「政治生活の総決算」と臨んだ5度目の自民党総裁選挑戦でようやく勝利を手にした。世論調査での人気や高い発信力を背景にして応援演説などで全国を回り、地道に党員の支持を広げる戦略が奏功した形だ。
父は鳥取県知事や自治相を務めた二朗氏。銀行勤務を経て、父と親しかった田中角栄元首相の勧めで政界入りを志し、1986年衆院選で初当選した。田中氏を「政治の師」と仰ぐ。
政治改革を訴え、93年に自民を離党。復党後の2002年に防衛庁長官として初入閣した。12年総裁選では1回目の投票で1位だったが、決選投票で安倍晋三元首相に逆転された。16年の地方創生担当相退任後は要職から遠ざかり、石破派議員が減少。21年に派閥からグループに移行した。
時の政権に苦言を呈し「後ろから鉄砲を撃つ」と評される。「オタク体質」で軍事、鉄道、アイドルに詳しい。妻佳子さんとの初デートで映画「連合艦隊」を観賞した。鳥取県出身。(無派閥)
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