをつけた所にいるトコジラミは駆除できません。なので、トコジラミの通り道になる寝具やタンスの周囲には、スプレー式の製品を噴霧しておく。この組み合わせで駆除を数回繰り返せば、撲滅に近づけると思います」(夏秋医師)
うそ寝作戦であぶり出し、見つけたら、専用の殺虫剤を駆使して駆除する。業者に相談するのもいい。だがまず、基本を徹底すべしと夏秋医師は言う。
「大切なのは、トコジラミを『持ち込まない、持ち出さない、持ち帰らない』こと。これさえ徹底していれば、トコジラミの蔓延(まんえん)は絶対に防げます」
(AERA dot.編集部・米倉昭仁)
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