山本連合艦隊司令長官が戦死
1943(昭和18)年 前線視察に向かっていた山本五十六連合艦隊司令長官の搭乗機がブーゲンビル島で米軍機に撃墜され戦死。山本長官の死は伏せられ、国民に知らされたのは5月21日だった。当時米軍は、日本の暗号電報を全て解読しており、飛行計画も分秒単位で把握していた。
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その他の出来事
ゴルバチョフ大統領が来日
1991(平成3)年 ソ連のミハイル・ゴルバチョフ大統領が来日し、海部俊樹首相と会談。北方領土四島を領土画定協議の対象とする、とした日ソ共同声明に署名した。しかし、8月のクーデターと共産党支配体制の終止を経て12月にソ連は崩壊。継承国家ロシアとの領土交渉も進展しなかった。
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花巻空港で日本エアシステム機が大破炎上
1993(平成5)年 岩手県花巻空港で名古屋発の日本エアシステム451便が着陸に失敗し機体は大破炎上した。着陸寸前、ウインドシア(突発的に発生する乱気流)にあおられ滑走路にたたき付けられる形で着陸。乗員乗客77人のうち58人が重軽傷を負った。
ミャンマーで日本人ジャーナリストが逮捕される
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