玉本さんの第一印象は、小柄で物腰の柔らかい女性だ。大阪育ちということもあって、戦争に関する講演では笑いも交えるなど、ユーモアを忘れない。重さ10キロもの防弾チョッキとヘルメットを身にまとい、撮影機材を抱えながら、戦地を駆け巡る映像ジャーナリストの姿はとても思いつかない。
2022年、ウクライナ南部ミコライウで取材中の玉本英子さん(撮影:アジアプレス)
この世界に入ったのは、デザイン会社での仕事を辞めた1990年代の初め。きっかけは「国を持たない世界最大の民」クルド人がトルコでの迫害に抗議して、ドイツで焼身を図ったニュースを見て、衝撃を受けたことだ。「なぜそこまでして抗議するのか、知りたいとの思いがありました。踏み出すことにためらいはありませんでした」
戦争を取材テーマとするのは、父親が5歳の時に広島で被爆したことが影響している。「父が幼少の時に投稿した文集を読んだり、話を聞いたりしていたので、子供のころから戦争の悲惨さを身に染みて感じていました」。父は娘の思いを察したのか、危険が伴う仕事にもかかわらず、黙って送り出してくれたという。
当初は企業の受付係など派遣社員として働き、取材資金を稼いだ。先輩ジャーナリストから取材の基礎を学び、徐々に経験を積みながら、2000年代はイラク戦争や過激派組織のイスラム国(IS)が台頭したシリアなど中東地域で活動。テレビや雑誌での現地リポートのほか、この10月には都内としては初の写真展(NPO法人「世界の医療団」主催)を催し、講演も含め戦争と平和を伝える活動に取り組む。
妊婦が巻き込まれる
ウクライナには、侵攻が始まった2022年から毎年、数カ月滞在し、ロシアと対峙(たいじ)する東部や南部を拠点に取材。砲弾が飛び交う最前線に行くこともあるが、戦闘地域に取り残された高齢者や女性、子どもの姿を丹念に追い、犠牲となる市民を数多く目撃してきた。
つらかった取材の一つが、今年2月の東部ドネツク州の町セリドヴォでのミサイル攻撃の現場だ。カーチャ・グーゴワさんは妊娠8カ月で体調がすぐれなかったため、夫に連れられ近所の病院に入院した。その日の夜、妻の母親から「自宅近くがロシアのミサイル攻撃を受けた」と電話があり、夫は急いで自宅に戻った。
約1時間後、今度はこの病院が被弾。最初の攻撃の被災者が病院に運び込まれるのを見越したかのようなロシア軍の「時間差攻撃」に巻き込まれ、カーチャさんとおなかの子は命を奪われた。
玉本さんは数日後、現場を訪れ、夫に話を聞いた。
「カーチャさんは39歳という高齢で、やっと子どもができて喜んでいたそうです。ところが、彼女を病院に残したままにしたことで、助けることができず、非常に苦しんでいました」
亡くなった娘カーチャさんの肖像画を掲げる母オルガさん。カーチャさんはまもなく生まれてくる子を心待ちにしていたという(撮影:玉本英子)
3月、南部の都市オデッサでは、集合住宅がロシアの自爆型ドローン攻撃で建物上部が吹き飛び、子ども5人を含む12人が犠牲となった。「午前1時ごろ、ドーン、ドーンと大きな音がしました。ウクライナ軍の対空砲火は暗闇の中で、火の玉みたいに光ってました」と、玉本さんは当時を振り返る。
翌日、現場に駆け付けると、救助隊ががれきの山から遺体を引き揚げていた。
「前日まで、そこの家族たちは食卓を囲んでいたでしょう。そんな日常が一瞬にして断ち切られてしまった。ウクライナ各地で毎日、同じことが起きているのです」。普通の市民が突然命を奪われる不条理に玉本さんは憤る。
ドローン攻撃で崩壊したオデッサの集合住宅。がれきの中から、幼い子どもの遺体が運び出された(撮影:玉本英子)
見えないドローン
戦地での取材は危険と隣り合わせだ。
南東部ザポリージャ州のオリヒウに入った時のことだった。「ヒュー」という音を立てて、ロシア軍の砲弾が玉本さんら取材チームの頭上を通り過ぎ、すぐ近くに着弾した。
