「孤立化」を防ぐためにミドル期シングルたちに必要なのは、地域への「ゆるい」コミットメントなのでしょうか(写真:Graphs/PIXTA)未婚率全国トップの東京23区で進む「日本の未来」とは。孤独担当大臣も知らない、35歳から64歳の「都市型」の自由と孤独に焦点を当てた『東京ミドル期シングルの衝撃:「ひとり」社会のゆくえ』がこのほど上梓された。シングルのための地域コミュニティを手作りした経験もある、思想家で凱風館館長の内田樹氏が同書を読み解く。

「高齢者アンダークラス」の出現

人口減問題について語る人たちは、マンパワーの不足やマーケットのシュリンク、年金、医療制度の持続可能性について話すけれど、ほんとうにシリアスなのは「高齢期に入って社会的に孤立化したシングルのアンダークラス化」にある。本書はそのタブーを正面から取り上げた例外的な仕事である。

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「アンダークラス」というのは「ワーキングクラス」のさらに下に位置する、生活保護なしでは暮らしていけない最貧困層のことである。差別と排除の対象となり、社会の底辺に吹き溜まる閉鎖集団である。

たぶん日本でも「高齢者アンダークラス」がこれから大量に出現する。政治家も官僚もメディアもこの問題から目を背けてきたが、いまミドル期(35~64歳)にあるシングルたちは遠からず高齢期シングルとなる。今のまま何の対策も講じずに放置しておけば、いずれ日本社会は貧しく、孤独で、社会性のない数百万の高齢者たちを抱え込むことになる。

「明らかにされているのは、ミドル期シングルの総体は明確なリスク集団ではないが、パラサイト・シングルを含めて、高齢期に到達したときに経済的困窮や社会的孤立に陥るリスクが高い可能性があるという点です。」(『東京ミドル期シングルの衝撃』25~26頁)。

病気になったり、介護の必要が出てきたときに、彼らには誰も世話をする人がいない。いったいどう生きたらよいのか。「高齢者は集団自決しろ」という暴論を唱えた経済学者がいたけれども、そういう極論が出てくるのは、もっと穏当で、人間的で、実現可能性のある政策がこの問題については今のところ存在しないということを意味している。恐ろしい話だが、そうなのだ。

本書の論点をおおざっぱに言うと、(1)ミドル期シングルという集団がどれくらいの規模で存在するか、(2)なぜ、そのような集団が形成されたか、(3)この人たちが高齢化したときに、それを支援するどのような取り組みがあり得るのかの3つである。

「家族を作るな」というイデオロギー

これまで行政は「高齢シングル」に対しては関心を寄せていた。高齢シングルは「低所得や要介護のリスクが高く、社会保障に対して負荷を増大させるおそれ」(前掲書、19頁)があるからだ。でも、ミドル期シングルについては、行政もメディアもまるで無関心だった。

いや、無関心というのではない。むしろ、日本社会では久しく「家族を作るな」というイデオロギーが支配的だった。本書には言及されていないが、私の知る限り少なくとも1980~1990年代においてはシングルであることは、都市生活者につよく勧奨された生き方だった。

糸井重里は1989年に『家族解散』という小説で中産階級のある一家が離散する過程を活写した。一人ひとりが「自分らしく」生きようとしたせいで「家族解散」に至る物語である。でも、これは悲劇ではなかった。何より「家族解散」は市場に好感された。なにしろ、家族が解散すれば、不動産も、家電製品も、自動車も、それまで一つで済んでいたものが人数分要ることになるからである。家族解散は「市場のビッグバン」をもたらした。だから、「家族を作るな」というのは資本主義からの強い要請でもあったのである。

そういう時代を生きた人たちが家族形成に強いインセンティブを感じなくなったということはあって当然だと思う。人口動態がそれを示している。

「全国のシングルの総数は、1980年の711万人から2000年の1291万人をへて2020年には2115万人にまで増加しました。40年間で2.98倍になったということです。」(前掲書、45頁)。

2115万人のうち男が1094万人、女が1021万人。男では、未婚・ミドル期が29.8%、未婚・若年期が29.6%。女では死別・高齢期が32.4%、未婚・若年期が23.3%、未婚・ミドル期が16.9%(前掲書、47頁)。ミドル期シングルは1980年に35万人、2000年に156万人、2020年に326万人。40年間で約10倍に増えた勘定になる(前掲書、21頁)。離婚してシングルになる人たちもいる。男は1980年に17万人、2000年に59万人、2020年に93万人。女は25万人、48万人、77万人。これも急増している(前掲書、21頁)。

でも、この極端な人口動態上の変化に日本人は特段の関心を示さなかった。結婚したくない、家族を形成したくないという人が増えてきました。ああ、そうですか。お好きにどうぞ。という話で終わった。

