無類のカレー好きとしても知られる歌舞伎俳優の尾上右近さん(撮影:今井康一、スタイリスト:三島和也(tatanca)、ヘア&メイク:STORM(Linx))この記事の画像を見る(7枚)

歌舞伎俳優でありながら、七代目清元栄寿太夫という顔も持つ尾上右近さん。「1年間に360食のカレーを食べる」というカレー愛が高じて、著書『尾上右近 華麗なる花道』を上梓した。そのカレー偏愛をひも解くと、マルチな活躍の裏側に隠された、歌舞伎への熱い思いとその仕事観が見えてきた。

きっかけは歌舞伎座近くの「ナイルレストラン」

年間360食カレーを食べ、歌舞伎の自主公演では自身がプロデュースしたレトルトカレーを販売するほどの無類のカレー好き。最近は「『名前は出てこないけど、カレーの人でしょ?』って言われる」という歌舞伎俳優の尾上右近さん。

バラエティ番組などでカレーを食べ歩いたり、熱く語ったりする姿を目にしたことがある人も多いだろう。

(撮影:今井康一、スタイリスト:三島和也(tatanca)、ヘア&メイク:STORM(Linx))

歌舞伎俳優でありながら、七代目 清元栄寿太夫も襲名、最近では映画やドラマ、バラエティ番組などでもマルチに活躍する右近さんだが、曾祖父は六代目尾上菊五郎、母方の祖父は昭和の名優 鶴田浩二、という華々しい血筋でもある。

(撮影:今井康一、スタイリスト:三島和也(tatanca)、ヘア&メイク:STORM(Linx))

カレー好きになったきっかけは、歌舞伎座近くにある「ナイルレストラン」(以下、ナイル)。歌舞伎俳優でファンを公言する人も多い、1949年創業の日本最古のインド料理店だ。

「最初に食べたのは10歳のとき、父に連れられて。僕は”洗脳”って呼んでいるんですけど、お父さんがナイルが好きで、子どもを連れていって、子どもが好きになって……という、もはや(歌舞伎業界の)ある種の伝統ですよね」

親が子をナイルに連れていって、脈々とナイルファンが受け継がれていく様を右近さんはそう語る。

多いときは1日1回ペース、公演時間の都合や地方公演などがあると1〜2週間に1回程度になるというが、それでも今なお定期的にナイルに通う。ナイルに行かない日でも、東京、地方問わず、右近さんの主食はカレーだ。

年間360食カレーでいい

歌舞伎俳優というと、差し入れもあれば、会食なども多いだろう。しかも、東銀座界隈には有名店や話題の飲食店があふれている。にもかかわらず、年360食カレーでよいのだろうか?

(撮影:今井康一、スタイリスト:三島和也(tatanca)、ヘア&メイク:STORM(Linx))

「食べること自体好きなので、お肉もお寿司もハンバーグも好きだし、ラーメンだって好き。差し入れでテンションが上がるものもあります。でも、自分で選ぶとカレーになりますね」

その理由は、カレーとそのほかの食事の位置付けの違いにあるようだ。

「誰かと一緒に食べるときって、しゃべるために行くみたいなところがあるじゃないですか。でも、カレーはすぐ出てきて、すぐ食べ終わってしまうから、コミュニケーションには向いていない。僕がカレーを食べるときは、ほとんどしゃべらないので、誰かとはあまり行かないんです」

立ち食いそばに近い感覚のようにも感じるが、「こだわりのないエネルギー摂取は嫌なんです。やっぱり食事は楽しみたい。それで行き着いたのがカレーでした」

歌舞伎にこだわる時間を多くとるために

右近さんらしいこだわりは、日常にも垣間見える。

「服はほとんど、黒しか着ません。舞台で派手な和柄ばかり着ているのもありますが、色の組み合わせを考えるのがあまり得意じゃないみたいで。

ある時期、これとこれを組み合わせてって考えることがすごくタイムロスな気がして。その日着る服を考えているうちに、出かける時間になることが結構あった。それが嫌で、黒だけを着ることに決めた」

(撮影:今井康一、スタイリスト:三島和也(tatanca)、ヘア&メイク:STORM(Linx))

一瞬たりとも無駄にしたいくないタイプかというと、そういうわけではない。

「グズなので、なるべく時間をかからないようにしておかないと、どんどん時間のロスが生まれてしまう。だから黒の服しか着ないというのも、こだわりというより、自分に課している感じ」

それは、カレーにも通じている。

東京でも、地方でも、カレーを食し、家でもレトルトカレーをあいがけにして組み合わせを楽しむほどカレー好きな右近さんだが、自分でカレーを作ることは一切しない。

「一生やる仕事に携わっているので、なるべく密度の高い状態でありたいと思うし、歌舞伎にこだわる時間、考える時間、触れる時間はなるべく多く取っておきたいんです」

だから、食事は全国どこにでもあって、パッと楽しめて、パッと食べられるカレーがいい。そして、自分では作らない。実に明快だ。

ただ、ナイルレストランが大好きで、頻繁に通い、同じように一生を歌舞伎に懸ける歌舞伎俳優たちは大勢いる。なぜ、同じ環境下で、右近さんだけがカレーにここまで突き抜けたのか。

「みんな、その限られた時間の中でも、いろんな選択肢を見つけるという器用さを持ってるのかもしれません。僕はそんなに器用なタイプではない。

いろいろなものに触れて楽しいと思うタイプの人もいるし、いろんなことをやっていないと飽きてしまう人もいる。僕はそうではないようです」

カレーを通じて自分を知ってほしい

2024年も年明けから、1月は歌舞伎座、2月は大阪松竹座、3月は京都南座、4、5月は歌舞伎座、6月は博多座と歌舞伎の舞台が続く。

その合間を縫って、他の仕事のため、新幹線で地方と東京を往復することもある。「新幹線ばかり乗っている」と本人は苦笑するが、それほど多忙でも、バラエティ番組でカレー屋をハシゴするのもまったく苦ではないという。

