物価高が止まらない。主食のコメは高騰し、電気・ガス代の負担も重い。世はまさに「インフレ時代」。しかし、石破政権は「デフレ脱却」を目指して巨額の経済対策を講じるという。物価高対策の必要性に異を唱える人は少ないだろうが、やや引っかかる。デフレとは「物価下落」の意味ではなかったか。実情と真逆の目標を掲げ続ける意味は何なのか。(太田理英子、山田雄之)

10月4日、参院本会議で所信表明演説をする石破首相(佐藤哲紀撮影)

◆【デフレ】物価下落を意味する経済用語

 「デフレ脱却を最優先に実現する」。10月の所信表明演説で、こう掲げた石破茂首相。政府は今月中にも新たな総合経済対策を策定する見通しで、与党公明党、衆院選で大幅に議席を増やした国民民主党との協議を進めている。  「デフレ(デフレーション)」は経済用語で、本来物価下落を意味する。だが、今国民が直面しているのは激しい物価高だ。  9月の全国消費者物価指数(生鮮食品を除く)は、2021年9月以降、37カ月連続で上昇。物価上昇率は22年4月以降、日銀が目標とする2%を上回っている。コメ類は前年同月比447%上昇と、49年ぶりの伸び率だった。電気・ガス代の高騰も続き、政府の補助終了のため、大手電力10社と都市ガス4社は11月使用分を値上げする。  円安による輸入価格上昇やロシアのウクライナ侵攻、物流の人手不足などを背景とする物価高。石破首相自身、所信表明演説で「約30年ぶりの物価上昇」にも触れていたが、なぜ—。

買い物客が行き来する立石駅通り商店街=8日午後、東京都葛飾区で

◆街の声は…「聞こえはいいけど」「矛盾しますね」

 街の人は「デフレ脱却」のフレーズをどう受け止めているのか。東京都葛飾区の立石駅通り商店街と立石仲見世商店街で聞いた。  「政治が何かしてくれそうな、いいキャッチフレーズに聞こえるけど。今がデフレかっていうと、違うよね」。靴店店主の細谷政男さん(75)は腕を組みながら言い放つ。スーパーの商品は値上がりが目立ち、自身の店の靴も上がっている。「物価が上がるのはいいこと」とするが、「賃金上昇が全然、物価の上昇に追いついてない。政府が大きな旗を振るのはいいけど、どこかで政策が間違っているのでは」。  近所のパート女性(76)は「デフレって言われても、実感はなかった。よく考えたら、矛盾しますね」と、考え込みながらつぶやいた。「『景気回復』とかを掲げた方がいい気がする」  「野菜が安いと聞いて買い物に来た」という同区亀有の無職女性(58)は、デフレの意味を詳しくわからないという。記者が物価下落を指すと伝えると、「やっぱり政府が信用できない。いつも言うことがころころ変わるし」とあきれた表情をうかべた。

◆「2022年ごろには既に脱した」

 第一生命経済研究所の熊野英生氏は「以前は物価が持続的に下がり続けることをデフレと言ったが、今は市民の節約思考や、賃金が上がりにくい状況を漠然と指している。政府はデフレという言葉を自由自在に使ってきた」とみる。実際は物価上昇率2%を超え始めた22年ごろから「既にデフレは脱した」と指摘する。  石破首相は先の総選挙中に、新たな総合経済対策の裏付けとなる24年度補正予算について、一般会計の歳出が約13兆円だった23年度補正予算を上回る規模とする考えを示している。「巨額の経済対策をするための大義として使われている言葉が『デフレ脱却』だ」