この集団がいずれ遭遇するであろう「経済的困窮や社会的孤立という問題が深刻化するという未来のリスク」に「いちはやく」着目した研究が登場したのが2010年だと本書には書いてある(前掲書、22頁)。「いちはやく」ということは「それまで誰も研究しなかった」ということである。

配偶者のいない生き方を選ぶようになった理由

どういう理由で人々が配偶者のいない生き方を選ぶようになったのか、その理由も本書には列挙してある(資本主義の要請だとは書かれていないが)。東京にシングルが多いのは、地方在住者が家族のもとを離れて東京に進学や就職で集まるからである。これは当然。もう一つは社会進出を果たした女性の晩婚化。シングル女性は移動しやすい。住む場所を変えるほど人は家族形成から遠ざかる。「人口移動によって出生率は低下する」のだ(前掲書、80頁)。

それに女性は地方の伝統的規範を忌避する傾向がある。「男尊女卑や過度な性別役割分業といった、女性にとっての負の要素」(前掲書、94頁)から離脱するために地方圏出身女性が東京区部へ移動している可能性はあると本書は論じている(前掲書、94頁)。そこまで断言していないのは、データが不足しているからだろうけれど、私もそうだと思う。彼らは「画一性からの脱却と多様性への渇望」に駆動されて大都市圏に引き寄せられる(前掲書、97頁)。

次の論点は、このシングルたちはどのような社会的な関係を形成しているのかである。彼らが高齢化したときにアンダークラス化しないために欠かすことのできない条件は地域コミュニティにコミットしていることだからである。果たしてミドル期シングルたちはどのような「親密圏」を形成しているのか。

これについては男女差が際立っている。男性シングルは親密圏の形成が苦手で、女性のほうがずっとその点ではすぐれている。これはどなたも経験的にわかるだろう。

男性シングルは親族との関係が希薄であるが、女性シングルは「ひとり暮らしに伴う経済的不安、孤独、犯罪に巻き込まれる不安、病気の不安を男性以上に感じやすい分、親やきょうだいと頻繁に連絡をとって、結婚によって築く親密圏に代わる親子関係を軸とする親密圏を築いています。」(前掲書、156頁)。

おそらくリスクに対する不安が男性よりも強いせいで、女性のほうが「家族に代わる多様な生活共同体(別居パートナー、コレクティブハウス、シェアハウスなど)」(前掲書、156頁)の形成についても、あるいは「趣味やレジャーで会う人や同窓生などの“柔らかい紐帯”を“固い紐帯”と共に築いている人が男性より明らかに多いといえます。」(前掲書、156頁)。

男性は親族のみならず仕事以外の友人・知人とのネットワーク形成にも未成熟である。だから、高齢期に病気になった場合にもケアマネージャーや行政に優先的に頼ろうとする。「日ごろから頼ることのできる家族的関係や友人知人関係を作っていない結果といえるでしょう。(……)ミドル期シングルの環境は、非家族的親密圏も中間圏も広く形成されている状態にはなく、孤立化するリスクを抱えているといえます。」(前掲書、157頁)その通りだと思う。

シングルたちはどう生きるか

親はいずれ死ぬ。きょうだいとの縁も薄くなる。仕事も退職する。そのあとにシングルたちはどうやって生きるのか。ただ「生きる」のではない。一人の市民として、尊厳を以てどうやって生きるのか。

本書では「ハンカーダウン(hunker down)」という言葉が使われているが、これは人々が「より私的な空間に閉じこもり、他者への信頼度が下がり、なるべくかかわらないようにしている」状態を意味するのだそうである。「引きこもり」である。要するに地域コミュニティにコミットしない状態のことである。もともと日本では地縁共同体が衰退しているうえに、「都会のミドル期シングルはあまり地域での関係を持つことに積極的ではない」(前掲書、162頁)。

しかし、地域コミュニティへのコミットメントは「孤立化」を防ぐ最も効果的な手立てである。どのようにしてミドル期シングルに対して地域コミュニティとの関わりを持たせることができるのか。それが実践的な課題になるのだが、アンケートに回答したミドル期シングルの8割は地域活動に参加していない。

「サードプレイス」という概念がある。「サードプレイスとは人々が自宅(ファーストプレイス)や仕事の場所(セカンドプレイス)以外で、社会的なつながりを築き、リラックスや交流を楽しむ場を指します。」(前掲書、173頁)。

コーヒーショップや図書館や公園がそれに当たる。ミドル期シングルは「ツーリングに出かける先、コンサート会場やスポーツ観戦の場所などの地域コミュニティには存在しない『イベント』的サードプレイス」を挙げているが、それは「“その場を楽しむ”ということに限定されており、必ずしも、何かあったときに支え合う、家族の代替になるものではなさそう」である(前掲書、173頁)。

