防衛装備移転三原則の見直しに関する与党協議であいさつする自民党の小野寺五典安保調査会長(中央)=東京・永田町の衆院第2議員会館で

 4歳の娘は、アニメシリーズ「プリキュア」にはまっている。親を悩ますのは「あれもこれも」とせがまれる関連グッズだ。シリーズは1年ごとに物語が完結するが、前作は中盤に新たな主役級キャラが登場し、序盤に買った分と合わせてコスチューム2着で2万円超かかった。シールや水筒、果てはプリキュアホテル宿泊…。年間の出費額を考えると頭がくらくらする。  気持ちのコントロールが難しい幼児に負けないほど「あれもこれも」と欲望が止まらないのが岸田政権の防衛力強化だ。敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有や防衛費倍増に続き、今年3月に武器輸出ルールを見直して英国、イタリアと共同開発する次期戦闘機の日本から第三国への輸出解禁を決めた。1976年に三木武夫首相が事実上の武器禁輸政策を採用してからおよそ半世紀の今年、日本の方針は百八十度転換した。  防衛省を担当して2年半になるが、紙面で安保政策の「大転換」と何度書いたかわからない。基本原則は憲法に基づく平和主義や専守防衛のはずだが、何度も転換した結果、この国は確実に「戦える国」に変貌した。平和主義と相いれない次期戦闘機輸出の解禁も、将来に禍根を残す決定というほかない。  そもそも輸出先国がどのように戦闘機を使うかを、日本が管理するのは事実上不可能だ。英国などが共同開発した戦闘機「ユーロファイター」を購入したサウジアラビアが2015年のイエメン内戦に介入し、空爆で多数の民間人に犠牲が出たという調査報告もある。全世界の国民の平和的生存権を保障する日本国憲法の精神に反して、次期戦闘機が紛争助長の道具に使われないと誰が確約できるのか。  戦後日本の武器輸出政策の歴史は、経済合理性と平和主義の間で揺れてきた。  武器製造は連合国軍総司令部(GHQ)により禁止されたが、1950年に始まった朝鮮戦争で米軍向けの弾薬生産を再開。東南アジアへの銃弾など輸出を拡大させた。生産数を増やせば単価が安くなり、政府の防衛費も抑制できるとして、海外に販路を求めるのが防衛産業の宿命。73年のオイルショックを受け、経済界が武器輸出の規制緩和を求めたのに対し、野党が平和主義との整合性を追及した結果生まれたのが、三木首相の「武器輸出三原則」だった。  三木首相の国会答弁を引き出した当時野党の公明党の正木良明氏は、「防衛産業は投下した資本を回収するため、どんどん輸出しようとする。だから武器を輸出する余地を残さない。これが平和国家日本の最大の方針でなければならない」と指摘した。それから半世紀。政権与党になった公明は解禁に賛成した。岸田政権は経済合理性を優先し「防衛産業は防衛力そのもの」と開き直る。振り子を再び平和主義に戻せるかは、野党の姿勢と国民の一票にかかっている。(政治部)


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