ことし5月の新潟県が主催した新潟水俣病の式典に伊藤大臣は国会中で出席せず、患者や被害者団体が懇談を要望していました。

懇談は2日間の日程で新潟市で開かれ、3つの団体が参加した17日は、冒頭に伊藤大臣が熊本県水俣市での懇談の場で、環境省職員がマイクを切った問題について謝罪しました。

そして団体側が求めている新潟水俣病が発生した阿賀野川流域の住民の健康被害調査の実施の要望について、「熊本の水俣病が発生した不知火海沿岸地域の健康調査を2年以内に開始できるように準備し、新潟での実施時期については不知火海の調査の状況を踏まえつつ、今後、検討する」と回答し、実施時期を明言しませんでした。

団体側からは「被害者は高齢化して、もはや時間がない」とか、「一刻も早く新たな解決策を示してほしい」という声が相次ぎました。

また、環境大臣は水俣市で毎年5月1日に開催されている水俣病の慰霊式に毎年参加していますが、新潟水俣病の式典には9年前の公式確認50年の式典に参加したのが最後です。

団体側が来年の式典への出席を求めているのに対し、伊藤大臣は「できるだけ前向きに検討する」と応じました。

懇談のあと、伊藤大臣は「水俣病の問題は熊本と同様のものもあれば、新潟特有のものもあると思う。そうした問題解決のために8月には実務者による協議を始めたい」と話していました。

患者団体副会長など務める皆川さん「生きているうちに解決を」

新潟水俣病の患者団体の副会長などを務める皆川栄一さん(81)は懇談の中で、「水俣病に対する偏見や差別のなか、仕事に従事しながら、名乗り出ることもできずに、耐え続けて50年間暮らしてきました。私も81歳。いつまで元気でいられるか。私たちにはもはやそんなに長い時間はありません。『生きているうちに解決を』が本当に切実な願いです」と訴えました。

これに対し、伊藤大臣は「この問題は関係者が真摯(しんし)に話し合ってどうやったら解決できるかを共同で練り上げていくことが大事だと考えている」と述べました。

懇談のあと皆川さんは「患者の気持ちは十分に伝えることができたのではないかと思っています。今後の実務者レベルの協議は、新潟水俣病の問題を解決をするにはどういう方法がいいのか環境省と団体側でお互いに腹を割って話し、解決できる場にしてもらいたいです」と話していました。

新潟水俣病とは

新潟水俣病は、当時、阿賀野川の上流にあった化学工業「昭和電工」の工場の排水に含まれていたメチル水銀が原因で発生した四大公害病の1つです。

熊本県で水俣病が確認されてから9年後の1965年(昭和40年)に公式確認され、「第二の水俣病」とも言われています。

環境省によりますと、ことし4月末までに716人が患者認定されています。

ことし4月、国や原因企業を相手に認定や賠償を求めた裁判について、原告47人のうち、26人が患者認定されたほか、原因企業に賠償が命じられましたが、国の責任は認められませんでした。

環境省によりますと、新潟水俣病の認定を求めている人は、ことし4月末時点で、87人で、これまでの政治解決や特措法を合わせた救済者は、県内で2793人だということです。

環境相との懇談経緯

環境大臣が新潟水俣病の患者団体などと懇談したのは9年前、新潟水俣病が公式確認されてから50年の式典の時以来です。

新潟水俣病の県主催の式典は去年とことし5月にも開かれましたが、その時は大臣が出席せず、環境大臣政務官などが出席しました。

熊本県での水俣病の患者団体などと大臣との懇談の場で環境省の職員がマイクの音を切った問題が起きたことを受けて、新潟水俣病の患者団体などは被害に苦しむ被害者の声を聞いてほしいとして、大臣との懇談を求める要望書を環境省に提出し、今回の懇談会が実現しました。

新潟県は、新潟水俣病の歴史と教訓を伝えるための式典を来年以降も毎年開催する方向で進めています。

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