命を守る防弾チョッキとヘルメット(撮影:玉本英子)
過去には各地の戦場を取材中に亡くなった日本人記者たちもいる。命を顧みないと誤解されがちだが、玉本さん自身は「案外びびりなんです」という。プロから紛争地取材の実践訓練も受けたし、危険と判断すれば、前線取材を断念することも多い。現地で協力してくれる通訳や運転手を危険にさらさないためにも、細心の注意を払う。地雷が埋まっているかもしれないから、野原や畑を安易に歩くことはしない。
そして、この戦争を特徴づける脅威が、ロシア軍の無人機ドローンによる遠隔攻撃だ。イラン製の「シャヘド」で長さは2、3メートルもあり、「カミカゼ」とも呼ばれる。編隊で飛来して標的に突入し、爆発する。前線地域では、小型ドローンが頭上から突っ込んできたり、爆弾を投下したりする。
玉本さんはドローンが上空に現れた時の恐怖をこう語る。
「上空でブイーンと大きな音がしたんです。だけど空を見上げても決して見えない。そばにいたウクライナ軍兵士と共にすぐに建物の中に逃げました。『ドローンの音がしたら、いつ突っ込んでくるか分からないと思え』と兵士に言われました。遠隔操作で上空から監視して、狙いを付けているのかもしれない。砲撃とは違う恐怖を感じました」
ロシアがウクライナの首都キーウで使ったイラン製無人機「シャヘド」(getty images)
核の脅威
玉本さんがいま懸念を募らせているのは核兵器だ。広島、長崎に原爆が投下されて以降、核兵器が戦争で使われたことはない。しかし、ロシア軍はウクライナ南東部のザポリージャ原発を占拠し、国際原子力機関(IAEA)は視察に入った。プーチン大統領も核兵器の使用条件を示す「ドクトリン」見直しの意向を示し、核の脅威が増しつつある。
玉本さんは、核兵器の恐ろしさを父の被爆体験から痛いほど感じている。父は幼少期に一時寝たきりとなり、生死をさまよった。今でも広島の原爆の番組を見て、涙を流したりするという。「核兵器というのはその場で人を殺すだけではなくて、被爆者の中に入って原爆症や白血病をもたらし、トラウマで心も引き裂いていく。核兵器や原発を政治カードにするのは許されないことです」
こうした危険を覚悟の上、あえて戦地から報道するのは「どの国も自分たちに都合のいい情報しか流さないので、戦争の実相は現地に行かないと分からない」という思いがあるからだ。もう一つ記者として忘れてはならない視点として、こうも言う。
「ウクライナ軍戦没兵士の墓前で涙する遺族はたくさんいましたが、ロシアの側にも悲しむ遺族がいます。戦況報道だけではなく、戦争は何をもたらし、誰が犠牲になるのか伝えないといけない」
関心が減った時こそ危うい
ウクライナ侵攻から3年目に入り、国際社会の関心はやや薄らいできたが、「関心が減った時こそが危うい」と強調する。避難民支援をするポーランドNGOスタッフには、「支援や寄付が減り、活動を縮小せざるを得ない。関心の度合いで人々の命が左右されるなんて」と言われたそうだ。
「関心が減ってきた時こそが危うい」と玉本さん(撮影:花井智子)
国際社会では、停戦を求める声も出始めているが、玉本さんはこう言う。
「取材した兵士は『停戦すれば今、人が死ぬことはなくなる。しかし、占領下で住民は苦しみ、将来、失われた故郷を取り戻すために子や孫が命を落とすだろう』と話し、葛藤の中で戦っていました。破壊と殺りくをもたらす戦争は悪です。同時に侵略が何をもたらすのか考える必要があります」
北朝鮮のロシア派兵、トランプ次期大統領の選出で予想される米国のウクライナ離れ―。国際情勢などに「翻弄(ほんろう)されるのは、いつも『力なき市民』」と話す玉本さんはウクライナから目を離さず、発信し続けるつもりだ。
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