デフレとなった日本経済の現状を報告する「月例経済報告関係閣僚会議」に臨む森首相(右から2人目)ら=2001年4月、国会で

◆バブル崩壊後、悪循環に

 政府が「デフレ」を公式に認めたのは、2001年3月。景気に関する政府の公式見解を毎月示す「月例経済報告」の中で、初めて「緩やかなデフレにある」と言及した。  物価が下がって売り上げが落ちると、企業が設備投資や雇用を控える。すると給与が下がって購買意欲が減り、さらに物価が下落する。バブル崩壊後の1990年代後半以降、日本経済はそんな「デフレスパイラル」と呼ばれる悪循環に陥った。  「デフレの勝ち組」とも評された日本マクドナルドは、ハンバーガーを2000年に平日半額の税抜き65円、2002年に過去最安の税抜き59円に。現在の税込み170円より大幅に安かった。大手牛丼チェーン店も並盛りを200円台まで下げるなど、安売り競争が加速し、「デフレ」は日本経済を象徴する言葉になった。

◆歴代政権、毎年のように経済対策

 歴代政権は「デフレ脱却」のため、毎年のように経済対策を打った。2012年に発足した第2次安倍政権下では、日銀は異次元の金融緩和を続けた。市中に出回るお金の量を増やせば物価を上げられるともくろんだが、「物価上昇率2%」の目標は達成できなかった。  しかし、2022年2月のロシアのウクライナ侵攻で状況は一変する。原油や小麦などの国際相場が大きく上がり、世界的なインフレに。日本でも円安による輸入価格の上昇も相まって、食品から日用品、電気代まで幅広く物価が高騰した。物価上昇率は今年9月まで2年6カ月にわたり前年同月比2%を超える。それでも政府は「デフレ脱却」を宣言していない。なぜか。

デフレの中、値下げ競争を展開する外食産業=2001年5月、東京都内

◆内閣府「デフレではないが、脱却には至らず」

 内閣府の担当者に尋ねると、現状を「デフレではない」と言い切るものの、「『デフレ脱却』までは至っていない」と珍妙な回答。政府は「デフレ脱却」の定義を「物価が持続的に下落する状況を脱し、再びそうした状況に戻る見込みがないこと」としており、「戻る見込みがないとは言いきれない」と説明した。  どう判断するのか。消費者物価指数や、物価動向を示す国内総生産(GDP)デフレーターなど四つの経済指標を重視してきたが「あくまで例示」として、「賃金上昇率や物価上昇の広がりなどを含めて幅広く見ていく」と話した。  ただ、内閣府の説明に識者は真っ向から反論する。一橋大の佐藤主光教授(財政学)は「もろもろの経済指標から客観的に判断すると、デフレから脱却している」と断じる。政府が脱却宣言に及び腰なのは「『デフレ対策』と言えば、大規模な補正予算や予備費を組むなどの財政出動が許されてきた過去がある。政治的な都合とみるのが自然」。

◆本来の意味と乖離

 慶応大大学院の小幡績教授(経済学)も「脱却宣言すれば、政府が金融緩和や大規模な財政出動が進めにくくなり、バラマキができなくなるからだろう」と説く。その上で「いつの間にか『デフレ』という物価に関する言葉が政治の世界で、本来の意味とかけ離れて『景気が悪いこと』のような一般的な意味で使われるようになった面もある」と分析する。  では、実情にそぐわない「デフレ」に政府はどう向き合うべきか。みずほ銀行の唐鎌大輔氏は「国民はデフレではなく、インフレに苦しんでいる。政策として『デフレ脱却』と聞いても、みんなピンと来ない」と指摘し、こう提言する。「なんとなく経済がさえない状態を雰囲気で『デフレ』と呼ぶのを止めなければならない。本来の意味に修正した上で『脱却宣言』をし、国民に『物価上昇を上回る賃金上昇を目指す』と分かりやすい言葉で情報発信するべきだ。正しく患部を診断しなければ、正しい処方箋は与えられない」

◆デスクメモ

 そもそもの疑問がある。デフレは日本経済低迷の原因か、結果か。原因だと断じ、無理やりでも物価を上げれば、デフレ不況は解決する、と突っ走ったのが初期のアベノミクスであり、黒田日銀の異次元緩和だった。改めて思う。求められているのは適切な原因分析に基づく対策だと。(岸) 

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。