「舞台の前に、カレー屋を3店舗まわるロケがあったんです。『後がありますから一口ずつでいいです』と言われましたけど、せっかくだし、全部完食しました。そのときは運動量の多い舞台だったので、たくさん食べて、たくさん動いて、むしろ健康でしかいない」と、どこまでも前向きだ。

(撮影:今井康一、スタイリスト:三島和也(tatanca)、ヘア&メイク:STORM(Linx))

「僕の場合は、カレーを通じて自分を知ってほしいというのもある。歌舞伎は敷居が高い、観るきっかけがないとよく聞きますが、観劇するきっかけは何でもありだと思うんです」

マルチな活躍を見るにつけ、どれだけストイックなんだろうと思ってしまうが、「寝る時間を削ったり、ボーッとする時間がないのは耐えられない。平均8時間は寝てますし。

時間には限りがあるから、短縮できるところは短縮して、ボーッとできる時間も確保したいというのが根底にはある」という。

「僕の仕事は、感情を使う仕事。舞台表現をずっと考えて、ずっと稽古をしていても、寝不足になったり、ニュートラルではない状態になってしまって、うまく表現できなければ、結局本末転倒になってしまう。

自分の感情やコンディションがニュートラルな状態ではじめて、表現のときに必要な余力が生まれる」

そのためには、芝居に直結していない、一見無駄に見える時間も必要不可欠なのだ。

「同じ歌舞伎俳優さんでも、素顔に近いような感じで演技したい人もいれば、完全に自分を消し去って作り込みたい人もいる。

例えば、女形でも、日常の人間らしさみたいなものをそのまま持ち込む人もいるし、”女形”という別の生き物に完全に変身する人もいる。アプローチの仕方は人それぞれ。

だから取り繕ったところで、僕はやっぱり”こぼれてしまう”タイプだと思う。『さっきカレー食べたんだろうな』って見えてしまうし、それでいいと思っています。

でも、これだけは絶対ミスできないぞというときの緊張感は、誰にも負けないというのはほしい。めちゃくちゃ緊張感も持っているけど、同じくらい隙もある、みたいな」

「根を張りたくない。根無し草万歳」

後輩たちには「ケンケン」と愛称で呼ばれているという右近さんだが、「普段は『ケンケン、これどうしたらいいですか』って気軽に相談に来てくれるけど、出番の直前には『右近さん』とすら呼べない感じ」が理想だという。

(撮影:今井康一、スタイリスト:三島和也(tatanca)、ヘア&メイク:STORM(Linx))

「親近感と遠い存在、どちらも必要だと思うんです。あまり遠い存在になり過ぎても、絶対セリフを間違えられないし。絶対にミスできないなんて、嫌なんで。もうちょっと楽にやりたい。

親しみやすいと思ってたら、なんで急に気を遣わせてるんだ、どっちだよ?わかりづらいよ!みたいなのがいい。周りには気を遣わせたいですね、困らせたい(笑)」

そう冗談まじりに話しつつも、根底にあるのは「人として面白い人間でありたい」ということだという。

「僕らの稼業って、真剣に長年やっていると人間国宝とかになれるじゃないですか。

でも、歌舞伎俳優国宝ではなく『人間国宝』、つまり人としての国の宝。役者である前に、人としてのことで評価されている。『芸は人なり』だと思うんです。

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歌舞伎のプロフェッショナルになる前に、ある程度まともで、面白い人であるべきだと思うので、人としての部分にこだわりはあるかもしれない」

それは、歌舞伎俳優と清元という二刀流として舞台に立ち続けるがゆえの、右近さんの仕事観にもつながっている。

「清元をやらせてもらっているのもそうですが、いろんなことをやって、『こういうカテゴリーの人』という括りになりたくないというのはありますね。

根を張りたくない。根無し草万歳、みたいな。

根無し草って、パッとたどり着いたところが自分の居場所で、そこで生い茂るんだけど、またどこかに飛んでいって……。毎回そんな感じなのか僕には合ってる。

草に根が生えちゃたら、踏んづけられたらそれで終わってしまうけれど、根が生えてなかったら、すぐ逃げられるじゃないですか。そのほうがいい」

尾上右近を形づくるもの

根無し草といいつつ、尾上右近を形づくる根はすべてつながっている。

「自分の性格と、これからの歌舞伎界をどうしていくかと考えたときの合致性は高いと信じてます。どっちかに偏っちゃいけないという時代でもあると思う。

でも、どちらも中途半端になったら、役には立てないというのもあるし。こだわりはあるけれど、それに固執しないという感覚がないといけないと思う」

すべて歌舞伎につながっているとはいえ、清元もカレーも、すべてが尾上右近を形づくるうえでは欠かせない要素ばかり。

「要は、カレーと一緒。全部かき混ぜたいということです」

尾上右近(おのえ・うこん)1992年5月28日生まれ。
曾祖父は六代目尾上菊五郎、母方の祖父には俳優 鶴田浩二。
7歳で歌舞伎座『舞鶴雪月花』の松虫で本名の岡村研佑で初舞台。
七代目尾上菊五郎のもとで修業を積み、2005年に、新橋演舞場『人情噺文七元結(にんじょうばなしぶんしちもっとい)』のお久と『喜撰(きせん)』の所化で、二代目尾上右近を襲名。
2018年1月、清元栄寿太夫(えいじゅだゆう)を襲名。

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