ミドル期シングルは表面的には活発な社会的関係を形成しているように見えても、自分が高齢期になったときに「生活に不安のない人」は全体の3.7%しかいない(前掲書、176頁)。「病気になったときに身の回りの世話をしてくれる人がいない、という不安は64%にも上り」、「自分が『孤独死』する不安を多少でも持っている人は半数に上ります。」(前掲書、176頁)。「病気になったときや介護が必要になった場合に誰を頼ればよいのか、高齢期になってお金は足りるのだろうか、住むところはあるのだろうか、そして災害時に誰が助けてくれるのか」(前掲書、176頁)という不安を多くのミドル期シングルは抱いている。

特に災害の場合、地域コミュニティへの参与の有無は決定的である。避難所に知り合いが一人もいない状態で罹災者になるストレスはかなりシリアスであるだろう。

カギになるのは「ゆるいつながり」

本書がそれゆえミドル期シングルたちに地域へのゆるいコミットメントを勧奨している。図書館や公園で会って挨拶する程度の関係でもいい。それだって、地域の一員であるという意識の培地にはなる。

地域活動の核といえば、学校と病院である。学校と病院を「地域に開く」という試みはすでに行われている。子どもたちの教育活動に参加する、高齢者の支援者となるといった取り組みは「世代を超えて地域の結びつきを深めることに結びつくかもしれません。」(前掲書、194頁)。

学校と病院は『社会的共通資本』(宇沢弘文)の重要な柱である。これを安定的に維持することは地域共同体にとって死活的に重要であるのだから、学校と病院を「サードプレイス」にできた人は、かなり安定的な仕方で地域コミュニティに参与できるだろう。この見通しには私も同意する。

いずれにせよ、カギになるのは「ゆるい」ということである。都市生活者は「強い絆」を嫌う。何となく、ふらっと立ち寄った場所で、気が向いたら参加し、気が向かなかったら参加しないという程度の「ゆるいつながり」を求める(前掲書、196頁)。

面倒な話である。でも、「東京の中心ではミドル期シングルはもはやマジョリティです。ミドル期シングルを包摂し、ゆるやかにつながる地域を作り上げることは、地域、行政にとって、そして何より当事者たちにとって大切なことです」(前掲書、200頁)という言明にはうなずかざるを得ない。

市民的成熟を支援する仕組み

以上、やや急ぎ足で本書の内容を要約した。求められているのは「書評」なので、評言を述べなければならないのだが、本書を読む限りでは「教えられること(そうだったんですか)」と「同意すること(そうですよね)」ばかりだったのでうまく論評の言葉が思いつかない。 

付け加える情報があるとすれば、一つは大量の高齢シングルを抱えるせいで国難的危機に遭遇するのは日本だけではないということである。中国がそうなのである。

中国は1979年から2014年まで35年にわたって「一人っ子政策」を採ってきた。多くの夫婦は「跡取り」が欲しくて女児を堕胎したせいで、この世代は男性が過剰である。配偶者を得られずに高齢を迎えた男性はすでに5500万人に達している。彼らの多くは低学歴、低収入、農村人口である(だから配偶者を得られなかったのである)。

二代続けて「一人っ子」だった場合、親が死ぬと、彼らは妻子もきょうだいもおじおばもいとこもいない「天涯孤独」の身となる。中国社会は伝統的に個人の経済リスクは親族ネットワークで支えてきたけれども、この人たちは親族ネットワークというものがそもそもない。彼らの老後がどういうものになるのか、誰もわからない。最近の中国ネットでは「安楽死」が話題になっているそうである。「集団自決」と同根の発想なのかもしれない。

もう一つ付け加えたいのは、私自身シングルのための地域コミュニティを手作りした経験があるということである。凱風館という武道の道場であり、学塾であり、かつ相互支援のネットワークの拠点を作った。メンバー同士で子育てを支援したり、起業を支援したり、病気のときの世話をし合ったりしている。先年「合同墓」を作った。シングルや子どものいない人たちのために、誰でも入れて、道場がある限り誰かに供養してもらえるお墓を作った。

凱風館は「サードプレイス」であるが、違うのはただ「つながる」だけではなく、修行や勉学を通じて自己刷新を遂げることがメンバーに期待されていることである。

本書を読む限り、ミドル期シングルは「年をとってもあまり人間が変わらない」人たちのようだけれど、実際には人間は変わる。しばしば劇的に成長する。そのためにも、ミドル期シングルの市民的成熟を支援する仕組みを構想することもまた私たちのたいせつな仕事だと私は思っている。

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